2002年2月分(2/1〜2/26)

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だるい〜〜(2/1)

 なんか、一月が終わると共に、今週も終わっちゃった気分なので、「もう一日」がツライです〜〜(T_T)。あ〜、カイシャ行きたくね〜〜!

 ……というわけで、今月のフィアナさんもなんとなく投げやりなムードです(笑)。
 先月のフィアナさんと同じく、昨年末の冬コミ会場での撮影ですが……ホント、あのときのワタシってやる気なかったのねってのが、アリアリとわかってしまうのがお恥ずかしい(^^;;)。
 フィアナさんの髪は乱れてるし、襟元はずれてるし、ドレスの生地(起毛加工した牛革です)にホコリがついちゃってるし〜〜。撮影前に、ちょっと整えて差し上げろっちゅーに。>自分
 さすがに、ホコリの方は、スタンプツール使って消しましたが、全体に漂う投げやりな雰囲気は消しようもない。表情もなんとなくふくれっ面だし〜〜。

 まぁ、これはこれで、「失礼ですがマダム、後ろのオトコが何かご無礼でも!?」な〜んてアレコレ妄想を働かせるタネになりそうですがね(笑)


久々…かな?(2/3)

 今週の『009』、久々に面白かったですよ。
 「偵察に行く」ってジェットが言い出したとき、まさか「人間(サイボーグ)魚雷」で出ていくとは思わなかった。発射シーンで、ほんの一瞬とは言え、「2×8」か「8×2」かと順列を考えてしまった自分がイヤだ(笑)。<意味のわからない方はわからないままでイイです(^^;;)
 そのまま、一気にドルフィン号も浮上して深海戦〜空中戦に切り替わるあたり、またしても『沈艦』の「やまとジャンプ」を思い出したりして……いや、さすがにあちらは空飛んでドッグファイトまではしませんが(^^::)。
 まぁ、各キャラクターの体型が思いっきり崩れていたとか、立ち上がってポーズを取るフランソワーズが美しくなかったとか、ジョーの唇が妙にポテっとしていて、女の子みたいだったとか……等々、作画のアラは目をつぶりましょう(-_-;;)。

 でもね、なんか話の順序違わない〜〜!?  今回みたいな展開って、13のエピソードの直後に入れて、一気にブラックゴースト編はカタをつけて、その後におもむろに各キャラのエピソードに……って行った方が良かったんじゃないかなぁ……

 あと、気になるのは……「感動したッ!」って、シナリオにもあったのかしらね? 声優さんのアドリブにしては、ノリがイマイチというか、「言わされている」感じがしたんだけど……
 アニメで時事ネタとか流行語の出てくる例は、昔からあったけど、コイツは、後年の視聴者が観ても「元ネタ」があることに気づいてもらえないような気がする……(^^;;)


今週の『利家とまつ」(2/4)

 ス、スミマセン(^^;;)……って別に謝るようなことではないんでしょうが、なんとなく。
 NHK大河を毎週チェックするのなんて、かれこれ十何年(う゛っ)ぶりでしょうか……大抵途中の数回を見るだけで、一度も見ずじまいだった年も結構あるし。
 今年は、初回放映時がたまたま夕食時だったもので、家族に付き合って観ていたら、存外に面白かったので、そのまま続けて観ています。
 いやぁ、唐沢はハマってるし、アクションよいし、松島菜々子美人だし、反町は渋いし、山口祐一郎さん男前だし、竹野内はポチ(あの仔犬のようなつぶらな瞳がたまらん!)だし〜〜!(ゼェゼェ)

 そ、それはともかくとして(コホン)、わたしの場合、加賀の前田さんご一家というと思い出すのが、昔ジャンプに連載されていた『花の慶次』(今は文庫化されています)と、その原作の『一夢庵風流記』(隆慶一郎著)です。
  主人公の前田慶次郎は、利家の兄、利久の養子(奥さんの連れ子)で、利家には血のつながらない甥っ子で……昨日の放映でも、ちょこっと登場していましたね。三浦友和(利久)があやしていた小さな男の子です。時代も、桶狭間の合戦から4半世紀ほど後、既に信長は亡く、柴田勝家も討たれて、太閤秀吉の天下となっております。
 このあたりはまぁ、歴史の教科書でもお馴染みの史実ですが、『花の慶次』では、連載始まってすぐに、越中富山城城主・佐々成政(大河では山口祐一郎さんの役)が、前田領の末森城を攻め、孤軍奮闘する城主の奥村助右衛門を救うべく、ほとんど単身で乗り込む慶次……というエピソードがあるのです。
 ちなみに、この奥村助右衛門、小説では慶次の親友という設定で、それを受けた漫画ではとっても美形に描かれてますが、現在のドラマの方では、幼いまつが前田家に引き取られたときから既に家老を勤めていて、慶次郎とはものすごく年齢差があるんですよね。漫画の彼はドラマの彼の息子なのか? 史実ではどうだったんだろう?
 この末森城攻防戦のエピソードが史実であるか否か、ワタシの乏しい知識では判別つけられないのですが、柴田勝家の例を見ても、現在大河ドラマでは仲睦まじい親友同士の利家と成政も、二十数年後には、そういう関係になっていても不思議ではないですな。

