2003年4月分(4/1〜4/23)

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4/1 20周年? おれには関係ない(深井零)

 ……と、某パイロット氏はおっしゃってますが、実のところ、彼が(以下ネタバレにつき反転)愛機に捨てられたのは、SFマガジン83年6月号掲載「スーパーフェニックス」にて。SFマガジンの発売日が現在と同じであったとすれば、6月号の発売は4月末、つまり、今からちょうど20年前のことなんですね。というわけで、今月は『ボトムズ』開始20周年にして、『雪風』(第一シリーズ)完結20周年でもあるわけです。
  両方を扱ってるサイト主としては、それなりに盛り上げなくてはいけないような気もするのですが(^^;;)、多忙にかこつけて、相変わらず更新滞ってます。とりあえず、シゴトと観劇に明け暮れた(1ヶ月に5本は新記録かも)3月は過ぎたことだし、来月にはSCCも控えているし……で、今月こそは、頑張って文章書くぞ〜〜〜。<と、決意だけはしてみる

 


4/2 …と言ってる傍から

 日曜の夜から、月曜にかけて「又八」「バガボンド」「堤真一」等での検索が3件ほどありました。
 これはやっぱり、日曜(3/30)の又八さんにノックアウトされた方が大勢いらしたということかしら? 武蔵との会話とか、朱実ちゃんとのやりとりとか、ここしばらくくすぶり気味だった分を一気に取りかえすステキぶり(トホホでダメ男なところですら愛らしく見えてしまう)でしたものね〜♪
 「己を信じるために、信じたいために、子どもを殺すのか!?」……って、これよ、これ〜〜っ!(バンバン<机を叩く)
 大河の又八さんが『バガボンド』の又八よりもステキなのは、なによりも「弱いものに対して優しい」(その優しさは、裏返せば「ダメな自分」に対する「甘さ」でもあるんだけれど)ところなんだけど、それを、武蔵に対して面 と向かって言える怖じけなさ(でも、あんまり「勇敢」には見えないのがご愛嬌(^^;;))も好きなんですよ〜〜。
 4話の「お通を捨てたのか!?」とか……。武蔵がお通を「連れだしたこと」じゃなくって「捨てた」ことを怒るってところが、お通が武蔵と逃げたと知って嫉妬しちゃう『バガボンド』の又八と比べる器が大きい(お人好しとも言う)というか……。
 これって、年齢設定の違い(『バガボンド』の又八は武蔵と同い年、大河では又八の方が何歳かはわからないけれど武蔵より年上)や、あるいは演じる俳優さんのキャリアの差なのかもしれませんが、脚本レベルでも、「本位 田又八」というキャラクターは、「剣に生き、剣に死す」だけではない男の生き方……弱くて、愚かで、でも強かで、優しい、愛すべき「底辺の人々」……の代表っていう風に位 置づけられているからなのかな……なんて、思ったり。
 そんな風に考えると、朱実ちゃんとのコンビが「バニラとココナ」に見えてきます(笑)。 <一応『ボトムズ』でしめる

*:なお、「堤真一」「又八」関連では、3/22/2でも言及していますので、よろしかったらご覧になっていってください。


4/4 珍しくTVをよく観た週末(1)

 え〜!? るいさんが高島礼子〜!? しかも、(原作ではちょっとしか語られてない)東吾さんが長崎から戻ってきた直後からの話? 年齢がぜんぜん合ってないじゃんよ〜〜。……とぶーたれつつも、橋之助の東吾さんや草刈正雄の通之進様というキャスティングに「まぁ、一度くらいは……」と、『御宿かわせみ』を観る。
 一応原作は全巻(文庫の方でですが)持ってるですよ〜。大昔NHKでやってた主題歌が高橋真梨子だったドラマ版も、再放送を大学時代にほぼ全話観てましたし……。主演だった真野響子・小野寺昭については、「るいさんはともかく、東吾さんが違う〜〜、もっと男前だ〜〜」と文句たれてた記憶があるのですが(^^;;)、やっぱり最初の印象って強烈なもので、良くも悪くもあのときののイメージを引きずってますね。近年の沢口靖子・村上弘明ペアのテレ朝版の方が「美男美女」という点では原作に近いはずなのに、「なんか違う…」と思っちゃってほとんど観なかったし。
 で、今回の二十一世紀版(って、『009』とかならまだしも時代劇につけるとものすごく違和感)『かわせみ』は……

