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介護用衣服
平成25年2月28日
 妻は昨年入院中に手の硬直化が進んでしまったために、退院の際、先ず必要となった物が介護用衣服である。退院後も当分はベット生活であるので、当面は寝間着があれば良かった。早速、介護用衣服売り場で探したところ、介護用の寝間着があった。この寝間着は袖下の部分が前後に分かれ、3個のスナップで止められるようになっている。寝間着のため袖口が広いので、肘の部分から腕を通すことができ、手を伸ばした後に3個のスナップを止めればよく、手が硬直していても比較的簡単に着せることができ、便利である。

 寝たきりの状態ではこの介護用の寝間着の着替えがあれば問題なかったが、リハビリが進み、車椅子に乗せられるようになってきた。当然のことながら、室内だけでなく屋外へ散歩に連れ出してやりたくなる。散歩など屋外に出かけるためには寝間着1枚では出かけられず、下着やブラウスなどが必要になってきた。

 そこでデパートの介護用品売り場や介護用品を取り扱う店を探してみるが、あるのは前ボタンがマジックになった下着(肌着)と少しゆったりとしたベルト部分がゴムテープになったズボン位で、妻のように手が硬直化し、寝たきりの者に簡単に着せられる物ではない。ケアマネージャーやデイサービス職員など介護関係者に介護用衣服について相談すると皆さん簡単にあるという。しかし、紹介されるカタログなどは前記のような物ばかりで、役立たずであることが分かった。

 即ち既製品を探してもないことが分かったので、新規に「着せやすい物を作るしかない」と言う結論に達した。先ず、上衣は腕を通す物では駄目で、腕全体を衣服の外(袖の方に)に簡単に出せ、その後腕を包み込む構造でなければならない。しかし、自分では裁縫はできない。他人に依頼するしかない。幸いなことに妻の知人でご夫婦で仕立物直しをしている人が近所にいたので、相談をしてみた。最初はやったことがないことであり、少々怪訝な様子であったが、先ず、こちらが言うままに仕立て直しをして貰えることになった。

 先ず最初にお願いしたのは肌着である。市販されている半袖の介護用肌着と長さ40cmのファスナー2本を購入して持参し、肌着の脇下部分の縫い合わせ部分をほどき、その延長線上にある腕の下の部分も裁断(下図(1A)参照)して貰い、ここにファスナーを取り付けて貰った。これによって硬直した腕も簡単に通すことができ、所期の目的を達成することができた。図(1B)が試作品である。(写真が不鮮明でファスナーが分かりづらいが、囲った部分がファスナーである。)

 
(1A) (1B)

 次に依頼したのが、上衣(ブラウス)である。ブラウスも肌着同様市販されていないので、従来着ていた物を仕立て直して貰うことにした。

 仕立て直し方は肌着同様胴の脇の部分及び腕の下部の部分を裁断して貰い、ファスナーでなく、スナップボタンを取り付けて貰った。裁断部分に直接ボタンを付けたのではボタンの重なり分だけ細くなってしまうので、2cm巾程の端布を足して貰い、その部分にスナップボタンを取り付けて貰った。勿論ブラウスと同色の端布はないので、同色系の端布を使用して貰った。ボタンの部分は腕で隠れてしまうので、着せてしまった状態では全く、気にはならない。図2Aが仕立て直しをして貰ったブラウスで,図2Bはスナップボタンの取り付け状況を示す。


(2A)
(2B)
 ズボンに付いては高島屋の介護用品売り場の1箇所で見つけることができた。ベルトはゴムテープで、丁度ズボンの前の折り目の部分にファスナーが取り付けられている。ファスナーを全開すると完全にズボンを縦方向に分割することができる。従って、ズボンに足を通してはかせる必要がなく、ズボンを身体の下に置き、股ぐらからズボンの前面を引出し、裾の部分を足に巻き込み、ファスナーを閉じることでズボンをはかせることができる。非常に便利に使用できるものである。但し、男女兼用で色々なサイズがなかったのが欠点である。