 漫画の中の成政は、敵役らしく(?)出腹のオヤジなんですが、「敵ながらあっぱれ」という描かれ方で(顔立ちも渋い!)、なかなか泣かせてくれるんですよ〜。
 慶次の奇襲に遭い、追いつめられて、もはやこれまでと覚悟を決め、「最後に顔を洗いたい」って言うんですね。で、慶次が酒樽を出してやると、その中にポタポタと涙を落として曰く、

 「な…なぜかの なぜ信長様はわしを残して死んだのじゃ…」

そのまま、酒でばしゃばしゃと顔を洗い、天を仰いで男泣き!

 「殿は わしに夢をくれた! 天下布武の夢じゃ!!
  だから惚れた! 夢中で戦場を駆けた!!
  ほかの誰でもない! 殿と天下を見たかったものを〜〜!!」

 殿=反町、成政=山口祐一郎さんで想像すると、鼻血出そう……(爆)。
 と、腐女子的発想はさておき(^^;;)、この漫画の中では、成政だけでなく、他のオヤジ達の口からも、繰り返し繰り返し、「信長様と夢中で駆けたあの時代」が回想されましてねぇ。読んでいると、「ああ、このオヤジ達も昔は若かったのねぇ…」と、シミジミしてしまうわけです。

 で、現在の大河ドラマは、まさに、そのオヤジ達が愛惜してやまない「あの時代」なわけで……利家ほか織田家中の面々が仲良くじゃれあったり、助け合ったりしている様に、ついホロリとしてしまいます。
 これから20数年経って、『花の慶次』の時代には、ある者は滅び、ある者は天下を取り、その軍門に下る者もいれば、それを潔しとせずになおも刃向かう者もいる。それぞれが、それぞれの運命に従って人生の終着点を迎えるけれど、かつては確かに、熱い血潮をたぎらせた若き日々があった、と。

 幕末モノの新撰組とか、維新の志士みたいな「激動の時代の青春グラフィティ」っていうんですか? 最後は皆死んじゃったり、イヤな爺になっちゃったりもするけど、「あの輝いた日々」はウソではない、というせつなさというか……

 これはまぁ、利家…というか、男の側に立った見方で、まつや、女達の立場から見たら、また違った見方や楽しみ方もあるのでしょうが。


なんとビックリ…(2/7)

 4日の日記を書いた後、あちこち調べてみたところ、「奥村助右衛門」でも、結構な数のHITがあるのがビックリ。『花の慶次』でも、ちょこっと言及された、「家督相続問題」──利家が、養子とは言え、当主たる兄の息子の慶次郎を差し置いて、前田家を継いでしまったときのゴタゴタで、慶次郎側(というより、その父親の利久側)について、荒子城に立てこもっちゃったというエピソードも史実らしいし。
 いや〜、歴史モノって、なまじ調べ出すとドツボにはまるから、怖くって〜、あまり資料を漁らないようにしてるんですよ〜(^^;;)。<言い訳

 で、遅ればせながら「そうだ、NHKのサイト覗けばいいじゃん!」と思いつき(遅い!)、さっそくこちらに行ってみました。

 で、まずは「登場人物紹介」を覗いてみたら……キャスト表に「前田慶次郎」の名が!
 そういや、大河って、話の後半に出てくる人も、最初に全部ドンと発表しちゃうんだった。
 で、肝心のキャストは……なんと、及川光博。 ミッチー王子ですか〜〜〜!?
 いや、そりゃ、慶サマは歴史上に名高い「かぶき者」「風流人」だそうですから、別に王子が演ってもイイとは思うけど……やはり、ワタクシとしては、どうしても原哲夫の描いた「ポニーテールの陽気なケンシロウ(爆)」のような、堂々たる偉丈夫、ますらおのイメージが強くて〜〜(^^;;)。

 ちなみに、末森城を守り抜き、その前の家督相続のゴタゴタの折には、慶次郎について荒子城に居座った「奥村助右衛門」は、やはり、現在大河に登場している「奥村家福(中条きよし)」と同一人物の模様ですね。
 嗚呼、某同人作家さんには「戦国ジュリー」「受右衛門」とまで呼ばれていた、原版の麗しい殿のイメージが〜〜(涙)。
#中条さんも、「三味線屋の勇次」の頃なら良かったんだけどね(^^;;)。

 なんか、なんだかんだ言って、一年間見続けちゃいそうな予感がして参りました……


「悪い叔父」の呪い(2/8)