 「いい! 気に入った!!」

 キャストを知ったときは「なんでや!?」と思った高島礼子のおるいさんですが、意外や意外、東吾さんと一緒にいるときの表情やしぐさは、歴代のおるいさんの中で一番若々しくて、可愛らしい。さすがにアップになったときとかは(目元の小じわとかが)ツライけど(^^;;)、プンとふくれてベソかきながらでそっぽ向いたり、小気味よい言葉の応酬が不意にとぎれて、甘えて寄り添ってくるときの「間」とかが、原作を読んでいたとき脳内に描いていたイメージ通 りでびっくりでした。
 お酒を運んできたお吉さんが、障子越しに気配を察してこっそり下がっていくのもお約束ですし(*^-^*)。
 橋之助ちゃんの東吾さんも、良いカンジ。江戸前の伝法な口調が板についているんだけど、でも下品にならない…っていうのは、やっぱ歌舞伎の人ならではですかねぇ。「裕福な旗本の次男坊」って言ったら、都会のお坊っちゃまですものね。現代(といっても、バブル期あたりまでかな?)でいうと鎌倉育ちの慶応ボーイとか、成城 or 麻布(共に都内西部にある高級住宅地。新宿・渋谷まで30分圏内)あたりに実家のある青学生といったあたりでしょうか? 文武両道、テニスもヨットもたしなみます、みたいな。まったくのカタブツというわけではなく、悪い遊びも知らないわけではないけれど、所詮は坊っちゃんだからさほどハメは外せなさそう……と、そういった微妙な案配がうまく出せる俳優といったら、やっぱり梨園の御曹司が一番でしょうね。なんで今まで気づかなかったんだろう……と、目からウロコの配役でした。
 テレ朝版の村上弘明の東吾さんに足りなかったものは、そういう良い意味での「軽さ」というか「粋」なところだったんだなぁ……と今更思ったり。村上東吾さんが「田舎臭い」とか「あか抜けない」というわけではないんだけど、まだ職には就かずに親(東吾さんの場合は兄ですが)がかり状態っていう身分の「甘さ」や「気楽さ」がないんですよね。なんか、「ヒマそう」「退屈そう」にしているのが似合わないというか……(^^;;)。同じ名家の出身だとしても、とっとと宮仕えして切れ者の懐刀として上役に重用されていたり、市井の身でも、颯爽と用心棒とか勤めてそうで、好奇心だけでホイホイ捕り物に首をつっこんでいられるようなお気楽身分には見えない(^^;;)。
 #だから、お勤めが決まった後の東吾さんなら、また違ったのかもね。>村上弘明
 もっとも、橋之助ちゃんも、強いて難を言えば、ちょっと声が渋すぎる気もしますが(^^;;)。『毛利元就』のときもあんなでしたっけ? 小野寺東吾さんは、お顔はかなり地味でしたが(^^;;)、お声は明るいテノールで、いかにも「ヒロインの相手役の二枚目」って感じでしたからねぇ……なかなか、すべて思い通 りとはいかないものですな。
 あとは、畝源三郎役は宍戸開ですか? 無骨で実直な感じと、カツラが全然似合ってないのがいいですね〜〜。イヤ、ほめ言葉ですってば(^^;;)。原作ではどちらかというと「さえない風貌」的な描かれ方をしている源さんですが、極々私的には「当時の美男の基準に合わないのと、仕事熱心で身なりに構わないからそう見えるだけで、現代の基準で見れば結構ハンサムの部類に入る」って思っていたので、今回のキャストはジャストミート!なのです。おぼろげな記憶ではテレ朝版の源さんは本当に「さえない風貌」で、ついでに頭もあんまり良くなさそうだったので論外ですが(もし気に入っていらした方がご覧になっていたらごめんなさい)、旧NHK版の、東吾さんよりも渋い男前な源さん(たしかキャストは山口崇さんといったような……)も、それはそれで困りものなので(^^;;)。今回の源さんで、お千絵さんとのエピソードを是非観てみたいものですが、やってくれるかなぁ……