 以上のように一応外出可能な衣服を取りそろえることができ、11月より試行ではあるが、デイサービスに行かせることができるようになった。冬を迎え寒さも増しているため、現在は2回/月のペースでデイサービスでの滞在時間を4時間程にして、通わせている。春を迎え暖かさも増してきた段階で、1回/週の割合で、通所できるようになることを期待している。



検査入院
平成25年5月27日

【入院の経緯】
 妻は本年1月に嘔吐により瞬間的ではあるが、呼吸が止まり緊急入院した。体調が芳しくなかったので、もう少し体調が回復するまで、入院させておきたかったが、緊急性がなくなり、4日間で退院することとなった。しかし、退院後は体調は不安定で、ベットをフラットにして寝かせていると、胃からこみ上げてくるものがあったり、喉を詰まらせるような仕草が時々あり、頭部を10〜15度程度高くしておく必要が出て来た。また退院後2週間ほどは、入院前同様、時々”アーン”と言う大声を発することが続いており、夜中にその大声が発せられ、目を覚ましたことも何回かあった。

 もう一つ心配なことは今回の入院で分かったことだが、無呼吸の状態になることが分かったことである。夜でも昼でも少し口を開け、静に寝ており、呼吸をしているのか、していないのか分からない状態の時があることである。気に掛かり少し身体を揺すっても全く反応がなく、眠り続けている場合があったりしたことであった。

 また、妻は認知症と糖尿の二つの持病を持っている。しかし、入院は特定の疾患の治療が目的であり、それぞれの医療機関は生命維持のために、努力して頂ける。持病である糖尿病については万病の基になるので、薬の投与なども怠りなくやって貰える。しかし、認知症に関しては何れの入院においても、これと言った認知症を意識した処置・対応はなく、昨年の肺炎での2ヶ月間の入院ではむしろ認知症は進行してしまい、入院前には一寸した誘導で、ベットから立ち上がることが出来、手を引いてやれば段差も認識し、歩くことも出来たが、退院時には立つことも歩くことも出来ないばかりか、手足の硬直化が進んでしまう結果となってしまった。

 今回の退院後、体調が不安定のため、不安を抱えながらの介護であったが、徐々に不安の度合いも減少し始め、2月中旬には声を発することも殆どなくなり、落ち着いてきた。またその間も月2回デーサービスへも試行的に3時間程度出かけていたが、無事出かけることも出来た。

 認知症については2002年以来、昭和大神経内科のK先生にお世話になっており、ほぼ2ヶ月間隔で通院して来た。K先生は認知症に関して、中央大の心理学のM先生と共同研究されておられ、通院の際、診察後M先生を訪れ、心理面から色々なテストを行って頂いたり、アドバイスを頂いてきた。しかし、昨年1月の肺炎入院後は本人を連れて行くことが出来なくなったため、現状報告と、色々なアドバイスを頂くために通院を続けてきた。3月中旬の通院の際、可成り快復方向にあるものの無呼吸の状態、嘔吐につながる胃の状態など内科的診断は元より認知症の現状など検査していただくために検査入院をお願いしたところ、快くお引き受け頂いた。また、丁度胃瘻の交換時期に来ていたので、入院中に胃瘻の交換もお願いすることにした。そして、入院は4月2日から7〜10日間と決定された。

【入院及び検査結果への期待】
 4月2日(火)に無事入院し、検査を受けることになった。検査入院をお願いして、入院まで2週間以上経過しており、この間に体調は可成り改善された。大きな声を発することもない。痰も殆どでなくなり、吸引の必要性もなくなっていた。また排便も殆ど毎日有る。退院後では一番体調のよい時であった。この状態で検査の結果にも、大きな異常が認められなければ、不安を抱えながらここ2ヶ月半ほど続けてきた介護が間違ってなかったことが証明されることが期待出来きそうであった。