 7日の日記で、前田家家督相続のゴタゴタについての拙文──。

 >>養子とは言え、当主たる兄の息子の慶次郎を差し置いて

 ……って、無意識のうちに、利家のほうを「悪者」にしている言い方ですよね(^^;;)。
 漫画では、慶次が主役だからそうなってしまうのはしかたがないんですが(^^;;)、これが現代で、「同族企業の前田さんご一家に起こった出来事」として考えれば、どちらに理があったものか、そう簡単には言い切れないんですよね。
 ワタシの乏しい知識では、あの時代の社会通念として、「長子相続」というのがどの程度尊重されていたのかすら定かでないし……。仮に、一応はそれが建前だったとしても、乱世のことですから、能力や人望の高さが最優先される、実力・実利主義の方が幅を利かせていたのかもしれないし。
 もっとも、利家の方が、利久・慶次郎よりも能力や人望が高かったかどうかも存じませんので、いろいろ調べたら、やっぱり利家の「簒奪」だということになるのかもしれませんがね(^^;;)。

 ただ、「物語」としては、

「王」である兄の正当な後継者である子をおしのけて、兄の地位を簒奪する弟(叔父)

って、「悪役」の定番中の定番なんですよね。もう、「古典的お約束」と言ってもいい。ちゃんとしたデータがあるわけではないですが、「古典的お約束に則ったお話」の権化のような『水戸黄門』で過去の悪役を調べたら、きっと「悪家老」「悪代官」の次くらいにゾロゾロ出てくるんじゃないかしら。
 わたしの確実に知る限りでも、『リボンの騎士』のジュラルミン大公、『グイン・サーガ』の皇弟ダリウス、『アルスラーン戦記』のアンドラゴラス、そういや、『メロウリンク』のヘルメシオンもそう(ルルシーの叔父)だったっけ(^^;;)。海外作品では、ディズニーの『ライオンキング』のスカー、それの元ネタ(の一つ)になったと言われる『ハムレット』のクローディアス……等々。
 『アルスラーン』では、本来なら「主役」になるはずの「叔父に王位を奪われた王子」であるヒルメスが敵役に回され、主人公は「王太子」ではあるものの、ジツは(簒奪というダーティなイメージのついた)現国王の実子ではなく、血筋も育ちも庶民(でも、王にふさわしい資質を備えている)という、いかにも田中芳樹らしい(^^;;)変則技がありますが、「叔父であり簒奪者」たるアンドラゴラスは、主人公アルスラーン側から見ても憎々しく描かれ、結果として「敵役」であるのは同じという……(^^;;)。
 『メロウリンク』のヘルメシオンも、ルルシー絡みの因縁がなくとも、元々主人公の復讐のターゲットの一人で、同じくターゲットで「敵ながら天晴れ」だったボイル中佐に比べると、とっても「悪役」なキャラクターだったし……

 戦国時代を舞台にした話では、「親兄弟も殺し合う骨肉の争い」はしばしば登場しますが、伊達政宗や、信長の「弟殺し」は、「周囲に認められた嫡男でありながら、実母に疎まれ、殺されかかったところを返り討ち」といった、「正義は我にあり」的な描かれ方をしているんですよね。
 #してみると、「弟」ってホントにワリに合わんな(^^;;)。
 前田さんちの利家クンの場合、「当主が決めた世継ぎを退けた簒奪の叔父」という、シチュエーション的には極めて強力かつ由緒正しい「悪役」につかざるを得ないわけで……多かれ少なかれ「国民の標準的モラルの規範」たることを求められている(感のある)NHK大河ドラマの主人公がええんかいな、ホンマに(^^;;)。
 #うろ覚えですが、『武田信玄』での、信玄の父親追放劇は「タブー」スレスレだったというウワサを聞いたような記憶もあるのですが……。
 まぁ、『利家とまつ』の場合、「主人公」は、半分以上カミさんの方だから、そっちで見せ場を作っちゃうのかな。


オマケ(2/9)

 以下、8日の話題の余談。

  1.  『アルスラーン』で思い出したのですが、この作者って、いわゆる「左」というんですか? 「ビバ・デモクラシー!」「くたばれ、皇帝(カイザー)!」のヒトくさいけど、書いてるお話の内容は、「王侯貴族大好き」ですよね(^^;;)。
     この矛盾を抱えているのは、別にこの作者個人だけじゃなくって、その元の「思想」自体の特徴らしいですね。
     ようするに、本音のところは「古くから続いた血筋しか取り柄のない、新鮮味のない王様よりも、実力と風格を備え、なおかつ(自分たちに近い)庶民出身の新しい王様が欲しい」ってことなのかしらねぇ?
  2.  

