紀伊半島南部をぐるっと
車で
熊野三山


熊野の象徴 八咫烏
2004年に、「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に選ばれた。
百寺巡礼の「青岸渡寺」が第6巻関西編でひとつだけ残ってしまった。
熊野は18年前に行ったが...。
そんなこんなで、再訪の機会を窺っていて今回実現した。

熊野を中心に、紀伊半島をぐるっと回る旅。走行距離448KM。約12時間のドライブだ。
熊野へのアプローチは、紀伊路(紀伊路は世界遺産に登録されていない)と伊勢路と高野山からの小辺路の3つがある。
今回は、紀伊路から中辺路を通り大辺路に出て紀伊路に戻る。
紀伊半島の南部をぐるっと回るコースである。(下記地図参照)
当然ながら古道と車道は違うので「大体そのようなコース」と言うのが正しい。(笑)

熊野へ参るには
紀伊路と伊勢路のどれ近し どれ遠し
広大慈悲の道なれば 紀伊路も伊勢路も遠からず  (梁塵秘抄より)



旅の中心は、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、那智大社)だ。熊野詣は、後白河法皇が33回と天皇の中での最多回数を誇る。一般的に、天皇は在位中は伊勢行幸で、退位して法皇になると熊野詣であった。
江戸時代には伊勢詣と共に一般庶民も数多くお参りしたと言われている。
明治の神仏分離令により、神社の数が激減し、衰退していたが、世界遺産の認定により人気が出てきた。

熊野三山に参詣すれば、過去の罪悪は解消され、現世のご利益も来世の極楽往生もすべて約束される。
というありがたいことになる。
KM 出発 自宅 早朝出発
97   みなべ インター 阪和自動車道が「みなべ」まで延長されている。ETCの割引制度で、半額。往復で2,900円はラッキー。
47 道の駅 熊野古道中辺路 開店前でした。
24 熊野本宮大社 日本一の大鳥居
20 道の駅 瀞峡街道熊野川 木工品が一杯
15 熊野速玉大社 全国数千社の熊野神社の総本宮
14 補陀洛山寺 悲しい物語のお寺です
青岸渡寺、那智大社、那智の滝 百寺巡礼のお寺に掲載
39 橋杭岩 奇勝
26 cafe PANORAMA おしゃれな喫茶店
157   帰宅  


上記の「図」の番号と対応してます(大体ですが...)


