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アリア 〜かったるくて弾く気になれない(推定☆)
第1変奏 楽譜(参考運指つき)
第2変奏 楽譜(参考運指つき) ☆☆
第3変奏 楽譜(参考運指つき) ☆☆
第4変奏 楽譜(参考運指つき)
第5変奏 楽譜(参考運指つき) ☆☆
楽譜(音の高さと長さの情報以外はほとんど削除した状態)
著作権もへったくれもないという感じでWEB上のどこかから拾ってきたmidiファイル
(リズムの揺れがあるけど、midiファイルなんだから手弾き録音じゃなくPC打ち込みなんですよね。何だかよく分からない音です)

主題のアリア(最初の3分40秒ぐらい)は退屈で聴けたもんじゃないんで飛ばしてしまいしょう。

この演奏では、すべての変奏について前段後段とも繰り返し記号を忠実に守っています。
1〜4の変奏はまあいいとして、最後の第5変奏後段はいくらなんでも繰り返し不要でしょう。
ああ終わってしまった感の強いニ短調カデンツの後、またパラパラと途中和音のロケット花火を打ち上げるのは間抜けすぎます。

それと第4、第5変奏が速すぎ(はじめは全部速すぎと思ったけど、弾き慣れてきたら1〜3についてはまあこんなもんかなという気がしてきた)
特に第5変奏。
この速さでやらなきゃならないとすると☆3つでも足りない
(細かいこといえば、第5変奏の難所は後段の3小節目だけ。これを恥ずかしげもなく難所といってしまうあたり、指の基礎能力欠如に対する開き直りと思われそうですが、本当はけっこう恥ずかしがってます。指使いの工夫の余地がほとんどないこのタイプの左右同時花火って、なんかバロックというよりは次の時代の音楽みたいな感じがしませんか。しませんよね。何でもないです)

速度に関しては、5つの変奏すべてほぼ同じ演奏時間になるぐらいでいいような気がします(第5変奏だけは他よりちょっと速めがいい、とするなら、ここでアップアップにならないためにも、第1〜4変奏はできるだけゆっくり行きましょ)







ヘンデル 組曲3番 ニ短調 HWV428 〜 アリアと変奏

この曲きいて、マイケル・シェンカーのBijou Pleasuretteを思い出す人、いませんかね。
いや、べつにいなくてもいいんですけど。
全然似てませんよ、曲としては。
リッチーさんのHighway Star、Burnでもいいかな。
あのギターソロ部分。
もちろん全然似てないんですけどね。
インギーやクリスあたりにも何かあったような気がします、思い出すけどべつに似てるわけじゃないって曲が。
ついでにいうと、この曲じゃなくてもいいんです。
コレルリのフォリアあたりでも。

要は、素朴で人好きのする循環進行ってこと。
うっかり聞き流すだけでも、体調によっては軽はずみな感動とかしちゃうかもしれないような、そういう和音進行の繰り返し。
おそらくバロックとへヴィメタルの最も顕著な共通点です。
(実際にはバロックに限らずへヴィメタルに限らず音楽全般の話なんですが、特徴的な使われ方という意味ではやっぱりこの2つ)

ヘンデルと同時代のバッハは、この循環進行による曲作りをあまり好まなかった、という噂がありますね。
好まなかったけれども、いくつか作ったことは作った。
たとえばヴァイオリン用シャコンヌ。
他には鍵盤用ト長調のアリアと変奏、いわゆるゴルトベルク変奏曲。
嫌々渋々つくったわりには、どちらも音楽史に残るスーパー級の傑作です。

ゴルトベルク変奏曲のあの圧倒的な複雑さ精密さを考えると、このヘンデルのニ短調アリアと変奏は、いったい何なんだと首をかしげたくなるほど単純素朴です。
もうちょっと後の時代の変奏曲の名手、モーツァルトやベートーヴェンあたりと比べた場合は、単純か複雑かなんてことより、まず「うわっヘンデルって野暮ったい」という言葉が出てきそうです。
この単純さ素朴さ野暮ったさが、そのまま軽はずみな感動のトリガーになったりもするわけですが。
野暮ったい、というのは21世紀の人間の耳にそう聴こえるだけで、たぶん当時はこれが最先端の音楽でした。
これがバロック音楽です。
というか、これぞバロック音楽です。
複雑すぎて、精密すぎて、音楽慣れしていない人の耳ではとても聴けたものではない15〜16世紀あたりの音楽から、誰もが「ああ良い曲だ」とうなずけるように「進化」させた、これが17〜18世紀のバロック音楽です(←そんな乱暴な言い方はないと思うぞ)

前の時代の音楽の複雑さを大胆に切り落とし、馴染みやすくしたことで、ラモーやヘンデルやテレマンはバロック時代の寵児となりました。
馴染みやすさとぎりぎり折り合いをつけながらも、複雑さを捨てきれなかったバッハは、生前の段階ですでに時代遅れの頑固者、死後も100年近くは忘れられ埋もれた存在でした。
その間、バッハに注目したのは、モーツァルト、ベートーヴェンといった例外的な作曲家だけでした。

こういう書き方をすると、ヘンデルってのは何だか流行りものの生産者で、その作品は時が過ぎれば塵に埋もれそうな感じですけど、そうならないのが音楽の面白いところ。
ヘンデルに限らず、バロック時代のいかにもバロックらしい作品は、今でも聴き続けられています。
へヴィメタルという意外な形でのリニューアルも果たしています(ただこの徒花的ジャンルは絶滅寸前、しばらくするとロック史上でも「そんなみっともないものはこの世に存在しなかった」ということにされてしまいそうで頭が痛いです)

もちろん、変化、進化ってのもびっくりするほど劇的に突然起こったわけじゃないんで、ヘンデルにしてもテレマンにしても、複雑さ精密さがもたらす音楽の面白みを完全に放棄してはいません。
バッハほどはこだわらなかったというだけ。
はるか後の時代からふりかえれば、バロック時代ってのは、やっぱり対位法複音楽の時代です。

同じバロック時代のパッヘルベルがつくったカノンがあれほど世界中で愛されているのは、たぶん対位法複音楽の面白さよりも循環進行の心地よさを重視したつくりになっているからです。
頑固なバッハの作品に多く触れてしまうと、カノンってのはフーガと並んで複音楽の最高峰、作曲技術の見せどころと信じ込んでしまいますが、実はそうでもないんじゃないかと思い知らされる一曲です。
パッヘルベルのあのカノンは、まるでカノンに聴こえません。
カノンであるという事実はおまけみたいなもんです。
同じ循環進行で、カノンではない別な旋律を繰り出しても、そこそこヒットしたと思います(というか実際している)

いや、けっきょく何が言いたいのかというと、誰か、このヘンデルのニ短調循環進行を使って弦楽合奏曲でも作りませんかね、と。
たぶんヒットしますよ。