  3.  『ハムレット』のクローディアスについては、たまたまワタシが観た舞台(クローディアスは岡田真澄サマ)では、イマイチ「悪役」とは思えませんでした(^^;;)。
      兄殺害の動機が、権力欲よりも、兄嫁のガートルードを手に入れるためだった(らしい)のと、当のガートルードもクローディアスと再婚して幸せそうだったのが一番の理由。
      一方、主役のハムレットは、父王の敵討ちとか、王座の奪還なんかのためじゃなく、ただ母親を取られたのを逆恨みしているようにしかみえなかったんだもん。再婚相手とラブラブの母親に、「父上を殺したのはあの男だ」と告げるだけならまだしも、「あの男の寝室に行くな」ってネチネチ念押しして命じるあたりが実にイヤラシイ(-_-;;)。
     そういうわけで、ハムレットの復讐に「義」が感じられなかったわたしには、同じく己のエゴのために人を殺めた者同士ということで、敵同士の二人は「同列」に見えたんですよ。ただ、クローディアスのエゴは、少なくともガートルードに幸せなひとときを与えたけれど、ハムレットのエゴは誰一人幸せにせずに、その必要がなかった人間にまで不幸を伝染させるし〜〜(-_-;;)。


今週の『009』(2/11)

 一応、「第一部・ブラック・ゴースト編 完」ってなところなんでしょうか?
 な〜んか、イマイチ「いよいよ大詰め!」という気分にならないまま、終わってしまった印象がありますな(^^;;)。見終わった後で、「あれ、ラスボスって、どんな風に死んだんだっけ?」って思い出せないし〜(爆)。 エネルギー炉に落ちたんだっけ?(^^;;)
 結局ブラックゴーストの本拠は、オーストラリアのエアーズロックにあった模様(あの赤い岩の形とか、コアラとか)ですが、だったら、9話で南極いった後、直行すりゃいいじゃん、と思うのはワタシだけ? 中だるみの回が長かったせいというより、伏線も何もなしに「最後の戦い」に突入しちゃった感じと申しましょうか……

 南極の前の回、8話が(海域は不明ですが)深海戦で、そこで敵方の通信を傍受して「南極に基地があるらしい」って知って……で、兵器づくりに荷担するパパを憎む娘さんをジョーが慰めたり、毒電波にフランソワーズが悶えたり(その前の回の「音響魚雷で気絶」のアッサリ過ぎるほどの描写に比べたら、制作者の邪念が見えてイヤだった(-_-;;))……と、色々あって、そこまではまぁ、よし。
 でも、なぜか次の回は、一気に大西洋を北上して、フランの里帰り。その次は、ナゾの無人島(どこ?)、そのまた次は、再びヨーロッパに戻って、ロンドンへ……って、この人達、地球を北へ南へと行ったり来たり何してたんでしょうか?(^^;;) 情報収集?
 んで、再び(or 3たびか4たび)大西洋を南下して、アフリカ西部のピュンマの祖国が舞台になったのが、14、15話……って、この辺り、わたし、半分眠りながら見てたから、ほとんど覚えてないんだよな〜。だから、もしかしたら「ラストへの伏線」を見逃していたのかな?(^^;;)

  ともあれ、気がついたら「最後の戦い」……なんだけど、なんかヘン(^^;;)。シチュエーションとか、展開とか、一つ一つは「カッコイイ」はずのものが、なんだかちぐはぐに組み合わさっているような感じ……
 何、敵地でのんびり作戦会議やってんだよ(^^;;)。ここは、今更段取り踏むところ丁寧に見せるよりは、基地内の監視システムを無効にして時間稼ぎ、とかの描写が入るべきじゃないのか? んで、「行き当たりバッタリ」に始めた作戦のハズが、なんでお揃いのザック背負ってるわけ?……等々。
 まぁ、ワタシャ、 いわゆる「戦争モノ」「スパイ大作戦モノ」etc...にはまったく疎い人間ですから、どこかでものすごくハズしたこと言ってるのかもしれませんが……でも、ピュンマの「××戦の基本だ」のセリフが、なんか軍事オタクのボーヤがいきがっているように聞こえるのがイヤ〜〜〜(T_T)。サイボーグに改造される前から、戦争の中に身を置いていた、歴戦の猛者の凄みが軽々しくなっちゃうじゃないのさっ!

