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「レンブラントって、生き別れになったリッチーさんの双子の兄貴だよな」とか、
「ジミー・ペイジってギターは下手だけどピアノはすごく上手いんだぜと、言われて見てみたら、やっぱりマルタ・アルゲリッチだった」とか、
「角田美代子被告の顔写真が公開されたとき、全国のばかやろどもの脳内に、King of RocknRollのリフレインが鳴り響いた」とか、
そっくりさん話はいっぱいありますが、このモルダウとイスラエル国歌のそっくりさんぶりほど地味で面白くないものはそうそうないかもしれません。


モルダウとイスラエル国歌って、そんなに似てますかね?

いくらかは似てるとしても、「問題視」するほど似てますかね。
この程度の「偶然そっくりさん」はあってもいいんじゃないの、と思ってました。

「モルダウ」ってのは楽章のタイトルで、曲の全編を統括するタイトルは、実は「我が祖国」だと。
いや、単なる情報として最近知っただけで、他の楽章は聴いていない、さらにいえば「モルダウ」楽章さえ通しで聴いたことはないんですが、そんな人間でも、ヒマならこの話に口を挟んでいいんですよね。

メロディーそっくり、かたや「国歌」、かたや「我が祖国」、これだったらちょっとは問題視したくなる、口を挟みたくなる。

スメタナという作曲家がチェコ人だったのは知ってたような気がするんですけど、プラハ市民だったのかな。
「モルダウ」は、いまのプラハではほとんど市の象徴、「市民歌」みたいな扱いなんですね。
駅のアナウンスのテーマもこれだし、そこらじゅうで流れてた気がします。

ついでにこの町には巨大ユダヤ人街がある。
モルダウ川のほとりからプラハ中心部に向かって徒歩数分のところに、五芒星教会がぞろぞろぞろっと。
もしかしたら欧州最大級かもしれない規模のユダヤ人街です。

となれば、特にどうってこともなく次のような想像が出てくる。

イスラエル建国を夢見る世界中のユダヤ人たちの間で、何百年も歌い継がれてきた曲があるんじゃないの?
スメタナは、モルダウ川のほとりやユダヤ人街をぶらつきながら、何かの機会にか、日常的にか、それを耳にしていたんじゃないの?
特に悪意もないまま、何となく、耳に残っていたそのフレーズを使っちゃったんじゃないの?

いっぽうで、イスラエル国歌のほうを調べてみたら、これには実は元歌があって、「モルダヴィア民謡」とか書いてある。
おいおい、3曲目の登場かよ。
モルダヴィアってどこだよ。
名前からすると、モルダウ川流域っぽいな。
つまりこういうことか。

モルダヴィアとプラハではユダヤ人の行き来があった。
モルダヴィアでうたわれていたその民謡は、プラハのユダヤ人街でもうたわれていた。

作曲家の一人は、プラハの町でうたわれているその歌を、「わが祖国」の一部として使った。
もう一人の作曲家は、多くのユダヤ人にうたわれているそれを、イスラエル国歌として使った。

これで解決と思われたわけですが、そういうわけにはいかなかった。

こりゃ冗談じゃねえぞという事実が判明。

そもそも上のようなことを考えたのは、プラハとモルダヴィアが、モルダウ川によって直接つながっているという思い込みがあったからです。
プラハの住民にとっても、モルダヴィアの住民にとっても、モルダウ川は共通の故郷だという思い込みがあったからです。

モルダウ川は、モルダヴィアなんか流れていません。
もう全然、です。

モルダウとモルダヴィアはただ名前が似てるだけ。
何の関係もない。
ついでにプラハとモルダヴィアはめちゃめちゃ遠いです(チェコからスロバキア越えてウクライナかすめて、その先)

これはかなり困った話ですよ。
輪島ブルースと宇和島音頭がそっくりだった、みたいな話です。
宇和島音頭とそっくりな曲があるのはべつにいいんですけど、そのタイトルが輪島ブルースではダメでしょ。
誰だって頭かかえちゃうでしょ。
へたをすると腹もかかえちゃうでしょ。

面倒くさいけど、話を振り出しまで戻してしまいましょう。

モルダヴィアとプラハでは、本当に人の行き来があったのか?
これを疑うなら、プラハの町で本当にモルダヴィア民謡がうたわれていたのかどうかも、疑わなきゃならない。
そもそもスメタナの「モルダウ」ってのは、本当に「モルダヴィア民謡」を元にしているのか?

