我が町 熊取町
 
エスニック
1.私と熊取町
結婚後間もない、昭和55年8月(1980年)に、熊取町に移り住みました。
すでに故郷.和歌山市より長く住んだことになり、まさに第二の故郷です。その分、町に対する愛着も深くなっています。
当時は「小垣内(おがいと)」という由緒深い住居表示でしたが、今は「希望が丘」と少し、オシャレになりました。
2.熊取町て何処?
残念ながら「熊取町」は、まだまだ世の中に(?)知られていません。
大阪府にあるとことさえ知らないという人と会うと、がっくりくるものです。
(地図の赤十字の場所)
まず、「何処にあるの?」ということですが。大阪の中心からは約35KM。大阪府の南部の貝塚市、泉佐野市に挟まれています。泉南郡熊取町です。
熊取町の表玄関は、JR阪和線の熊取駅(天王寺から32分、快速停車駅)です。車では国道170号(大阪外環状線)が町内を横切り、高速道路は、東側から阪和自動車道(貝塚I/C)西側からは湾岸自動車道(泉佐野北I/C)です。いずれからも10分程で町の中心に到達出来ます。
又、関西空港には熊取駅からJRで15分という近さなので「パリに近い町(?)」です。その証拠に最近、我が家に入る住宅販売のパンフレットには「ヨ−ロッパ感覚の町、熊取...」なんて書いています。(笑)東西約4.8KM、南北約7.8KMの広さですが、市街化調整区域(いわゆる住宅を規制している地域)が50%もあります。
東に和泉山脈の山麓がひろがり、町内を流れる3本の川(見出川、雨山川、住吉川)、が大阪湾に流れ、農業用のため池がところどころにある。
そんな雰囲気で、当分、緑多き町が維持できそうです。
3.熊取町の歴史
「熊が出るのですか?」
「熊の猟師が住んでいたのですか?」
こんな質問にも慣れてきました。「だと...面白いね..」と応えられるようになったのです。地名の由来については、諸説あるようですが、今一番のお気に入りを紹介します。
平安時代後期に後白河法皇が和歌山の熊野神宮へのお詣りの途中に、お泊まりになるお宿があった。そこで、「熊野泊まり」から転じて「熊取」と名付けたという。この説の有力なところは、今も当時の行宮(仮設の御所)であった中家の住居は、重要文化財に指定され残っています。
一方、この説の少しあやしいところは、
平安時代初期に桓武天皇が「熊取野」で遊猟(熊を獲ったとは書いてない)されたという話がある。(熊取町のホ−ムペ−ジ参照)そうすると、その時、もう「熊取」だったことになる。(?)
町の木と花
町の木 「梅」
中家住宅の中庭の梅
《昭和51(1976年)年5月1日選定》
町の花「ひまわり」
外環状沿いに、毎年子供達が植えてる
《昭和51(1976年)年5月1日選定》
   
  町の鳥「メジロ」 
撮影は熊取町内の「大原池」ついに地元で撮れました2015.2.16
ブログはここ ご近所 散歩  ついにメジロ発見
《平成23年(2011年)4月11日選定》
4.熊取町の名所
JR熊取駅の案内板によると熊取町の名所は

降井家書院
中家住宅
来迎寺
雨山城跡
奥山.雨山自然公園及び永楽ダム
JR西日本のスタンプ。


5.熊取町の自慢     たくさんある中の、私好みの特選です。
(1)奥山雨山自然公園(永楽ダム)
【夏の永楽ダム】
「大阪のみどりの百選」に選ばれている、森林公園です。約130haの広さ。
【春の永楽ダム】
ダム一周約2kmは朝から散策やランニングする人が多い。桜のおすすめスポットです。−14.3.30−
2012.4.9 永楽ダムの桜
【秋の永楽ダム】は、こちら 2009.11  
(2)長池オアシス ここ
(3)ジャンプ君
ジャンプ君テレビ出演2011.9
みんなで応援しょう! ジャンプ君とメジーナちゃん ゆるキャラグランプリ2013
熊取町のマスコット