 ……と、さすがの「楽しむことだけ考えよう」なワタクシも、思わずツッコミマシンと化した今回ですが、それでも、「ストーリーの流れ」を追うことを放棄して、部分部分に集中すれば、「見せ場だらけ」で面白かったですよ〜。まるで「つなぎ」のないかき揚げ(タネだけ揚げ玉状態)のようで(苦笑)。
 まさか、ラスボスと009の一騎打ちが、「フルコンタクト組手」になるとは思わなかったし〜。また、突きとか蹴りとか投げ技とか、(シロート目で見る限りは)ごまかさずに描いてキチンと動かしてるんだもん。アニメであんなに「人間の肉体の動き」がキッチリ描かれたのを観るのって、ものすごく久しぶり……上でぶちまけた、数々の不満を一瞬にして忘れてしまうほど「見てて気持ちのいい動画」でした。
 あんまり気持ち良かったんで、「ラスボスの最期がどうなったのか」も一緒に忘れてしまいました(爆)。
 …で、なんで、エネルギー炉に落ちたんでしたっけ?>スカール


連休中は…(2/12)

 眠って、本読んで、オリンピックちょこっと見て、眠って、Web覗いて、うたた寝して、本読んで、いよいよ夏コミの申し込み書きかけ…ては休んで(^^;;)…
 ……っと、例によって、ひたすらグータラしちゃってました。
 合間に、家まで押しかけてきた営業のお兄ちゃんに負けて、有線の光ファイバーの仮契約しちゃったりとか(^^;;)。「年末にADSL入れたばっかりだし〜、今、何十メガとかのスピードあっても、見るものないも〜ん」と、断るつもりだったのですが、「仮契約までは、お金要りません」「回線調査の後でもキャンセルできます」と粘られて、ついサインしてしまった。 どの道、今のADSL1.5MB(加入申し込みしたときは、ウチの地域はまだ8MB開通してなかったですよ)は「つなぎ」のつもりで、Bフレッツ(こっちはもう開通しているらしい)が安くなるのをじっと待っていたんですけどね〜(^^;;)。まぁ、有線の方も、下手すりゃ開通まで半年かかるというから、乗り換えるには頃合かもしれませんが……

 ともあれ、ギリギリまで引っ張り続けた夏コミの申し込みも済ませて、もう、泣いても笑っても、春夏のオタク祭りに向けて、始動の時期……なんだけど、相変わらず、休み休みの亀の歩みでございます(^^;;)。
 もう、自分でも自分のトロさに飽きちゃって、思わず一休みして寝過ごしてしまうという……カメののろさと、ウサギの怠惰さが一緒になってるんだから始末に悪い。
 わたしの脳内にこそ、光ファイバーを導入したい今日この頃……


23時を過ぎた頃…(2/14)

 電話のベルが鳴った。仕事関係も含めて、この番号を教えている人間は片手で数えるほどしかいない。こんな時間にかけてくるのは、イタ電でなければ、おそらく……
 やはり、彼女だ。これは長い電話になりそうだ。とりあえず、日付が変わる前に話を終わらせる目標を、心の中で立てる。
 話は、頼まれていたビデオが無事に届いたという報告から始まり、早速本題へ。
 「アタシ、『009』にはまっちゃった〜♪」
 ──さいですか(^^;;)。まぁ、20年来の小室fanの彼女のことですから、シングルやサントラくらいは買うだろうとは思ってましたが……
 「そりゃ、30分丸々小室の曲が聴けるのもいいけど〜、どうしよう、4×9にはまった〜〜」
 ──あ〜、来ると思った(^^;;)。
 こりゃ、今日のウチには終わりそうもないな……と、覚悟を決める。それでなくとも、お互い、22年前の「新」世代、TM好き(わたしゃ小室より木根さんの方がスキでしたが)と、共通の話題には事欠かないし。
  しかし、どうしても話題の中心は腐女子な方向へ……
 (以下、そういう話題が苦手な方のために反転)

 「まぁ、平成版で萌えるなら、4×9が王道でしょうねぇ。「新」だったら、2×9もアリかなぁとは思うんですが……」
 「 今回の、2が9とタメ年って設定は許せん!」
 「ですよね〜、「新」の方の野田さんの声が恋しいっす。でも、ワタシとしては、新の2には3と一緒になって欲しかったんすけど〜」
 「やっぱ、9は総受でなくっちゃ!! 1が相手でも受!」
 「あ〜、精神官能…じゃない、精神感応えっちってのも、スラッシュ*じゃ定番らしいですしね〜。逆ハーレムの場合は、「クールな天才少年タイプ」ってのは、やっぱり一人は欲しいですし……」
 「やだ、1の声が哲っちゃん(天下のTKを、TM時代からのfanはこう呼ぶらしい)で聞こえてきちゃうじゃない〜(^^;;)。あ、でも、6、7と博士は除外ね〜」
 「そうですか〜? 6、7はともかく、博士相手だと「おじーちゃん相手に優しい風俗嬢」的なほのぼのした情緒があって、それはそれでよろしいような気もしますが……」
 「ダメ〜〜っ!! アンタ、やおいダメって言いながら、なんでそういう激しいシチュエーションを思いつくわけ〜!?」

*一言で言えば、アメリカ版「やおい」。本邦で表記するところの「×」と同様、キャラ同士の「関係」を表す記号「/」から、このジャンル全体を「スラッシュ(フィクション)」と呼ぶらしい。有名なところでは『スタトレ』のカークとスポックのカップリング通称「K/S」など。

