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天王寺七坂 |
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大阪市の中心部を南北に走る上町台地には数々の坂があり、特に天王寺区の坂は歴史的由緒が伝えられています。 真言坂、源聖寺坂、口縄坂、愛染坂、清水坂、天神坂、逢坂をいわゆる「天王寺七坂」と呼びます。 最近では、大阪夕陽丘学園のある学園坂を入れて天王寺八坂といい、大阪ミュージアムに選定されています。 地下鉄では谷町九丁目駅から四天王寺夕陽ケ丘駅、そして天王寺駅の間です。松屋町筋と谷町筋に囲まれた一画。 谷町九丁目駅から一心寺まで、直線なら、わずか1.8kmですが、坂を上がったり下りたり、周辺のお寺を拝観したりすると結構な距離です。団体の歴史探訪会風や女性の2〜3人連れが目立つ。 天王寺区には200余りの寺院があると言われてますが、ここらも密集してます。 風情のある大阪の歴史散歩道です。 |
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真言坂 | 源聖寺坂 | 口縄坂 | 愛染坂 |
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清水坂 | 天神坂 | 逢坂 | 学園坂(八坂目です) |
SPOT | |
1.真言坂(しんごんざか) *生國魂神社 *齢延寺 *銀山寺 |
千日前通りから生國魂神社北門までの坂道。 千日前通りが出来るまでは、通りの向こうの高津宮(ここ)までの坂道だった。 生國魂神社の近くには、生玉六坊と言われた真言宗ばかりのお寺があったのが坂の名前の謂われ。 |
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真言坂 | 生國魂(いくたま)神社の北門 生國魂神社はここ |
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天王寺七坂巡りの表示板 これに沿っていくと迷わない(?) 私達は地図を頼りに行ったので確認出来てませんが、時々出会いました。 |
齢延寺 東通用門 |
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齢延寺 本堂 団体が拝観してました。 |
齢延寺 山門 立派ですね。 曹洞宗の寺院、山号は生魂山。 元和9年(1620)に志摩国鳥羽の領主・稲垣重種が父母の菩提の為に真田山に建立。寛永9年(1632)に現在地へ移転。 境内墓地には儒学者の藤沢南岳(「通天閣」の命名者)の墓がある。石碑の藤沢東がく先生というのは父親である。 |
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銀山寺 近松門左衛門の「心中宵庚申」にでてくるお千代・半兵衛の墓がある。 残念ながら門は閉まってました。 |
銀山寺 境内 |
2.源聖寺坂(げんしょうじざか) *源聖寺 *心光寺 *光傳寺 *吉祥寺 |
天王寺区下寺町一丁目源聖寺の南側から生玉寺町に至る坂です。この坂は登り口に源聖寺がある。 |
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源聖寺坂 趣のある坂だ。 |
源聖寺 |
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心光寺 松屋町筋にはいくつもの寺が並ぶ |
心光寺 本堂 浄土宗。インド風の本堂である。1929年建立。 |
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光傳寺 「この窓の奥に見えるのは・・・・・」 たくさんの寺が並ぶ中、立て札とこの窓は目立ちます |
光傳寺 窓の奥に見えたのは、淡島明神です。和歌山の淡島神社の分社。淡島神社は、ここ 大阪では「アワシマハン」です。 |
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吉祥寺 曹洞宗の寺院。山号は万松山 折角ここまで来たのだからということで寄り道。 学園坂(天王寺 八坂のひとつ)を登って谷町筋を渡って、赤穂浪士ファンには見逃せないお寺です。 塀の意匠が目を引き付けます。 |
吉祥寺 大石内蔵助の石像が迎えてくれる。 |
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赤穂四十七義士の墓 中央は浅野内匠頭、向って右が内蔵助、左が主税。 元々浅野家の菩提寺だった。寺伝によると、寺坂吉右衛門が彼らの冥福を祈る為に碑を建てて欲しいと、義士の遺品に十両を添えて頼みに来たということ。寺坂吉右衛門というのは、47人中唯一切腹の記録のないひと。こういうことも、仕事のひとつだったのかも。 |
赤穂四十七義士の石像。 いろんな姿をしています。 |
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寺坂吉右衛門については、諸説ある。 討ち入りの参加の有無等、唯一足軽身分だったことも切腹をまぬがれたのかも知れない。 いずれにしても、赤穂四十七義士 でいいのではないかと言うのが私見である。 江戸幕府に遠い大阪で、最初のお墓が出来たのも、大阪人としてはうれしいことです。 ブログ吉祥寺 天王寺 |
中央の二人をアップで。 | |
3.口縄坂(くちなわざか) *織田作之助の文学碑 *藤原家隆顕彰碑 |
