梅屋敷公園は現在は大田区の所有ですが、山本忠左衛門が“和中散”(道中の常備薬)販薬所を開いた敷地の中に、息子の久三郎が文政(1818〜1829)の頃、梅の木数百本やかきつばたなどの花々を植え、東海道の「休み茶屋」を開いたのが、初めと言われています。当時、十二代将軍徳川家慶が鷹狩りの際の休み所としたほどの屋敷で、特に梅の季節には多くの文人、旅人でにぎわったようです。広重によっても「蒲田の梅園」として描かれています。また、明治天皇は梅屋敷の風致を好まれ、明治元年(1868)から明治30年(1897)の間に9回のご行幸があったそうです。
現在の梅屋敷公園は大田区体育館前に位置し、第一京浜国道と京浜急行の線路とに挟まれ、また環八踏切をなくすための高架化工事のため線路側数メートルが貸し出され、更に狭くなっています。現在梅の木の数は約80本ですので、当時は数倍から10倍程の広さがあったものと思われます。(平成18年3月6日) |