どうやら逆の噂もあるようです。
プラハで「モルダウ」が発表されたのち、それはモルダヴィアにつたわり、民謡としてもうたわれるようになった、と。

んん、どうなんでしょう。

プラハは大都会でしたから、いろんな国いろんな地方から移住してきたいろんな集団がいたと思います。
その中にモルダヴィアからの御一行様がいたとしても、べつに不思議じゃない。
かなり距離があるのでしょっちゅう行き来することはなかったにしても、集団移住だったら大いにありうる話です。

スメタナの「モルダウ」が発表されたのち、「モルダヴィアからの一団だけ」が、そのメロディーを故郷につたえた。
他の移住集団は、そんな曲には目もくれなった。
これは不自然か、そうでもないか?

ありえない話ではないと思います。
なんで他の集団が目もくれなかったのかといえば、単に興味がなかったから。
なんでモルダヴィアの一団だけが興味を持ったのかといえば、単に自分たちの故郷と曲のタイトルが似ていたから。

いや、ふざけているわけじゃありません。
こういうことって馬鹿にできないんじゃないかと、けっこう本気で考えてます。

ただこの説については、これ以上つっこみようがありません。
スメタナはモルダヴィア民謡をもとに曲を作った、という説のほうに話を戻しましょう。

スメタナはモルダヴィア民謡の旋律をどこかで聴いて知っていた。
だけじゃなく、それが「モルダヴィア民謡であることも知っていたはず」だと思います。

「何も知らないままモルダウの主題として使用したその旋律は、実に何と、モルダヴィアと呼ばれる土地の民謡だった。後世の我々は、その2つの地名の発音の酷似に、運命的なものを感じるのである」
なんて、ミラクル馬鹿話にはつきあってられません。
いくらなんでも、これは「偶然そっくりさん」とは認められませんよ。
こんなもんを偶然として認めたり、奇跡だの運命だのと呼んでたら、世の中なんでもありか何にもなしになっちゃいます。

スメタナは、旋律がモルダヴィアという土地の民謡であることを知ったうえで、それを元にモルダウというタイトルの曲をつくった。
まるで駄洒落です。
これが意図的な駄洒落じゃないとしたら、スメタナは勘違いしていたと考えるほかありません。
どんな勘違いかといえば、自分と同じような勘違い。

モルダヴィアには当然モルダウ川が流れているはず。
プラハの住民、モルダヴィアの住民、どちらにとってもモルダウ川は故郷である、と。
そう信じていたなら、駄洒落でもなんでもなく大真面目に「モルダウ」というタイトルをつけるでしょう。

ここでちょっと、考えておかなきゃならないことがある。

たぶんですけど、自信はないんですけど、当時チェコという国は、ハプスブルク家の支配下にありました。
公用語はチェコ語じゃなく、ドイツ語だったんじゃないかと思います。

いっぽうスメタナは、故郷、祖国を愛する人間だったと考えられます。
ドイツ語文化を嫌ってたんじゃないかという気がします。

「モルダウ」ってのは、実はドイツ語なんですね。
あの川には、チェコ語による別な呼び名(本名?)があります。
「モルダウ」とは似ても似つかない名前です。

スメタナは作品を発表するにあたって、ドイツ語チェコ語どっちのタイトルを使ったんでしょう。

史実は知りませんけどね。
たとえばドイツ語で「モルダウ」として発表したとすると、どういうことになるでしょう。

スメタナ自身には何の意図もなかったとしても、モルダヴィアの人たちから見ればこれはまさに駄洒落。
「なるほどこの駄洒落は、俺たちモルダヴィア人に対する気配りなんだな」と。

