私の主張  平成十六年三月十三日更新 (これまでの分は最下段)    「契冲」のホ-ムペ-ジに戻る

パソコン歴史的假名遣で甦れ!言靈 (『致知』平成十六年三月號(通卷三四四號))

大和國(ルビ:やまとのくに)は言靈の幸はふ國といふ。しかし現代假名遣が二千年に及ぶ國語の傳統を斷ち切つて以來、日本人が使ふ言葉・文章にそれが微塵も感じられなくなつて半世紀になる。戰後の「國語改革」に疑問を持つ人でさへいまさら何も歴史的假名遣でなくとも≠ニいふ聲に押され氣味の感がある。しかし、パソコンでの文書作成が主流となつたいまこそ、歴史的假名遣を入力できるワープロソフトが必要ではないかと、私はその開發に挑んだ。

このワープロソフトは、パソコン環境の目まぐるしい變化を乘り越え、利用者の要望にも應へつつ、十年かけて昨年やうやく一定の水準を充すまでに漕ぎ着けた。歴史的假名遣で入力すればもちろん、現代假名遣で入力しても、それをキー一つで歴史的假名遣に變換できる。さらには正漢字や字音假名遣の入力にも對應してゐる。これなら、歴史的假名遣を知らない人でも、既存のパソコン環境で傳統に則した國語の文書を手輕に綴ることができる。私は歴史的假名遣の生みの親、契冲(けいちゆう)をそのままこのワープロソフトの名とした。

戰爭の餘燼消えやらぬ昭和二十一年「現代かなづかい」が制定され、翌年、中學三年三學期の我々は、各々が選んだ本の一部を「現代かなづかい」に書き直す宿題を與へられた。私は當時『婦人公論』に連載中だつた谷崎潤一郎の『細雪』の一節を一通り「現代かなづかい」に書き改めた。しかし讀み返して見て、その文字面の違和感は醜惡とさへ思へるほど衝撃的なものであった。美しい國語がまるで囚人服でも着せられてゐるやうで、私は民族が戰ひに敗れたことの悲哀を悟つた。その強烈な體驗から、現代假名遣一邊倒の流れの中で、私は歴史的假名遣を大切に胸に藏つてきた。手紙などは勿論、大學入試、卒業論文、就職の小論文など、勤務先の業務文書以外はすべて、歴史的假名遣で書いた。

昭和六十二年、それまでの鐵鋼技術の仕事から、出向先の子會社で通信システム關係に携はることになつた私は、そこで初めてパソコンと出會つた。しかし、當然のことながらそこに組込まれたワープロソフトでは、現代假名遣の文書しか作成できない。なんとか歴史的假名遣でも打てるやうにできないものか。パソコンに關しては立上げ方も解らない程のづぶの素人で、もちろん國語の專門家でもない私であつたが、幸ひ歴史的假名遣が文法的整合性に優れてゐるお蔭で、比較的簡單に「契冲」の基本ソフトの開發ができた。平成五年に定年を迎へた私は、會社から「契冲」に關る權利を讓り受けて獨立し、その開發・販賣と同時に「正字・正かな運動」にも加はることになつた。

思へば私を歴史的假名遣復活に奮ひ立たせたものは何であつたらうか。それはソフトの開發を通じて垣間見た先人の努力の系譜であつた。平安時代後期、ハ行轉呼(は行の假名が語の中や末尾でワやア行に發音されるやうになること:「かはづ・蛙」が「カワヅ」、「いへ・家」が「イエ」になど)といふ音韻の大變動に對し、「定家假名遣(ていかかなづかひ)」を主張した鎌倉時代の藤原定家(ふぢはらのさだいへ)の意識は明らかに延喜・天暦までの假名遣の保全であつたらう。不幸にもその方法に於て誤りがあつたとはいへ、この意識が江戸時代の契冲の研究に働いて「和字正濫鈔(わじしやうらむせう)」となり、さらに本居宣長(もとをりのりなが)の「字音假字用格(じおむかなづかひ)」となつて、歴史的假名遣の基礎が定まり、明治期に公用の運びとなつたものであらう。つまり時空を超えて「音韻が遷(うつ)つても文字は易(かは)らない」國語の統一的な表記こそ先人たちの一貫した目的意識であつたと思へてきた。現代假名遣はかうした先人の努力を踏みにじるものであるがゆゑに、到底容認できぬのである。

かつて中米で榮えたマヤ文明では、研究者の間でもいまだに解讀し盡せない程高度なマヤ文字が使はれてゐた。十六世紀に征服者スペインのコルテスにその使用を禁じられて後、わづか三百年でマヤの人々はマヤ文字が讀めなくなり、マヤ文明そのものも滅んでしまつてゐる。戰後の「現代かなづかい」導入で國語の連續性が途絶えてしまつた日本は、この史實を眞摯に受け止めねばならない。國語の連續性が途絶えた國は必ず滅びるのである。

指導的な識者の間でも、昨今の國語の亂れやうは目を覆ふばかりで、歴史的假名遣どころの話ではない、といふ諦めがある。しかし例へば最近ニューヨークに於て、落書きを無くすことで國際テロや地下組織などによる大規模且つ兇惡な犯罪も減少したことに思ひを致すべきではないだらうか。諦める前に、歴史的假名遣の重要性を自覺し、それを正しく使ひ續けることが國語を淨化し、言靈が甦ることにもなると私は思ふ。たとひ一人一人の力は微々たるものでも、その地道な實踐が次第に大きな潮流になつて行くと信じてゐる。

嬉しいことに、若い人々の間で「契冲」を使ふ人が増えてゐる。獨力で開發したとは言ひながら、ここまでくることができたのは、ワープロソフトの先驅け「松」を開發した管理工學研究所や漢字ソフト「今昔文字鏡」を開發した古家時雄さんの御厚意、また需要の見通しもほとんど立たない案件を「社長の開發」と温く見守つてくれた同僚諸氏、更に歴史的假名遣の復活に燃える素晴しい方々との御縁に惠まれ、貴重な御指導や御助力をいただいてきたお蔭であると心から感謝してゐる。その御恩に報いるためにも、パソコン全盛時代のいま、私は微力ながら「契冲」の普及を通じて歴史的假名遣を復活させ、日本文化の傳統を後世に語り繼ぎ、言ひ繼ぎ、書き繼いで行きたいと考へてゐる。

(いちかは・ひろし=申申閣代表)

 

 

 

市 川   

昭和六年生れ

平成五年 有限會社申申閣設立。

正假名遣對應日本語IME「契冲」を開發。

國語問題協議會常任理事、文語の苑幹事、契冲研究會理事。

 

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