 とりあえず、金曜の夜は残業も寄り道も控えめにして毎回観ようと思ったです。>『かわせみ』


4/7 なにィ!?<車田風に

 ↑に引き続き、土曜の『美女と野獣』とか、日曜の『武蔵』とか、週末TVネタを書く予定でしたが、急遽入ってきた情報に、とりあえず7日にワープ(^^;;)。

 『御宿かわせみ』と同じ、金曜時代劇の枠に、内野聖陽さん主演決定!
  作品は、藤沢周平原作『蝉しぐれ』  >オフィシャルサイトより

 藤沢作品の中でも特に女性人気の高いこの作品、そのせいかどうか、かつて宝塚で紫苑ゆうさん主演で舞台化もされています(いかにもヅカらしく『若き日の歌は忘れじ』という夢夢しいタイトルで)。ジツは、ワタクシの過去たった3回(3作品)のヅカ観劇歴の一つがこれだったりして……(^^;;)。ちなみに、そのときワタシは原作を知らないまま舞台を観まして、後年、高校時代の友人や従姉(両者共ヅカfanには非ず)が藤沢愛読者で、共に「一番好きな作品」が『蝉しぐれ』だと知ったとき、「あ、一応粗筋は知ってる〜。宝塚でやってたのを観た〜」……といったら、二人共にフクザツ〜〜な表情をしていたのが未だに忘れがたい(^^;;)。
 どうせ嫌がられるのなら……と、面白半分で、記憶に残っていた作中のナンバーのさわりを歌ってみせたら、尚更しょっぱい顔をされてしまいました(笑)。
 #まったく別な時に、別な場所だったのに、同じ反応が返ってきたのがなんとも……(^^;;)。
 で、舞台を観てから早十年、従姉や友人と話をしてからも3〜5年は経つというのに、ジツは未だにちゃんと原作を読んでいないのですが(爆)、この機会に読んでみますかねぇ……。


4/9 父、還らず

 『赫奕たる異端』のモンテウェルズ卿(テイタニアの父親)役の山内雅人さんが亡くなったそうです。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030409-00000040-mai-peo

 高橋作品全般で言うなら、『ダグラム』のドナン・カシム(主人公クリンの父)の方がメジャーかも知れませんが、ワタクシ的にはやはり、あのモン父が……と、シミジミとくるものがありますね。
 ある種の人間(女性)から観たら、モン父って、『ボトムズ』全シリーズ中で、カン=ユーやロッチナとは比べものにならない次元で、「リアルにイヤなキャラ」でしたから……。
 ある種の……っていうのは、この場合、テイタニアに多少なりとも感情移入できる、かな。彼女が、父親を初めとする周囲の環境から受けてきた抑圧は、女性なら、程度の差はあれ、覚えのあることなんじゃないかなあ。
# 中には同種の抑圧を受けてきた男性もいるでしょうが、表面に現れる苦しみ方とか、解決を求めて走って行きがちな方向とかが、男女では(傾向として)微妙に違いますから、一応ここはテイタニアと同性に限定ということで(^^;;)。
 『赫奕』ラストで、とりあえず彼女と父親の関係は一応の転機を迎えたわけだけど、まだ本当の決着はついていない(というか、この種のモンダイって、もしかしたらその人の一生が終わるまで決着がつかないのかもしれないけど)。彼女が、あの父親との関係にどういう答えを出すのか……というのは、このサイトの中ではほとんど取り上げてはいませんが、ワタシの中では、積年のテーマの一つでした。でも、それをオリジナルスタッフ&キャストによる完成作品という形で目にすることは、もう叶わないんですよねぇ……。

