梅の花を求めて(2)


羽根木公園
 世田谷区立羽根木公園は小田急線梅ヶ丘駅前の高台に位置します。梅の木は約700本が植えられています。今冬は12月の異常な暖かさから暖冬と言われていますが、2月中旬から3月に掛けての寒さからか、まだ6,7分咲の状態でした。梅の木は目の高さで鑑賞できるのが一般的ですが、この梅園は手入れはされているのですが、全般に木が高く桜までは行きませんが、少し見上げる感じでした。(平成17年3月2日)
羽根木公園:梅01 羽根木公園:梅02
羽根木公園:梅03 羽根木公園:梅04
羽根木公園:梅05 羽根木公園:梅06
羽根木公園:梅07 羽根木公園:梅08
梅屋敷公園
梅屋敷公園は現在は大田区の所有ですが、山本忠左衛門が“和中散”(道中の常備薬)販薬所を開いた敷地の中に、息子の久三郎が文政(1818〜1829)の頃、梅の木数百本やかきつばたなどの花々を植え、東海道の「休み茶屋」を開いたのが、初めと言われています。当時、十二代将軍徳川家慶が鷹狩りの際の休み所としたほどの屋敷で、特に梅の季節には多くの文人、旅人でにぎわったようです。広重によっても「蒲田の梅園」として描かれています。また、明治天皇は梅屋敷の風致を好まれ、明治元年(1868)から明治30年(1897)の間に9回のご行幸があったそうです。

 現在の梅屋敷公園は大田区体育館前に位置し、第一京浜国道と京浜急行の線路とに挟まれ、また環八踏切をなくすための高架化工事のため線路側数メートルが貸し出され、更に狭くなっています。現在梅の木の数は約80本ですので、当時は数倍から10倍程の広さがあったものと思われます。(平成18年3月6日)
梅屋敷:梅01 梅屋敷:梅02
梅屋敷:梅03 梅屋敷:梅04
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蒲田の梅園(広重画) 明治天皇ご行幸の碑
蒲田の梅園(広重画) 明治天皇ご行幸の碑

百草園
百草園まで40ume02/0mの看板を左折すると緩やかな坂道が次第に勾配をまして行きます。可成り登ったと思った突き当たりに「あとひといき」(旧松連坂)の立て札発見。右折して20m程歩くと道は左折し、箱根強羅を思い出させる急な坂道を130m(標識あり)歩いてやっと百草園入り口に到着。

 江戸時代の松連寺が廃寺となった後に庭園として造られたのが百草園です。園内には12月から咲き始める八重紅梅から3月頃咲く遅咲きの梅まで約80種800本の紅梅、白梅が植えられています。3月まで梅祭りが開催されていると言うことで、出掛けてみましたが、今年の暖冬で、さすがに峠は過ぎていました。しかし、園内に入った途端、美しいウグイスの鳴き声が聞かれ、園内を散策していると、数メートル先の梅の木の中で囀っている姿を見ることができました。もう一度最盛期に訪れてみたい場所でした。(平成19年3月16日)
百草園:梅01 百草園:梅02
百草園:梅03 百草園:梅04
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百草園:梅07 百草園:梅08

向島百花園
 向島百花園は開園当初は梅が主体だったようですが、1800年代初期に江戸の文人達の協力の下に万葉集や中国の古典に詠まれている植物を集め、四季を通じて花が咲くようになり、現代に残る唯一の江戸時代の花園だそうです。そして現在は国の名勝・史跡に指定されています。

 園そのものはそう大きいものではありませんが、紅白の梅が園内至る所に、バランスよく植えられており、都心の雑踏から一歩園内にはいると騒音はかき消され、落ち着いた心和む花園でした。

 昨年に比べると開花は遅い様子で、満開には少し早かったようです。しかし、当日はここ数日の寒さから一転して春を思わせる程の暖かさで、のんびりと観賞できました。(平成20年2月29日)
 

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