左がジャンプ君
 「ジャンプ君」は、もともと町制施行35周年(昭和61年(1986年))記念事業のマスコットとして登場しましたが、平成8年(1996年)に、町内在住のデザイナーのご協力によりデザインを一新し、新しく誕生しました。

右は今年から登場の メジーナちゃん

町制施行60周年(平成23年(2011年))を記念し選定された、「町の鳥『メジロ』」がモチーフのマスコットキャラクターです。 町の花『ひまわり』の帽子と町の木『梅』の花のポシェットがトレードマークの元気な女の子です。

2012.7.7 煉瓦館の七夕まつりで撮影
町内の下水道のマンホ−ルの蓋にもデザインされています。下を見て歩くと出会えます。

以前の写真 ひまわりが不鮮明でした
 
kazu_sanのマンホールのホームページは ここ
撮影は2018.4. 長池オアシス
熊取町のマンホールカート゜がついに出ました
ブログは ここ
左の写真は、阪和自動車道の表示板です。阪和自動車道は熊取町を少しだけ横断します。
バックは熊取町の町章です。周りにカタカナの「マ」が9つこれで「クマ」中が、「り」が10個で
「トリ」
なかなか良く出来ています。
マスコットのストラップ

熊取駅前の駅下にぎわい館で販売してます
(4)地酒
「一等国」という地酒があります。義本本家酒造(有)(小垣内にある)が作っています。
写真は、「純米酒」、米は五百万石。これはおいしいですよ。
現在(16年6月)は醸造を中断されています。現在も外壁は写真のように保存されています。主な敷地には老人ホームが建っています。
一等国が復活しました。新生 一等国 (ブログ)
(5)美人姉妹 
美人姉妹のソプラノの夕べ(熊取町公民館)
渡邊美智子(26)さんと早貴子(24)さんの姉妹のコン−サ−トに行った。お二人は熊取ニュ−タウンにお住まいでご近所である。家内の友人のTさんの夫君の姪御さん。長男と早貴子さんは同級生というだけの間柄です。(笑)
二人とも相愛大学専攻科卒。330名位収容の会場は満席。「夏の思い出」「小さい秋みつけた」といくつかの童謡が続き、アヴェマリアの競演。姉はカッチ−ニ、妹はマスカ−ニ。いい雰囲気。お姉さんの方が声量に余裕を感じる。後半はオペラなので、私は苦手(笑)お姉さんの「ウイーン我が夢のまち」 作曲 Rudolf Sieczynski はソプラノの色気の魅力たっぷり、右手をピアノに置く姿も堂に入った物。妹さんのドヴォルザ−クの「月に寄せる歌」も熱演。ピアノの井之元加奈さん(24)も同じ相愛大。きゃしゃな体型ながら音は力強い。日頃はラウンジのピアノしか聞いてないせいか(笑)、スコアから一時も目をはなさい姿は新鮮に映る。音は清冽−余分な狎れがない。終わりの方のメドレ−での「春の小川」「雪」の演奏は、まさに「ワクワクするような音」もう一度聴きたくなる、美人故に、良く聞こえるのかも知れないが..。アンコ−ルと挨拶の後は、「荒城の月」、かなりアレンジしているが楽しい。音楽は不得意科目な私でも楽しい夕べであった。この若い美人3人が世界に羽ばたく日が楽しみ。
15.9.7。