【ベット環境の変化】
 検査入院は言うまでもなく、現在特定の疾患があり、治療のための入院ではなく、健康状態をチェックして頂き、何か異常の箇所が見つかれば、治療して頂くのが目的である。従って、酸素マスク、導尿管、点滴など医療器具類に取り囲まれることはなく、検査の時以外は自宅のベットに寝ているのと同様に、寝ていれば良いだけなので、気楽に考えていた。

 しかし、入院して暫くして妻の表情を見ると自宅で寝ている時の顔の表情と一変してしまったことに驚かされた。現在の体調からすると『自分を何故ここに(病院)に連れて来たのか?』という表情である。言葉は全て忘れてしまっていて話すことはないが、眼からの情報だけは認識できており、ベットの周りをカーテンで囲われた空間に置かれ、色々治療をされる場所に連れて来られたことを認識したようである。

 もう一つ自宅と違う点は寝た状態での体位である。病院では床ずれなどを防ぐ目的からも、寝たきりの患者は3時間毎に背中に枕など当て物をして左または右に体位を傾けて寝かせるのが基本である。これに対し、腕が左右に張り出し、硬直している状態である妻にとっては、体位を横向きにされることは腕が突っ張り苦しい体位となる。そこで自宅では基本的に上を向かせた状態で寝かせている。床ずれ対策としては身体の移動などに対して圧力が自動的にコントロールしてくれるエアマット型のベットを利用している。このベットそのもの寝た感覚の違いと寝かされた体位にも変化を感じたようである。

 先の基本的にカーテンで仕切られた環境になったことに加えて、寝ている時の体位も加わり、毎日見舞いに行くと、眼は開いているが、視線は一方向を向き、一点を見つめているようである。しかし、焦点が合っていない。声を掛けてもしばらくは一点を見つめたままの状態で変化がない。本人には申し訳ないが、検査中しばらくの間、辛抱して貰わなければならなかった。

【検査及び看護】
 検査は血液検査、胸部レントゲンに始まり順調にスタートしてた。そして早速、歯の状態が良くないので、歯科医の診察を受けた。可成り前歯が痛んでぐらついているので、本格的に処置をするためには設備の整った歯科に暫く入院し処置をする必要がある。「本格的に処置をするか」、「歯の周辺のケアのみに留めるか」の相談を受けた。「本格的治療」は本人にとって可成り苦痛であるだろうし、もう余命幾ばくもないので、口腔ケアに留めて貰うことにした。

 週末近くに主治医よりスケジュールとして「検査の終わる10日(水)に胃瘻交換を行い、11日(木)退院で、如何でしょうか」と連絡を受け、その日程でお願いすることにした。早速、ケアマネージャに連絡し、帰宅後翌日からの介護(金曜日のリハビリ、土曜の入浴)再開の手配をお願いした。

 翌日再び主治医が来られ、「12日の午後頭部検査のためのMRIの予約が取れた。入院を延長して、MRI検査後、直ぐ退院という方法もある」とのお話しだった。しかし、検査をCTにしたらどうなるかを伺ったところ、精度は落ちるが、予約は簡単で、入院の延長が必要がないとのことであったので、CT検査に変更して貰い、予定通りで退院日を変更しないことにした。

 日程を変更しなかった理由は幾つかある。その1つとして、頭部検査の目的にある。過去の頭部の記録はMRIで検査して貰っており、今回もMRIで撮って頂くのが望ましいが、既に脳は壊れるところまで壊れており、精査して治療につながるものでもない。一連の変化の中の記録を残して貰うのが主目的であったからである。2つ目の理由は介護関係の再開を依頼したばかりであり、再度変更をお願いするのも面倒だと思ったことである。しかし、最大の理由は前述のように自宅での寝ている時の環境と入院している時の環境の違いに敏感に反応し、精神的負担がかかっているようなので、1日も早く解放してやりたかったからです。
 