 ……等々、結局、一時まで、延々2時間話し込んでしまいました(^^;;)。
 おかげで、日曜の夜にはすっぱりと忘れていた「スカールの最期」がどんなんだったかの記憶は補完できましたが(笑)。

 しかし、けっして自分自身はヤオラーぢゃない(ホント!)クセに、どうして、↑反転部分のような相づちがポンポン出てくるかなぁ(^^;;)。>自分
 まぁ、「恋愛」や「エロス」が発生する「関係」とか「構図」というのは、常日頃ワタシの最重要テーマの一つですし、そういう視点から見れば、異性間も同性間(男男・女女共)も、異種族間も、いっそ「生命体」でないものとの関係(人間と戦闘機とか)も同じレベルで語れる(もちろん、個別の差異はあるけれど)……んですよ、たぶん(^^;;)。


よく寝た…(2/18)

 またしても、土日は惰眠を貪って、更新をさぼりました。
 特に日曜は、トータルで起きてた時間、5時間程度しかなかったんじゃないかしら(^^;;)。『009』も『利家とまつ』も完全に寝過ごしちゃったくらい……

 というわけで、「今週の009」も「今週の利家とまつ」もお休み……ですが、引き続き、14日の電話の話題。

相手「でさー、「新」のジョーって浮気者だったよね〜」
私 「そうそう、そうなんですよ! だからわたしゃ、フランソワーズはジェットに乗り換えるべきだ!って、ず〜っと思ってたんですよ〜〜」
相手「……アンタね(^^;;)。まぁ、自分から口説いているわけじゃなくて、寄ってくるのは女の方からだけど、据え膳は確実に喰う、と(笑)。当人悪気はないんだろうけどさ〜」
私 「そう……不幸な女の子に泣いてすがられちゃったら断れないっつーか。当人にはまったく邪気がナイのが余計にキョーアク(-_-;;)。でもさー、あんなに可愛らしくて優しげな男の子が、やましい下心なんてありませんってカオして(事実、ナイんだから始末に悪い)親切にしてくれたら、よろめかない女の方がどうかしている」
相手「あー、ジョーってば、男も女もタラシまくりね♪ つみつくり〜♪」
私 「……まったく……」

 ……と、ひとしきり盛り上がってからハタと気づいたのですが、わたし達の間で共通認識だった

「浮気者で(本人にはまったく邪気はないんだけど)タラシなジョー」

……って、いったいいつから出来上がったイメージなんでしょう? お互い「新」の世代だから、22年前のTVシリーズがそうだったのは間違いないのですが、その前のモノクロ映画や、そもそも原作ではどうだったのか? 映画の方では、ミュートスサイボーグのヘレナとどうこうあったような記憶もありますが、あの頃は、フランとはそういう仲ではなかったようにも思うし……。
 原作の方は、ジツは読んでない部分の方が多いのですが(^^;;)、「新」以降に連載されていた少年サンデー版では、フランソワーズとほぼ「公認カップル」にはなっていたものの、他の女にちょっかい出す(っつーか、彼の場合、ちょっかい出されて乗っかっちゃう)話はあまり記憶にないし……
 フランソワーズというステディな彼女がいながら、あっちこっちの女の子に……というのは、もしかして、「新」&映画の「超銀河伝説」で固められたイメージなのか??


恥知らずな書き出し(2/21)

 先日、ふと懐かしくなって、図書館でユーミンの「ノーサイド」を借りました。
 ♪なーにをゴールにきーめてー なーにをぎせいーにしーたのー …のタイトル曲は、いわゆる(?)「C翼世代」の同人女(年齢的には、60年代後半から70年代アタマ頃の生まれ…かな)には、「バイブル」と言ってもよいようなもので……あの頃、この歌詞を使ったC翼同人を何冊読んだことか(笑)。
 基本的にユーミンの歌詞は、同人女の間では「定番」だったような感がありますが、特に80年代中頃から90年代前半は、出すアルバム出すアルバムが、そのころの同人界のブームに合わせたかのようなものばかりだったような記憶が……確か、「ノーサイド」=C翼の次が「ダイヤモンドダストの消えぬ間に」=星矢で、「オタク女を狙っているのか〜〜!?」なんてひとしきりウワサになったっけ。

 で、「ノーサイド」ですが……やはり今聞いてもジーンとしますが、さすがにこのトシになると、ヒロインには感情移入できなくなってました(笑)。
  「スタンドから他人のプレイばっかボーッと見てないで、自分のゴールを狙わんかーい!」って言いたくなっちゃう(笑)。 三十年以上生きていれば、ごくお粗末でささやかなグラウンドでも、それなりに「自分のフィールド、自分の狙うゴール」なんてものができるんじゃないかなぁ……なんて、思ったり。そりゃ、国立や花園のような檜舞台とは比べものになりませんが、ね。
 ♪走ろうとしていたあなたを 少しでもわかりたい と、本当に願うなら、 ただ、スタンドから見つめているよりも、超鈍足の運痴でも、自分なりに走ってみるのが一番。