お二人のHP
2008.8.2 渡邊美智子さんコンサート
2008.12.12 コンサート 渡邊早貴子さん
2009.4.4 姉妹のソブラノコンサート 熊取町
2009.9.20 ギターとソプラノの夕べ
(6)中家住宅 
中家(なかけ)は平安時代に後白河法皇が熊野行幸の時に立ち寄り行宮(仮御所)とした旧家。
重要文化財。現存の建物は江戸時代の物。現在一般に公開されている。入場料無料。本日は冷たい麦茶の接待まで受けた。
表門 唐門
後白河法皇を迎えたという由来によって建てられた。
主屋
入母屋造り、茅葺き。本瓦の庇。
土間
広い土間。梁もしっかりしています。
(7)子供達に宇宙への夢を
東大大学院理学系研究科で地球惑星科学を専攻。大学院生として2年間、宇宙航空研究開発機構(JAXA)では宇宙探査機「はやぶさ」の軌道修正や後継機の開発(はやぶさ2)、小惑星の調査に携わった山本恭子さんは、故郷熊取町に戻って熊取町の役場に勤務しながら、大阪府を中心に講演会をこなしており、子供達に宇宙への夢を語っています。いつか熊取町から宇宙飛行士が誕生するかも知れない。
堺ソフィアで講演する山本恭子さん
講演会の模様
「はやぶさ」講演会 講師山本恭子さん
山本さんの企画 図書館でプラネタリウム
宇宙探査機「はやぶさ」の1/2模型
はやぶさの初歩的な知識をまとめてみました。

6.煉瓦館
旧中林綿布工場の跡。明治時代の建物。2006.11から、熊取町の「交流センター」として開館。
住民の生涯学習活動や交流活動を支援する目的とのことです。
 
レストランやお土産店もあります 旧受電室 レンガはオランダ積みというようです
今は、モニュメントとして入り口を飾っています
旧汽かん室 ボイラーがあったところです。
今はロビー等があります
ランカシャ ボイラー 
現在は二つに切ってベンチになっています。
上質な綿を作るためには、湿度を一定に保つ必要があり、そのためのボイラーです。
館内では、いろんな展示会も行われています。これは和凧の展示、全国の和凧が展示されていました。泉州地区のコーナー。個人の作品展や各種の教室も盛んに行われています。 常設展示。これが熊取町全景です。これはなかなかいい。左側の道路が外環状。熊取駅は中央下。是非煉瓦館でご覧ください。
ジャズコンサート 2007.4.1
14時〜15時と僅かな時間でしたが無料コンサートです。

宇根崎 緑(vo)、高橋玲奈(pf)、宇根崎博信(b)。
ヴォーカルの宇根崎 緑さんは、熊取町在住20年、地元でのコンサートです。
ベースの宇根崎博信さんとご夫婦。「婦唱夫随」(笑)とご自身のブログで言われてます。背丈も大分違うな〜。(笑)
緑さんのお話は明るく楽しく、あっと言う間に終わりました。メンバー紹介で照れながら、ご主人を紹介してたのが印象的でした。
ナット・キング・コールの「L.O.V.E」良かったですね。この曲は、「ありがとう。みんな、愛しているよ」がメッセージです。
煉瓦館での催し
2007.4.1 2007年新春コンサート(TMPロウブラスカルテット)  
2008.2.9 美術部員の労作見て  
2008.3.16 煉瓦館 アート展に出展   
2008.5.24 青葉台 写友会作品展 大和さん出展  
2009.3.18 煉瓦館アート展2009に出展      
2010.3.14 煉瓦館アート展へ出展2010 2010 熊取町写真コンクール
2011.3.13 煉瓦館アート展出展2011 2011 熊取町写真コンクール
2012.7.7 七夕in煉瓦館 2012 熊取町写真コンクール
2013.8.31   2013 熊取町写真コンクール
2014.8.31   2014 熊取町写真コンクール
2015.3.8 煉瓦館アート展2015 2015 熊取町写真コンクール