 無呼吸の状態を調べる目的だと思うが、心拍の計測を遠隔監視して貰っていた。見舞いに行った際、腕をさすっていると、センサーに影響を与え監視データに乱れが生じたらしく、様子を見に来るという迷惑を掛けたこともあった。看護面では歯の予防及び口腔ケアの観点から歯磨き継続的に行って貰えていた。また10日と短期入院期間であるが、3回ほど入浴をさせて貰ったようである。

 今回の入院中、注目したのは寝た時楽な体位を保つために、足載せのために枕などを置いたり、体位を横向けにするために背中に添え物を置く。その置き方や形状について学びたいと思い注目していたが、残念ながら、添え物にする物の形状及び置き方が介護担当によって各人各様で余り参考にはならなかった。しかし、唯一の発見は踵への負担を小さくするためには膝の部分の支え物はある程度高さを必要とし、現在使用中の物は低いことが分かり、早速現在は高い物に交換している。

 過去の入院では主治医は一人であり、相談などある場合、医局にお願いし、主治医が医局に来られる時に、連絡を受けお会いするのが、一般的だった。今回は担当医は主任医を含む5人の医師グループであった。従って誰か一人は医局に在籍しており、お願いすると直ぐ連絡が付き、相談や検査の結果など伺う際、迅速に対応していただけた。

 CT検査の実施、そして10日午前中には胃瘻交換も終了し、目的とした検査処置を無事終え、11日午前に無事退院することが出来た。

【検査結果】
 一番心配していた無呼吸は現在はないことが判明した。胃瘻交換も無事済み、交換のため内視鏡使用時に胃の内部を調べており、特に異常は認められないことも判明した。また、血液検査、心電図、胸部レントゲンなどの検査でも特に異常は認められなかった。脳のCT検査結果は従来の検査との変化の問題であり、次回外来通院時にK先生より話を伺うことにした。

 入院中の看護面からすると、痰も出ることがなかったため、特に吸引器を必要としなかったようである。また、下剤の投与は必要だが、順調に便通があったようである。 

 以上の検査結果から総合的に判定すると現状の健康状態は「良」である。何か問題が隠されているのではないかと、不安な気持ちで介護をしてきたが、一応間違ってはいなかったことが証明されたようである。

 退院後の今後の注意事項は嘔吐により喉を詰まらせたないこと。及び肺炎を併発させないことだと思っている。そのためには身体及び口腔の清潔さを保つことが重要である。また手足の硬直化を防ぐためにも、寝たきりの環境から少しでも解放してやるために、リハビリやデイサービスの利用などを考えて行きたい。そして間もなく訪れる暑い夏をどのように乗り切っていくことを考えて行きたい。


油断大敵(風邪)
平成25年7月24日

【風邪に掛かる】
 6月初旬、喉の奥が何だかコソコソといがらっぽくなってきた。時々起きる現象で、普段は浅田飴をなめていると大体落ち着いてくれる。今回も早めに浅田飴をなめ始めたが、良くならない。熱が出るわけでもなく、大してひどくなっている訳でもないが咳も出てきている。妻に風邪を移すのが一番怖いので、一応6月10日に医者に出かけ、抗生物質の薬を貰い飲み始めた。薬もなくなり良くはなってきたが、まだ喉の奥がスッキリしないので、14日に通院し、今度は少し弱めの薬を貰って飲み始め、一旦、落ち着いてので、これで安心と思っていた。

 所が次週の週末になって、また喉の奥が痛くなりだすと同時に咳が出始め、止まらなくなりだした。病院が休みのため、ドラッグストアで咳止めの薬を買って飲み始めた。月曜日(24日)の朝も咳止めの薬を飲むが、咳は治まりそうにない。一段落したところで、通院し、再び抗生物質の薬を貰うこととなった。