SPOT
道の駅 熊野古道中辺路
ここは、「古道」への入り口でもある。少し古道の雰囲気を味わった。
熊野本宮大社
熊野三山の筆頭であり、最初にお参りするのが、基本である。今回は、その順序になった。
鳥居 参道
本宮の神門 「人生の出発(たびだち)の地」の幕がかかっている。 社殿。左隣より小さいが、この正面にあるのが、本社殿。(スサノオノミコト)を祀っている。
第一殿・第二殿の相殿(あいどの) 参道の隣に古道が残っている。「祈りの道」と名付けられている。
歩いて見ました。小雨なので石段は滑りやすい。 大鳥居
鳥居から5分程歩くと、日本一の大鳥居がある。
2000年5月11日に竣工。高さ34m、幅42mは、奈良の大神神社の鳥居を上回る。
大鳥居の中央には、やたがらす。
3本の足が確認出来ます。
旧社地・大斎原(おおゆのはら)
旧社地・大斎原(おおゆのはら)
大鳥居の広い場所は、旧社地であり聖地である。明治22年の熊野川の大洪水で社殿が流され、現在の社地に移動した。
熊野川
かなり上流だが、川幅は広い。砂州が広がっている。
道の駅 瀞峡(どろきょう)街道熊野川
「かあちゃんの店」
コンビニやホームセンターの役割も持っているようだ。
「かあちゃんの店」店内。
杉の切り株を買いました。高さ350mm。底辺の最長直径は325mm。これで何をする?これから考えます(笑)
地酒 尾崎酒造
吟醸酒「熊野三山」と純米酒「くまの那智の滝」。「熊野三山」は山田錦と熊野川の伏流水。うまそう。
ふくろう。
お店の女の子に素材は何?て聞くと、「象牙」の角の部分ですと。それはないやろと聞くと、業者のパンフレットに書いてあるとのこと。中は加工してくりぬいてあるが、プラスチックか、ひょっとして水牛かな?
熊野速玉大社
参道入り口 ナギ(梛)の大樹 国指定特別記念物
高さ20m幹周り6m。平清盛の嫡男、平重盛の手植えと伝わる。
神宝館
国宝が一杯あります。採絵檜扇、手箱−内用品も完全に揃っているのは、初めて見ました。等々。
手水の龍も朱色が入っている。とにかく周りは、朱色ばっかり
手水のところにあるのが、ナギ(梛)の「メン」実が落ちているとしたら、ここ。見つからなかった。 神門
神門 社殿がズラッと並びます。圧倒されます。
社殿 拝殿
拝殿からちょっと覗いて見ました。 おみくじ 写真のような可愛いファスナー付き−鈴も付いてる−の袋に入ってます。家内が引きましたが、「大吉」袋の中には、石が入ってます。これは「アラゴナイト」という石らしい。
補陀洛山寺
「補陀洛渡海」で知られる寺である。
「補陀洛渡海」とは、中世日本では、はるか南洋上に「補陀洛(観音浄土)」が存在すると信じられ、これを目指して船出することを「補陀洛渡海」と称した。
記録に残る40件の内、25件が、ここから出ている。初期は信仰心から来る儀礼として、捨身行の一つであった。江戸時代には住職などの遺体を渡海船に載せて水葬するという形に変化したようである。
船上に造られた屋形には扉が無い。屋形に人が入ると、出入り口に板が嵌め込まれ外から釘が打たれ固定される。井上靖の本については、下記参照してください。
ありました。この船ですね。 狭い。本当に一人が座るだけで一杯。
こんな事を考える人間て、非情ですよね。悲しくなります。
本堂 入り口
青岸渡寺に行く途中
「ルドベキア」を植えてるお家がありました。
素晴らしい。残念なことに立ち入り禁止の札。どうぞ見て下さいの気持ちが欲しいね。惜しい。
ルドベキアのアップ
橋杭岩
橋杭岩(はしぐいいわ)は和歌山県東牟婁郡串本町の観光名所で吉野熊野国立公園に属している。
一列におよそ850メートル、大小約40の岩が連続してそそり立っておりその姿が橋の杭のように見えることから名付けられた。
橋杭岩 全景
42号線を走ってると似たような風景は一杯ありますが...。 ハイビスカス
ハイビスカスと橋杭岩 ハイビスカスと橋杭岩
cafe PANORAMA
42号線、コーヒーを求めて車を走らせて、素晴らしいお店に出会いました。
cafe PANORAMA
おしゃれですね。禁煙表示にたじろぎますが。
すさみ町江住中。
テラスからの風景、晴れていれば、潮岬が見えるとか。
窓際のテーブルからの景色。窓も開け放して、テーブルから波の音と共に優雅なコーヒータイムです。500円は、大阪では英国屋並みです。リッツカールトンの半額だから、まあ、いいか? ディプラデニア

他には、黄色のハイビスカスもありました。

朱印

熊野本宮大社 熊野速玉大社 補陀洛山寺

補陀落(ふだらく)渡海記
「楼蘭」 井上靖 新潮文庫 昭和43年1月25日 発行 59版 平成18年10月20日
この本は短編集で、その中に 「補陀落(ふだらく)渡海記」がある。
現在は、お寺の名前も含め、「補陀洛」と表記されている。文庫で32ページの短編である。
熊野補陀落寺の代々の住職には、六十一歳の十一月に観音浄土をめざし生きながら舟に乗って、海に出て、往生を願う「補陀落渡海」の慣わしがあった。
16世紀後半、金光坊という僧が渡海に出たものの、途中で屋形から脱出して付近の島に上陸してしまい、たちまち捕らえられて海に投げ込まれるという事件が起こった。
それを題材にして、井上靖が書いたのが、この本である。

自分ではまったくその気がなかったのに周囲から追い詰められ、逃れられない。
老いた住職金光坊の、死に向う恐怖と葛藤が書かれている。一度は助かった金光坊をあらためて舟に乗せるのを見送ったのは若い僧の清源であった。事件以後、補陀落寺の住職がなくなった時にのみ、その死体を補陀落渡海として行われることになった。
ただ一つの例外として生きながら、補陀落渡海した人がある。
清源、30歳であった。清源のその時の心境がいかなるものであったか。それを知る手がかりは何一つ今に残されていない。
さすが、井上靖という本である。


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