7.大森神社
熊取総社。祭神は事代主命及び菅原道真公。祭礼が「くまとり だんじり祭り」
大森神社は、ここ
8.大体大優勝
大体大悲願の初V
大阪体育大学は2006.6.13全日本大学野球選手権大会において、青学大を降して12回目の出場で初優勝を飾った。関西勢の優勝は98年の近大以来。
早速、熊取駅にはお祝いの垂れ幕が出ました。駅で配られたのが、この号外です。
大体大は巨人の上原投手の母校です。上原のお祝いの言葉は「強い大学が勝つのではなく、勝った大学が強いと言うこと」
是非、専用グランド作ってあげてください。
9.来迎寺
山号は円覚山。曹洞宗。重要文化財 本堂 - 鎌倉時代、寄棟造、本瓦葺き。
そんなにびっくりするほどの名所でもないけれど...。
例年文化祭(2007.11.3〜4)には、本堂が公開されます 本堂内
天井の梁は、エビ虹梁。柱はややエンタシス。立派な物である。
須弥壇。宗紋は曹洞宗なので、永平寺と同じ、久我龍胆(こがりんどう)。 瓦は、行基葺。
立て札には、「日本三建造物」の表記がある。以前から謎の一つであったが、本日の説明によると、鎌倉時代の建物で行基葺を使っている建物ということらしい。
後の二つは。
孝恩寺観音堂(釘無堂) 国宝(大阪.貝塚)
元興寺本堂 国宝(奈良)
なお、立て札には、「国宝」の表記があるが、昭和25年以前の旧法による国宝とのこと。
10.隆井家(ふるいけ)書院
重要文化財
隆井家は、中家と共に、熊取町の豪族であった。
これは表門。
書院は、文化祭の時等に公開される。2007.11.3〜4は、各2時間のみの公開。建物は8帖の上段の間と12帖の次の間。数寄屋風の書院造り。
写真撮影禁止に付き書院の写真はない。外観撮影もだめという頑なさは、何故か理解に苦しむ。

11.雪の熊取町
2018年は珍しく3回も雪が降った
2018.1.11、2018.2.12、2018、2.13 ブログはここ 熊取にも雪 , またまた雪  熊取町
2018.1.11 2018.1.11
2018.2.13 2018.2.13
2016.1.24 ブログは ここ 熊取にも初雪が降りました
2014.2.14
つい先日雪が降ったばかりなのに、また雪が降った 雪のバレンタインデーだ。
午前7時50分 道路にも雪が
午後3時山の方の雪は見えない 近くの熊取北中学の校庭
2014.2.7〜8


珍しく熊取に雪が降った
2/7の夜9時頃から降り始め結構積もった。写真撮影のために
明るくなるのを待ってると溶け始めた。
写真は2/8の午前6時40分頃。昨夜積もった道路の雪は、すでに溶けていた。残念。
2011.2.14 又雪が積もった
熊取駅 まるで雪国のローカル線のよう 図書館のアプローチ 雪のサクラ(?)の雰囲気
2011.2.11 3年振りに雪が積もった
外環状沿い 我が家の庭
2008.2.9 珍しく熊取町に雪が降った
煉瓦館 煉瓦館
まるで雪国 我が家の庭

12.熊取町のヒーロー
北京オリンピック
2008年8月8日から8月24日に開催
熊取駅の北京オリッピック応援です。
上山容弘君
トランポリン競技の選手。
大阪体育大学大学院(熊取町)在学中。
結果は個人 予選9位でした。
沖口誠君
体操選手
熊取町出身。なんと町内会です(会ったことないけれど(笑))。
結果、団体2位 銀メダル獲得
2011世界体操 2011.10
日本男子は団体総合で銀。
金2(個人総合・内村航平,ゆか・内村航平)、銀1(団体)、銅4(個人総合・山室光史,つり輪・山室光史,跳馬・沖口誠、鉄棒・内村航平)の計7個のメダルを獲得

 跳馬で沖口誠(熊取町)は16.291点で3位となり、五輪、世界選手権の個人種目で自身初のメダルを手にした。この種目での日本人のメダル獲得は、1991年インディアナポリス大会の相原豊の銅メダル以来。

13.七山神社(坂口神社)
七山にあります。七山病院の近く。七山の「だんじり庫」のすぐ近くです。
説明版によると、天平15年(743年)創祀(奈良の大仏の建立の詔が出た年です)当時は藤原氏の荘園で七里村と呼ばれた。春日大社を祀り、中世には宇佐八幡を、江戸時代には岸和田藩の氏神を祀り、地元の神社として続いてきた。
現在、小さな祠だけがある、直ぐ後ろは道路になっている。
平成13年に発行された、「夢のなる樹」という広報誌に掲載されていました。



エスニック