 まぁ、仮にキャストやスタッフに欠員が出なかったとしても、「女(ヒロイン)はキリコを癒す(この言葉大キライ!>癒し)ためだけに存在する」ってマジで考えているのみならず、視聴者の女性もそれに当然同意するはずだと信じて疑わない超(×∞)クソバカ親父(モン父のことじゃないよ〜ん)が一番上にいる限り、わたしの望むような方向の物語は描かれる可能性は皆無ですので、「喪われた未来」への失望や感慨は、無意味ではありますが(^^;;)。
 それでも、極めて不快な事柄に属するものではあれ「この世に確かに存在する真実」を垣間見せてくださったモンテウェルズの演技に改めて敬意を表して、謹んで故人へ黙祷をささげたく思います。


4/16 いけにえと、みごろしと

 そのうち読もうと思って未だに手にとってはいないのですが、とあるマンガの中で、主人公が義父から虐待を受けつづけていたことに対して、見て見ぬ フリを続けてきたことを後に責められた脇キャラ(義父の前妻の妹……だったかな。とにかく、主人公と血のつながりはない)が、「もし、この家に、誰か犠牲<いけにえ>が必要だとするならば、それが、自分や自分の大切な子供達でなければ、見ないフリをすることだってできる」答えるシーンがあるそうな。その家の中で家長である義父は絶対で、対して、その家を追い出されたら行くところがない彼女は圧倒的に無力で……粗筋だけで境遇を察する限り、確かに彼女には他に方法はなかっただろう、という気がする。それを「弱い」とか「卑怯」とか責めることは簡単だけれど、当事者ではない人間にそんな資格があるんだろうか?と思ってしまう程度の説得力はある。

 ふと、最近になってそんなことを思うのは、今こうして存在するわたし自身の命も、(積極的でないにせよ)どこかの誰かを犠牲<いけにえ>に差し出した上に成り立っているのかもしれないなぁ……なんて感じることが度々あるからだったり……。
 『ボトムズ』世代の人の親なら珍しくもないかも知れませんが、ウチの両親も戦前生まれで、母親の方は東京大空襲(3月の一番有名なヤツ)経験者です。当時、彼女は7歳だったそうなので、ほとんど覚えていないらしいですけどね。
 #一緒に逃げた姉(彼女も元気に存命中)に「伏せて」って引っ張られて、手をついたどこかの家の塀が熱くて火傷しそうだったことは記憶に残ってるそうですが。
 なんせ、ここしばらくTVのニュースをつければ「空爆」とか「空襲警報」なんて単語にことかかないご時勢でしたから、一緒にTVを見ている母親から、そんな話も聞いちゃったりして。で、わたしとしては、「ちょっとした偶然のさじ加減で、そもそもわたしはこの世に存在していなかったんだよなぁ……」なんてことを思うついでに、7歳の女の子が大人になって、結婚して子供を産んで65歳のババアになるまで生きのびるにあたっての、個人レベルではない「運命の分かれ道」なんてものにまで思いを馳せてしまったりして……

 爆弾の雨が降り、戦車が我が者顔で乗り込んで、更にとんでもない大騒動になってるどこかの国にも、「手をついた壁の熱さ」を覚えている7歳の女の子がいるのかな……いるんだろうな。でもってこの先、『火垂るの墓』のお兄ちゃんみたいな死に方する戦災孤児なんかも出るんだろうな……

 そんなことを考えてもなお、「たかがアニメ」のために他人を本気で恨み続けてるワタシって……って、ここで無限ループのウジウジに入ってもいいのですが、残念なことに、既に答えはでているのです(^^;;)。