 わたしが十数年来愛読しているスポ根マンガ家塀内夏子の作品では、主人公達が見せる、「戦う者の意地」とか「人としてこれだけは絶対に譲れないという、ギリギリの矜持」みたいなものが、すごく印象に残るんですけれど、これってたぶん、作者自身が色々な意味で「戦っている」からじゃないかなぁ……って思ったり。

 モチロン、終日机にかじりつき、非常に偏った体力と筋力の使い方をする職業の人間に、極限まで鍛えた肉体を操る人間たちのことが、すべて理解できるわけではないだろうとは思う(その逆もまたしかりですが)。ご本人のサイトの11月28日の日記でも、名波の手記に、

 > これを読んで、私はもう二度と「だれそれ物語」を描かないだろうと決めたのだった。
 > この本の切れ味にはとうていかなうまい。

 …なんて、もの描きとして敗北宣言(?)しちゃってますしね。
 でも、それだって、ワタシのような凡人の目からは「ホンモノはホンモノを知る」なんて風に見えるんですよね。漫画家と、アスリートという、違うところもたくさんあるんだけど、どこか共通するところもあって、その共通する部分が非常に高いレベルにいる者にだけわかる「何か」が見えているからこそ、潔く「とうていかなうまい」って言えちゃうんじゃないかと。

 ……というわけで、話はユーミンの「ノーサイド」に戻るのですが(^^;;)。この歌のヒロインには、「彼のことがわかりたかったら、自分のフィールド、自分のゴールをみつけて走りなさい」と言いたい。
 もっとも、自分で走ることを覚えちゃうと、「あなた」を、「わかる」のと引き替えに、「あなた」を支えたり愛されたりする立場にいられなくなっちゃう怖れも多分にありますがね(^^;;)。
 理解する/されること、愛する/愛されること、必要とする/されること……って、重なっている部分も多いけれど、元々は別物じゃないかな……と、常々考えるワタクシ。

 ちなみに、今日のタイトル、どこが「恥知らず」かというと、最初の一段落は、昨日の神林日記とまったく同じなのです(爆)。


カイシャ行きたくない……(2/25)

 年度末とあって、ボチボチ仕事が忙しくなってきています。
 人手が足りないもので、今まで他の人が担当していた仕事を回されたり、それが自分には苦手なタイプのものだったりするので、ちょっと泣き入ってます。まぁ、周囲にわたしより大変な人たちは大勢いるので、文句も言えないんですが(^^;;)。
 それでなくても、来月の11日からは、オフィスが移転しちゃって、通勤もよけいに時間がかかるし〜〜。新しい職場は、「都会の孤島」というか、非常に辺鄙でガラの悪い(付近の公園にはオヤジ狩りが出るとか)とのもっぱらのウワサだし〜〜〜。
 仕事自体はイヤじゃないし、勉強になるし、上司もいい人だし……で、できれば続けたいんだけど、あまりにツライようだったら、辞めちゃおうかなぁ……なんて選択肢も、ふと心をかすめる今日この頃(^^;;)。
 まぁ、「住めば都」とも言いますし、わたしの場合「多少」仕事が忙しいくらいの方が、更新意欲も高まるみたいだから、そう悲観したものでもないのかもしれません。

 というわけで、とりあえず、よかった探しなぞをしてみる。

 日曜は一応、午前中に目を覚ましたし〜(エッヘン!)。
   ……実際に起き出したのは1時を回ってましたが(^^;;)。
 久しぶりにフィアナさんのお写真も撮ったし〜。
  まだパソコンに落として確認していなんで、出来のほどは不明ですが(^^;;)。
 火曜日には、久〜〜〜〜しぶりおに芝居(四季の『アンドロマック』)を観に行く予定だし〜。
  残業入りませんように!
 3月にも既に2本観劇予定が入ってるし〜。
  休出入りませんように!