【妻に風邪を移す】
 妻に風邪を移すことが最も心配で、妻の介護作業中は、マスクを付けるようにしていたが、可成りの頻度で咳をしていたので、部屋中に風邪の菌を飛散させたらしく、風邪を移してしまったようである。水曜日(26日)の朝、顔を見ると熱っぽい。体温を計ると8度1分程ある。デーサービスへ出掛ける日であったが、休ませることにした。当日は訪問医療の日で往診に来てくれる日であるが、一応クリニックへ電話をし、風邪で体調を崩していることを伝え、往診時の対応をお願いした。

【急遽入院】
 4時半頃往診に来て頂き、検診の結果、熱は8度2分程あり、血圧が何時もより低い。肺炎の心配もあり、入院して検査を受けた方が良いのではないかとのことであった。一旦帰院して調整の結果、大森日赤で緊急対応して頂けるとの連絡を受けたので、急遽入院することとなった。早速、119番で救急依頼をし、薬や栄養剤などを含めて、身の回り品を準備し、戸締まりをして、病院に向かった。

 検査の結果、特に大きな異常は認められず、「このまま退院も可能だが、暫く落ち着くまで入院も可能」とのことであり、週末の29日(土)まで、入院をお願いすることとなった。今回風邪を引く前までは、痰や鼻を詰まらせることがなく、吸引器は必要なかったが、今回の風邪により、鼻を詰まらせ、可成りの頻度で吸引が必要になった。抗生物質の点滴によって日に日に吸引の頻度は減り、予定通り29日に無事退院できた。

【退院後の現状】
 退院後も鼻詰まりはあり、夜中にも吸引が必要となったが、その後1つ新たな問題が発生した。病院では抗生物質は点滴で血管より行われていたが、帰宅時に処方された薬は粉末状の抗生物質で、可成りの分量があり、それも2袋飲ませる必要があった。この薬は口から飲むのであれば、簡単なのだが、妻は現在、胃瘻処置をしており、胃瘻部分に取り付けた50cm程の管を介して送り込むことになる。量の多いのには気づいていたが、従来と同じように1服目を50CCのお湯で溶かし、投与後2服目をお湯で溶かし、投与しようとしたが、投与できない。よく見ると管の中は薬の粒子で詰まっていた。やむなく管を取り外し、可成りの圧力を掛けて、管の中の薬の粒子を取り除き、再度管を胃瘻に接続し、薬の投与がやっと出来た。今度は、翌日少し急いで抗生物質を50CCのお湯で溶かし、シリンジで投与し、抗生物質を管の中に滞らせないため、急いで白湯を20CC程投入して管に残った薬を胃に送り込む。そして、2服目の抗生物質を同様に投与したところ、余りにも急ぎすぎたため、胃が刺激されたためか、逆上して口から吐き出す結果となってしまった。幸にも身体を起こしていたので、喉を詰まらせることもなく、寝間着を少々濡らした程度で済んだ。これ以降抗生物質2服を連続して飲ませることに無理あることが分かったので、2服目の投与は少し時間を置いてから、飲ませることにした。

 いずれにしても徐々に痰の出方も減り、一旦吸引の必要がなくなった。これで一安心と思ったところだが、2,3日して夜中に「ウ、ウー」と息を詰まらせた声で起こされた。痰というよりか、鼻を詰まらせ息苦しくなり声を発したようである。早速吸引をして、治まったが、現在も夜中であったり、夕方であったり、苦しそうな声を出し、鼻を詰まらせているので、吸引を必要としている。

 一寸した油断から、風邪を移してしまい、反省しているところである。夏風邪は余り酷くはないが、何時までもズルズルと長引くのに閉口している。早く吸引器から解放されることを願っている。


成年後見人制度に関する疑問
平成25年9月31日

 妻の簡易保険が満期となりその手続きをしようとしたが、満期手続きのための書類は本人自筆でないと認められないことから、平成21年春に法務省に後見人の手続をし、認められて後見人となった。監督機関は家庭裁判所である。申請時に申告した被後見人(妻)の財産の変動を毎年報告することになっているので、今年も7月に第4回目の報告を終了した。