 「世界が必要とする犠牲<いけにえ>が、自分や大切な人でないならば……」多大なる後ろめたさを感じながらも、己の日々のささやかな生活を守るために「見ないフリ」の選択をしてしまうワタシではあるけれど、でも、逆にもし、

 「世界のために、自分の大切な人が犠牲<いけにえ>になることを求められたら?」

 怒る。泣く。抗議する。呪う。
  ……それでも、もしかしたら、最後の最期には、諦めるかもしれない。
 「あなたの大切な人が死んでくれなければ、この地球と45億(だっけ?)の人間が滅びてしまいます」と言われてしまったら、引き替えになるものの大きさにびびって、「大切な人」の方を見殺しにしてしまうと思う。そして、後悔と後ろめたさを一生引きずって……それでも、生き残った自分だけは図々しくそれなりに幸せになって生きていくの。
 だけど、「フィアナやテイタニアの存在」と「『ボトムズ』の作品世界」だったら……今のわたしは、躊躇わずに前者を選ぶ。「たかがアニメ」だからこそ、 「自分にとって大切な人」と「(その作品の中の)全世界」を天秤にかけ、なおかつ前者を選ぶことが可能なんです。
 だから、あえて言う。「フィアナやテイタニアに死んでもらわなくては話が進まない」のならば、そんな世界、滅んでしまえ。続編など永久に作らんでもよろし。
 ちなみに私見を言っておけば、『ボトムズ』は、「キリコの傷を癒すために何人もの女の人生を踏み台にする必要がある」ような安っぽい物語じゃないと、『赫奕』を含めた今ですら、思っている。主人公やメインキャラ以外の誰もが好き勝手に生きて、時に利害が衝突して、場合によっては「不遇の死」によって物語から退場するコトもあったけれど、そうであったとしてもそのキャラの死は「そのキャラ自身のもの」であって、よしんば他の誰かの役に立ったとしても、それは「結果 」に過ぎない。言い換えると「キャラクター一人一人がそれぞれの人生を生きていた」イキイキした物語……なんですけどね。
 だから、「キリコの傷を癒すため等の理由でキャラクターの死が正当化される物語」というのは、ワタシにとっては既に『ボトムズ』ではない。滅んでしまえというまでもなく、既に滅んでしまった「残骸」だとも言える。

 その一方で、制作者自身が、せっかくの物語とキャラクターに宿ってる「生命」を無視して、「キリコ至上主義の同人誌」を作ろうとしてるように見えるのも……ジツを言えば、『ビッグバトル』や『野望のルーツ』あたりから、微かに感じてはいたけれど。それが行くところまで行っちゃったのが『赫奕』だったとも言えるかな。
 フィアナを死なせたことを怒っているんじゃない。「彼女の死」を、一人の人間の生き死に、人生を、「短い一生であったけれど、彼女は精一杯生きて死に、確かにこの世界の中に存在したんだよ」という敬意をもって表現するのではなく、「話が進まないから(あるいは「キリコのためだから」)、しょーがないじゃん、まあわかってよ」なんて、世の中なめきったナアナアの態度でいることが許せない。

 ……って、こんなこと、いくら言っても、一番わからせてやりたいヤツには絶対わからないんだけどね。情けないことに。


4/18 夕陽に向かって…

 巡回先のサイトで知ったエゴグラム(よーするに性格診断)なるものをやってみた。この手のテストって、オフラインの自分よりも「kayako」モードの状態でやった方が極端な結果が出て面白いので、今回もその路線で答えてみたら、結果はbcbac……。
 どーせわたしゃケダモノだよ(-_-;;)。悪かったな、ばかやろ〜〜〜っ!!<泣きながら走り去る


4/21 大阪『ペリクリーズ』が始まったんですね

 ここ数日、また『ペリクリーズ』関連の検索が増えたなあ……と思ってたら、『ペリクリーズ』の大阪公演が始まったんですね。巡回コースに入れている某ウチニスト様の日記によれば、大阪公演はカーテンコールありだとか?(初日と2日目だけかもしれませんが) いいなぁ……

