3.太閤の夢の跡を訪ねて 豊国廟−新日吉神宮−豊国神社−方広寺
参考地図は下にあります。 |
豊国廟(ほうこくびょう) |
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まさに天国への階段...。この先に、太閤秀吉が眠る廟がある。
ここからは有料です大人50円、子供30円。
NHK大河ドラマ「秀吉」のオープニングは、この階段だったそうです。もう10年前、覚えている気がします?(笑)日吉丸が元気に駆け上がっていました(多分) |
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階段のスタ−トは上記写真の少し前のここから。
一体何段あるのか?家内が実測して結果を社務所で確認しました。
この階段34段。上の写真の階段が、踊り場があるので61.63.63.63.63の計313段。 |
さらに、この立派な門の奥に最後の階段。この門が4段で、最後は踊り場なしの一直線階段172段。
総合計。523段。
段数はHPでもいろいろ書いているが、実測と確認により、これが正解で〜す。
足が笑います。門のところに座っている方は、結局あきらめて降りられました。 |
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ようやくたどり着きました。
東山三十六峰のひとつ、阿弥陀ヶ峰 標高196mの山頂です。標高も異説があるようですが、実測してません。(笑)
秀吉の死後、遺言によりここに建てられたが、家康により壊された。明治31年(1898)秀吉の300年祭に際し再建された。
残念ながら周りは木が茂るに任せてあるので眺望は出来ない。
登ったご褒美に、是非眺望出来るように整備願いたい物だ。 |
阿弥陀ヶ峰
中央の小高い山
山の麓の白い建物群は京都女子学園
京都タワーから撮影 |
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女坂
豊国廟への参道は、智積院と妙法院の間が起点である。参道は結構急な坂道、これを通称「女坂」というらしい。
参道途中に京都女子学園がある。
幼稚園から大学院までが広大な敷地に広がる。
通学時間は、それこそ女ばかりだろうな..。
写真は校舎の一部。 |
プリンセス ライン
京都女子学園へ行くバス。京阪七条と京都駅八条口に行く。
女の子が乗るから、プリンセス.ライン。いいネーミングです。(男の子も乗れます) |
新日吉神宮(いまひえじんぐう) |
創立は後白河天皇という由緒ある社。
当初は大きかったが、室町時代には衰えてきた。
秀吉により、祥雲寺、豊国社として敷地を取り上げられたが、徳川になり復活するも、明治に豊国廟再建、その参道の為に敷地が減った。 |
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楼門
豊国廟の参道途中、鳥居の横の小道を抜けると、この楼門。参道がまったくない。歴史の悲哀を感じる。 |
拝殿 |
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本殿 |
何故か猿が閉じこめられている |
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境内社の豊国神社
豊国廟社がとり壊された時に、秀吉の遺体を遷したと言われる。当時は、樹下社(このもとのやしろ)と呼んだ。木下と読めなくもない。おおぴらっに祀れなくなった先人の知恵? |
境内のスダジイ(ブナ科シイノキ属)
京都市指定保存樹
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豊国神社(とよくにじんじゃ) |
京都では「ほうこくさん」という。春先に京都でタクシーに乗ったときに、京都の桜の隠れた名所が、「ほうこくさん」と教えて貰った。残念ながら桜には間に合わなかった。
秀吉は阿弥陀ヶ峰に埋葬されたが、翌年山腹に「豊国社」という社殿が出来た。境内30万坪という壮大な物であったが、徳川により、完全に破却された。明治13年、旧方広寺大仏殿跡地、現在地に再建された。 |
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鳥居 |
参道 |
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唐門 国宝
伏見城の遺構 |
唐門の勅額
「豊国大明神」の文字
秀吉は後陽成天皇により、「豊国大明神」の神号を与えられ神として祀られることになった。
豊国社伝来の勅額は、天皇の御晨筆。 |
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ひょうたんの絵馬
著名人の分は額に入れて飾られている。 |
宝物館 |
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宝物館 内部 |
馬塚 宝物館の裏にある。
旧豊国社が取り壊された後、代拝所として移霊したもの、隠れて拝むために地名から馬塚と名付けられたらしい。今は傍らにバイクが放置してあったりして恵まれてない。 |
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朱印 |
方広寺(ほうこうじ) |
方広寺は天正14年(1586)、豊臣秀吉が奈良の東大寺にならって大仏建立をこころざし、造営を開始したのがはじまり。1595年、ほぼ大仏殿が完成し高さ6丈(約18メートル)の木製金漆塗座像が安置されますが、翌年、大地震のため大仏は大破する。奈良の大仏よりも大きかったと言われている。そして1598年秀吉はなくなるが秀頼が大仏復興を命じ再建が開始されます。1612年、ようやく銅造大仏が完成。大仏殿は、豊臣家滅亡後も破却されずに残りましたが、1798年、落雷によって焼失。京都から大仏がなくなった。 |
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有名な国家安康の鐘の鐘楼
今、寺に残るのは、これだけ。高さ4.2m、外形2.8m、厚さ0.27m、重さは82.7トン |
国家安康 と君臣豊楽 の部分は白く塗ってくれている。
これが豊臣家滅亡の入り口となる。 |
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大仏殿の石垣
大阪城に使うような巨大な石がたくさん使われている。大仏殿は東西約55m、南北約90mの規模であった。この石垣の隣が京都国立博物館。 |
大仏前交番
京都国立博物館手前の交差点にある交番。
こうして名前だけでも残っているのがうれしいですね。
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