天王寺区下寺町二丁目、稱名寺の北側から東へ登る坂。 前後の道はそのまま西側は松屋町筋、東側は谷町筋(地下鉄四天王寺前夕陽ヶ丘駅付近)につながっている。 「口縄」とは大阪の古い言葉で「蛇」のことであり、坂の下から道を眺めると、起伏が蛇に似ていることからそう呼ばれるようになったとされている。 「大阪みどりの百選」に選ばれているので以前に来たことがある。 |
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口縄坂 |
織田作之助の文学碑があり、彼の著書である『木の都』の一節が刻まれている。 また、織田作之助が七坂の内、一番愛した坂でもある。 「口縄坂は寒々と木が枯れて、白い風が走つていた。私は石段を降りて行きながら、もうこの坂を登り降りすることも当分あるまいと思つた。青春の回想の甘さは終り、新しい現実が私に向き直つて来たように思われた。風は木の梢にはげしく突っかかっていた」 |
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猫を多く見かける坂だ。 | 藤原家隆顕彰碑 鎌倉時代の歌人。晩年大阪湾の夕陽を見て極楽往生することを望み、ここに住んだと言われる。 代表的な歌。 契りあれば難波(なにわ)の里に宿りきて波の入日を拝みつるかな ブログ 家隆塚〔藤原家隆の墓〕) |
4.愛染坂(あいぜんざか) *勝鬘院 *大江神社 |
大江神社のところから登り始め、勝鬘院(愛染堂)のところから急坂になる。 |
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愛染坂 | 勝鬘院(しょうまんいん)。和宗(四天王寺)の寺院。四天王寺別院。山号は荒陵山。本尊は愛染明王で、愛染堂とも呼ばれる。 |
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勝鬘院 本堂 聖徳太子が開いた施薬院に始まると伝えられる 愛染さんと呼ばれている |
勝鬘院 多宝塔(重要文化財) 推古天皇元年(593年)、聖徳太子の創建。慶長2年(1597年)、豊臣秀吉により再建。高さ22m 大阪市内最古の建造物。 |
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勝鬘院 哲学の椅子 座ってみたけれど・・・ | 勝鬘院 朱印 ブログ 愛染まつり 愛染堂 天王寺 |
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大江神社の参道 愛染坂と並行してある。百歳の階段(ももとせのかいだん)、説明板によると、この階段は、百一段あり、人生の区切りの百歳よりあともう一歩 心も身体も健康でありますようにと願いを込めて名づけました。一歩、一歩踏みしめて神様にお参りしましょう。 |
大江神社 拝殿 |
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夕陽岡の碑 その昔、直ぐ近くが海だった。海に沈む夕陽が素晴らしかったらしい。夕陽ヶ丘という美しい地名が付いてる。 |
今は、こんな感じです。通天閣が見えます。 |
5.清水坂(きよみずざか) *清水寺 |
天王寺区伶人町の清水寺(きよみずでら)の北側に位置している坂です。 |
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清水坂 | 清水寺 山号は有栖山 四天王寺の支院。改築中とのこと。一応山門? 直ぐに墓地が広がる。 |
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清水寺 舞台 京都の清水寺の清水の舞台を意識した命名。 天王寺地区が見渡せる。通天閣も見えます。 |
玉出の滝 京都の清水寺の音羽の滝と似てますね(笑) 京都清水寺はここ 大阪市内唯一の天然の滝-源は四天王寺の池の湧き水とのこと。 |
6.天神坂(てんじんざか) *安居神社(安居天満宮) |
天王寺区伶人町と逢阪一丁目との境界をなす坂で、安居神社(安居天満宮)へ通じる坂道 |
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天神坂 | 安居神社 |
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安居神社 拝殿 | 安居神社 かんしづめの井 癇静めと言う意味ですね。今は遠くから見るだけ? |
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真田幸村の終焉の地の碑と像 | 真田幸村は、近くの茶臼山を陣地にして戦い、この地でなくなった。茶臼山はここ |
7.逢坂(おうさか) *一心寺 |
天王寺区松屋町筋終点、合法ヶ辻 から東へ上がると四天王寺西門に至る坂道です。 |
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逢坂 | 摂州合邦辻閻魔堂 |
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逢坂を横切ると一心寺(いっしんじ)です。 浄土宗の寺、正式名称は坂松山高岳院一心寺(ばんしょうざん こうがくいん いっしんじ)。坂松山の命名は徳川家康。大阪夏の陣では、ここが家康の本陣だった。骨仏の寺としてよく知られている。 |
仁王門(山門) 斬新なデザインです。 一心寺については、ここに詳しく |
8.学園坂 松屋町筋から谷町筋まで続く
歩道と車道が分離されている。登り切って谷町筋を渡ると、上で紹介した吉祥寺がある。法界寺 坂の一番下 善福寺 学園坂 向こうの通りは谷町筋 大阪夕陽丘学園
天王寺 八坂 略図(イメージ図です)