 また、堤さん絡みの検索もパラパラとありましたが、どうしてかな? 大河の方ではもう3週も又八さんの出番がないから、禁断症状起こしてる方(同志よ!)がいらっしゃるのかな? ねぇ〜、又八さんが出ないと淋しいですよね〜。今週も、OPのキャスト見て、名前が出てこなかったところで「ま、いいか〜」って、思わず居間にiBook持ち込んでWeb巡回始めちゃいましたよ(爆)。
 #いや、パソコンの画面と並行して一応テレビの方も見てたんだけどね。
 まぁ、吉岡との決闘直後の武蔵とお通には、思わず「そんなに見つめて何が言いたい? そうさ、オレは無慈悲な人殺しさ」……等々、武蔵がやさぐれグレグレになってお酒に走ったり、「オレの、安息の場所は、戦いの中にしかないんだ!」っつって、ひたすら斬り合いに耽ったりとかしてくれないかな〜…なんて、ちょっと期待してワクワクしてたんですけどね(^^;;)。山歩きに寺籠もりに仏像彫り……って、健全なことで(^^;;)。んでもって、ロマンス絡みの方もアレだったし……。
 米倉の庶民的でタフなお通は結構気に入ってるワタシですが、キョンキョンの吉野太夫にはかなり異議があるぞ〜〜!! 隆慶一郎の『吉原御免状』が好きなわたしとしては、「剣豪と傾城<けいせい>」という組み合わせは結構ツボなんだけど、それだけにねぇ……。 武蔵役の新ちゃんの方がお肌がキレイというのはさておき、キョンキョンだとぜんぜん「華」とか「迫力」が感じられないんだもん。今じゃなく、全盛期のキョンキョンだったとしても、彼女のアイドルとしての「華」と太夫の「華」は別 種だと思うのよね。
 わたしとしては、元ヅカ、それも男役トップスター出身の方にして欲しかったなぁ。「浮世離れした気品と風格」とか「世界はワタシの為にあると信じているかのような圧倒的な自信」とかのある女優さん、っていうと、わたしの知る限りではそちら方面 になってしまう。天海祐希さん……だと、この前までやってた『利家とまつ』にかぶっちゃうか(^^;;)。んじゃ、涼風真世さんか一路真輝さんか……あるいは、もっと最近に退団した方でもよろしいですが……。
 巡回先のとあるサイトでは「いっそ、かたせ梨乃でも良かったのに」とありましたが……確かに(^^;;)。「迫力」と「自信」ならば、「なんてたってアイドル」よりは「極妻」の方が、「太夫」のそれに近いかもしれませんな。


4/23 戦場の『ペリクリーズ』略して「戦ペリ」

 またまた時空越え私信(^^;;):
 はい、さいたまではカーテンコールなかったんです〜。>某さん
 こちらの記事によると、元々「カーテンコールなし」が演出家の意向だったみたいですね。終幕、難民たちが一列に並んで、客席に向かって「役者たちのご挨拶」をするのが、その替わり…というか。観る側としても、「これは、平和な国の美しいホールで人気俳優たちが出演する芝居ではなく、どこかの国の戦場近くで、戦禍に深く傷ついた名も知れぬ人々が、切なる祈りをこめて演じた物語なんですよ」ってサインなんだろうな……と思うと、あまりカーテンコールを無理強いしてしまうのもためらわれたし……
 #と言いつつ、「あわよくば」の期待を捨てきれずに客電が入るまで拍手は続けましたが(^^;;)。
 話では、さいたまでも楽日だけはカーテンコールがあったらしいし、上記のアサヒの記事によると、ロンドンの2日目からはなし崩しに入れるようになっちゃったみたいですが(爆)。
 でも、「戦禍の中でひととき夢見る幸福な物語」の言わんとするところが、「こんな時代だからこそ、人は幸せな夢を見る」であり、「夢見ること」の方を強調するのならば、戦時下の状況が「現実」となっている観客には、「傷だらけの難民達」ではなく、「自国のおとぎ話を異国の言葉で演じる異国の俳優達」の笑顔のカーテンコールを届ける必要があったんじゃないかなぁ……なんて思うので、仕方ないですね(^^;;)。