 ……泣いても笑っても、とにかく春は来る。頑張る。


行けました(2/26)

 お祈りが通じたのか、どうにか仕事に区切りをつけ、『アンドロマック』を観にゆけました。
 四季の会報で、おフランスのラシーヌという人による、トロイ戦争(直後)を題材にした古典劇……という程度の事前知識はあったのですが、劇場で買ったパンフレットの解説を読んでビックリ。古典も古典、初演はなんと、1667年、ルイ14世の御前でだとか……。日本で言えば、まだ「歌舞伎」が成立するかしないかくらいの頃ではなかろうか。
 このとき主役のアンドロマックを演じた女優、マルキーズことデュ・パルクを主人公にした『女優マルキーズ』という映画(ソフィー・マルソー主演)もあるそうですがご存じですか? 生憎わたしは未見なのですが(おフランス映画は滅多に見ないし)、パンフレットの解説によると、映画の中でも、『アンドロマック』の初演シーンがあるそうです。
 更にわたしが驚いたのは、主要4人の登場人物の一人、アガメムノンの息子オレスト(ギリシア神話名ではオレステス)役は、モンフルリ……って、ロスタンの戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』のイントロで、シラノに芝居を妨害されていたモンフルウリイのこと!? 『アンドロマック』初演から230年後、1897年に初演されたこの作品、主人公のシラノはラシーヌの20年ばかり前に生まれた実在の人物で、岩波文庫の解説によれば、主人公以外の脇役も、実在の人物が多数いるそうで、モンフルウリィもそうだとは書いてはありました(実際にシラノに芝居の妨害を受けたのは別の役者らしいですが)が……いやぁ、本当にそうだったんだ〜〜と、妙に感動してしまいました。
 ちなみに、このとき既にシラノは亡く(1655年没)、オレスト役を演じたモンフルリも、その一ヶ月後に亡くなっているとか。

 ……っと、すっかり話が横道に逸れましたが、『アンドロマック』そこそこ面白かったですよ。
 「古典」「悲劇」「長台詞」 という前知識から、観る前には不安だったような「退屈」は、ほとんど感じませんでした。物語の前日譚であるトロイ戦争のあれこれは、開演直前にパンフで知識を仕入れたし、各キャラクターの状況や、背後説明なんかは、セリフの中で、しっかり説明してくれていたし。
 うん、四季の会報やパンフでさんざん自慢垂れてるだけあって、確かに 役者さん達のセリフと朗誦はジツに美しかったです。シェイクスピアとも、またちょっと違う、なんとも高雅というか、翻訳家の井辻朱美さんのいうところの「ディグニティ」のあるセリフ回し。まぁ、数日来の寝不足だったもので、一幕の終わりの方では、何度か気が遠くなりはしましたが(^^;;)、けっして退屈していたわけではなく、「クラシック聴いてると寝ちゃう」というのと同質の眠気だったんですよ〜〜。
 ただ、ラスト近くは、わたしが日頃見慣れている芝居やミュージカルとはだいぶ「見せ方」が違っていて、「これが『古典劇』ってやつなの?」って、ちょっと肩透かしくらったような気にもなりましたが(^^;;)。
 (以下、ネタバレの怖れありなので反転)
  最大のクライマックスとなると思われる「流血の婚礼」が、舞台の上で直接演じられることはなく、役者のセリフのみで語られておしまいなのが、現代のミュージカルを見慣れた目にはとっても斬新でした。
  一応「主人公とその相手役」であるはずのカップルが、クライマックスの前に退場して、そのまま最後まで(他人のセリフの中でしか)出てこないし〜。最後だけ観てたら、「主役カップル」は、キャスト表的には「二番手」のあちらの二人の方かと思っちゃうよ(^^;;)。
 んで、最後に「ヒロイン」の座をかっさらっていった、エルミオーヌでさえ、舞台から去った後の「最期」は、脇役のセリフで語られるだけだし……
  隣に座っていた女の子二人連れが「え? え? もう終わり?」って、動揺していたのもさもありなん(^^;;)。とはいえ、わたし自身は、ただただセリフだけで、運命と己自身の恋心に翻弄される人間を表現する作劇も、それなりに楽しめてしまったんですけどね。
 「言葉」それ自体のもつ力──はじめは人間の道具として生まれたはずなのに、自己増殖し、ついには使い手である人間自身が、逆に言葉に使われる──というところに、ここ一年近くわたしが熱愛する作家・神林長平の作品に頻出するテーマと通じるものを感じたからかもしれません。
 また、通常なら「見せ場」になるハズのクライマックスのシーンを見せずに、その場から除外された側にスポットを当てる作劇って、ジツは「現代演劇」でも結構やってるんじゃないかな。わたしは未見ですが、ハムレットの脇役を主役にした『ローゼンクランツとギルデスターンは死んだ』とか……これって、もしかして、時計の針を、ラシーヌの時代に戻しただけだったりして(^^;;)。
 まぁ、「陽の下に新しきものなし」とも申しますしね。一時期「古くさい」と置き去られたものが、また時代が一巡りすれば「新しい」と感じられるというのは、どんな世界でもよくある話なのかも。その中でも、特に、次の「一巡り、二巡り、三巡り……」を生き延びる力を持ったものが、「古典」と呼ばれるのか。
 もっとも、中には 「たまたま運良く残っただけ」なんてものもありそうですが(^^;;)、「勝てば官軍、残れば古典」……なんて言葉はなかったか。

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