 本人に拘わる一切の経費を計上するのであれば、大変であるが、現在は預金から引き落とされる介護関係の費用と医療関係も非定期な入院時に纏まって発生する費用のみで、定常的な医療関係の費用などを含め日常的に発生する費用は計上してないので、報告処理事態は大した負担にはなっていない。

 申請時に被後見人となった通知を見ると選挙権が剥奪されていた。一見、人権を無視した制度だなと思った、しかし、少し考えてみれば、選挙権があっても投票できる状態ではない。投票券がきても棄権することになる。投票率を考えれば棄権して投票率を下げるよりも、無しの方が投票率に貢献することとなり、良いのかなと思っていた。

 選挙権については一被後見人が「金の管理は出来ないが、投票すべき人を選び、投票も可能なのに、選挙権を奪われた」とした裁判の最高裁の判決が今年5月に違憲との判決が出た。この結果、今年の都議選では早速、投票券が届いた。被後見人は12年度で14万人弱いるそうだが、一挙に有権者が増えたことになる。しかし、本当に選挙権を行使出来た人は何人いたのだろうと思う。確かに人権を無視して、一方的に選挙権を剥奪したのもおかしいが、違憲の判決で該当者全員に選挙権を与えるのもおかしな話である。後見人の意見を聞いて、「明らかに自己で判断でき、投票が可能で、どうしても投票権を復活したい。」という人だけに与えればよかったように思う。

 年度報告書を提出したところ、担当の書記官から
、『当裁判所では本人に対する損害を防止する観点から、これまで、適切に後見事務を行っていた方であっても、一定の財産がある場合には、一律に、信託契約の締結か後見監督人の選任のいずれかの対応をとることといたしました。』
その説明をするので、都合のつく日を連絡下さい。とのことであった。

 当日家庭裁判所に出向き、説明を受けた。当然出頭の依頼を受けた書記官K氏(女性)から説明を受けるものと思っていたが、面接室に現れたのは男性(名乗ったが声が低く、余り良く聞き取れなかった)であり、担当官の代行の人だと思い、話を伺った。

 ある一定以上の財産があり、当面必要のない財産について、信託契約することになる。先日提出した資料を見て、纏まった定期預金があるので、これを信託契約の対象にしたらどうか。とのことであった。信託の契約に当たっては『専門職後見人』を立てて、実施する。そして、専門後見人の費用は被後見人の負担になり、作業内容によって数万円から、10万円ほどかかる。。とのことであった。

 妻の場合、定期預金を預けている銀行が信託契約対象の銀行である。預金を下ろす手続をして、信託手続に切り替えるだけで、何故専門後見人が必要なのか尋ねたが、制度上そのようになっているようである。もう少しその場で疑問点を投げかけるべきであったが、当日、集中豪雨が発生していた日で、一刻も早く終わらせて、帰宅したかったこと。また、現在、話している相手は代理であるので、後ほど電話で担当官と話そうと思ったのが、大間違いであった。

 当日は疑問はあるにしても、「信託契約をすることで、専門後見人を決める。」となって、仕舞った。帰宅後色々考えてみるが、合点がいかない。『被後見人の財産が当面の生活の必要ないから、安全のために、信託契約しましょう』は異論のないところである。そこでこのような信託契約可能な銀行があるので、手続を取って報告下さい。しかし、「手続のために支援が必要なら、少々費用が発生しますが、専門後見人を紹介します。」と言うのなら、分かる。

 柔らかい口調で話していたが、話している内容からすると、「お前達を後見人にしてやっているが、何をやらかすか分からない。当面生活に不要な財産は信託に預けろ。その手続もお前に任せたら、何をやるか分からない。専門後見人に見張りさせる。」と言っている制度に等しい。

 どう考えても妻の場合、預金している銀行に連絡し、信託の内容説明と、手続用紙を持参して来て貰えば、簡単に一度で済んでしまうことである。そしてポケットティッシュの1つでも置いていくだろう。