 個人的には、さいたま公演の時点では、「夢見ることの肯定」よりも「戦争という『現実』の指摘」の方に重きが置かれているような印象があったんですけどね。「メメント・モリ(死を思え)」というか、「こういう悲劇があったんだよ。その悲劇は、今現在も、これからも続いているんだよ」の方にメッセージの主眼があるんじゃないのかな……って。
 事前に入手していた数少ない情報では、稽古時に想定していた「戦禍」は、もちろんイラクではなく、一昨年のアフガンだったようですし。あの後1年あまりを経て、メディアの情報量 が減って (≒人の記憶が薄れて)きた頃だったことを思うと、当初は「忘れるな」の方が強かったんじゃないかな……と。
 2度目に見た3/7のことですが、開演ギリギリ、ブザーも鳴ってから客席に入ろうとしたら、入り口前に、ボロボロの服を着た男の人が、杖とギブスの脚を投げ出して座っていたんですよ。「なぜこんなところに、こんな人が…」って一瞬ギョッとして、咄嗟に目をそらしつつドキドキしながら場内に入って、客席についたところで、「あ、あれ、スタンバイ中の俳優さん*だ」ってようやく気づいたのですが(^^;;)。目にした瞬間は、そうと気づかずに「ホンモノ」だと思いこんじゃったんですよね。
 *:冒頭、難民に扮した俳優達が客席通路を通って舞台に上がるところから芝居が始まるのです。
 あ、「ホンモノ」って、なんの「ホンモノ」かといいますとね……「傷痍軍人」っていうのかな、ご存じないですか? わたしは、子供の頃(かれこれ20年前だ)、浅草の酉の市とか羽子板市だとか、たまに銀座あたりでも時折見かけたのですが。屋台の列の中や繁華街の道ばたにですね、義手 or 義足(しばしば、顔や生身の部分の手足にもケロイド付)のおじいさんが座り込んでいたりするんですよ。たいてい、二人組で、片方がアコーディオンとかバンドネオンとかを演奏していたりするんですけど……。
 #だから、「物乞い」ではなく「大道芸人」になるのかなぁ、一応は。
 一度だけ、「(あの人たちは)お国の為にケガぁしただから」って父親に言われて、お金を渡しに行ったことがあったけど、怖くってね〜(^^;;)、極力先方を見ないようにして、お盆にお金(お札だったかコインだったかももう覚えていませんが)を放り込むようにして、親の処に逃げ戻った記憶があります。
 そんなにあちこち観劇サイトを回っているわけではないので、ワタシが見た「客電が落ちる前に場外でスタンバイに入ってた俳優さん」が演出家の計算の上のことなのか、そもそも実在したのかどうかすら(わたしの何かの見間違いかもしれないし)アヤシイのですが(爆)、もし、あれが「ボロボロの(扮装をした)俳優を開演前にあえて客の目に触れさせる」演出だったとしたら……それはやっぱり、カーテンコールを入れるわけにはいかなかっただろうな、と。

 追記:
  これを書いている途中で、いつも拝読している某ウチニスト様の観劇日記で、大阪楽のカーテンコールのレポートを拝見しました。Wお姫様抱っこですって!?  ああ、やっぱり羨ましい……
 さいたま楽から一ヶ月あまり、ロンドンの観客ほどではないにせよ、日本の観客にとっても「戦争」は身近な「現実」になってしまったが故の「とびきり楽しいカーテンコール」なのかな……と、ふと、考える。

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