偶然として、これはありえないとは言い切れないレベルのものだと思いますけど、それよりは意図があったと考えたほうがいいかもしれません。

モルダウとモルダヴィアは名前が似ているだけで実は何の関係もないと、スメタナは知っていた。
これは意図的な駄洒落だった、と。
分別ある大のおとながなんでそんなアホな駄洒落を考えたのかといえば、これはもちろん原曲であるモルダヴィア民謡への敬意表明、モルダヴィア人たちへの気配り。

チェコ語で発表したとすると、スメタナはやっぱりモルダヴィアについて勘違いしていたことになります。
へたをするとモルダヴィアの人たちから怒られたかもしれない。
「てめー、俺らの曲パクっといて、テキトーな名前つけてんじゃねーぞ」

実はこの旋律、古くはスウェーデン民謡が起源で、何世紀だかにモルダヴィアに伝わったとかいう説もあるみたいですけど、それはまあどうでもいい話。
もしそうだったら怒られずに済むってもんでもありません。
モルダヴィアの人たちにしてみりゃ「本当の起源」なんて知ったことじゃない。
故郷でうたわれていたものなら、そりゃ自分たちの歌に決まってます。
パクられて勝手にテキトーな名前つけられたと思ったら、心行くまで怒ったほうがいいと思います。
怒って、それがどれぐらい脅威になるのか、つまり当時プラハにどれぐらいの人数のモルダヴィア人がいたのか、なんてことは知りませんけど。

ついでにいうと、「そっくりな旋律」と思った人間がどれぐらいいたのか。
いたとしても、適当にやり過ごしそうな気がしないでもなかったり。

とりあえず、どの可能性を取り上げても、重要な役割を果たしているのは「モルダウ」-「モルダヴィア」の連想である、と。
解明されたんだかなんだか分かりませんけど、どっちにしてもこれ以上の追及は無理です。
真実はやっぱり闇の中です。



それにしても。
プラハ「市民歌」だったり、イスラエル「国歌」だったり。

何が不思議かって、あの異常な暗さ、湿っぽさ。

国歌とか校歌とか、その類の歌ってのは、だいたい長調、バカじゃないかってぐらい明るいもんでしょ。
短調の国歌なんて他にありますか?

まあ、長調じゃない国歌ってことなら、あることはある。

他でもない、この日本。

あの曲はたしかに長調じゃない。
でも短調でもない。
長調でも短調でもない、無理に押し込めるならルネサンス時代の教会旋法。

とりあえず日本のことは脇においておくとして。
ついでにプラハのことも脇においておくとして。
(たぶんプラハの人たちからすればあの市民歌は「本気」じゃない。あくまで「外向け」、観光資源としてのモルダウ)

イスラエルって国は、軍隊はメチャメチャ強いみたいだけど、たとえばオリンピックなんかには出てるのかな。
もし金メダルなんかとっちゃったら、あれが流れるのかな。
場内異様な雰囲気に包まれそうですよね。
観客一同、ごめんなさい、ゆるしてくださいと、何をしたわけでもないのに泣きながら謝罪の言葉を連呼しそうな気がする。
特にドイツ人あたりがいっぱい泣きそうな気がする。

(イスラエル国歌はまるで演歌と、どこかに書いてあった。完全同意ではないけどちょっとだけ同意)

とにかく国歌としては異彩を放ってる。
唯一無二、他に比べられるものは一つもない、徹底的にユニークであること、要は国民の好みなんでしょうか。


「その徹底ユニーク嗜好の最大の犠牲者が、この私」てなことを言っていた医者がいます。
言葉の真偽はともかく、第二次大戦どさくさ史の中では最も好奇心を刺激してくれる一人で、ここしばらく睡眠不足になるほどネット漁りにはまりまくってます(→こちら)