 納得がいかなかったので週明けに担当官に電話をして、『後見人として財産を守る関係から、信託契約手続のために、被後見人から手数料を払いたくない。どうしても信託契約をせねばならないのか』を尋ねた。担当官の答えは「当日話をした裁判官が決めたことで、自分が決める立ち場にない。」とのことであった。ここで始めて、書記官とは単なる事務処理担当者で、実際の内容について、審議するのは裁判官であることが分かった。そこで裁判官に電話を繋いで貰うように、お願いしたが、繋げられないとのことであった。必要なら「書類を出せ。」とのことで、少々押し問答があったが、裁判官に連絡を取り、再度面会して貰えることとなった。

 再度訪問し、前回あった裁判官と面会をした。裁判官の方から「信託契約について専門後見人を置きたくないと言うことですね。」と切り出された。主旨は良いが制度が納得いかないことを話し始めたが、中断され、「急に現在、在宅介護の状態にあるので、介護の実態を調査させて貰う。調査には費用が発生する。」とのことであった。資産の管理から、急に介護の状態の話に変わったのか、理解に苦しんだが、被後見人の話でなく、後見人の適否を調べるというのであるから、拒否するわけにはいかない。了解した。

 今回の信託契約制度や後見人制度が家裁の中でどのように運用されているかなど、質問をしたかったが、裁判官らしく、宣告をして仕舞うと、早々と引き上げていって仕舞った。

 前記の書記官より事務連絡が届いた。
 「平成25年(家)第XXXXX号後見開始の審判申立事件の監督事件について、専門職による調査を実施することになりました。つきましては・・・」で始まる文書である。裁判所とは一事が万事で、一言話したことでも全て事件として取り扱われることが分かった。相談、話し合いと言う場面はないらしい。

 指定された専門職の人から、「介護の状況について、ヒヤリングに伺いたい。」との連絡があった。介護についてはHPに詳細は掲載してあるので、先ず閲覧して来て頂くことをお願いした。ヒヤリングの内容は主に現在受けている介護サービスの状況や被後見人に対する費用処理に関するものであった。本人の生活環境(寝ている状態)も見て行かれた。またケアマネージャー及びデーサービスへもヒヤリングに行きたいとのことで、連絡先をお教えした。後日、両者に電話と訪問があったようであるが、突然、裁判所からの連絡で何事かと驚いたようである。

 最終的にはどのような結論(判決)が出てくるのか想像も付かないが、現在は連絡待ちである。

 以上が突発的に起きた事の流れであるが、どうしても腑に落ちない事が幾つかある。後見人から見た制度の疑問点などを相談する「苦情相談」を受け付ける場所は果たして存在するのだろうか。問題解決のためには裁判に掛けろと言うのだろうか。

胃瘻の交換
平成25年12月16日

 胃瘻の交換は標準的に6ヶ月毎に交換をする必要がある。本年4月に昭和大の神経内科に検査入院した際、丁度胃瘻の交換時期であったので、検査と同時に胃瘻の交換をお願いして、行って貰っていた。しかし、医療機関毎に使用している胃瘻用の機材が異なるらしく、初期に使用していた機材とメーカーが異なり、胃瘻部との接続構造が異なるものとなった。初期のものは接続部の構造が硬構造で外圧には強そうであるが、接続部の管の内径が非常に細く、栄養剤や、薬によって詰まってしまい、何回か交換する結果になっていた。一方今回のものは接続部は軟構造で弱そうに見えるが、接続部の内径が太く、栄養剤などの詰まりにくい構造であった。メンテナンスからも後者の方がし易いと考え、昭和大へ状況報告のため通院した際、胃瘻交換をお願いし、10月22日に入院予約をして貰った。

 事態の起きる1ヶ月程前のことだと思うが、栄養剤投与の際、食前の薬をシリンジで投入後、栄養剤を接続して、投入を開始したが暫くすると点滴が落ちていない。点滴量を増やそうとするが、全然落ちてこない。やむを得ず看護センターに連絡し、見て貰うことになった。投入用の管をメンテナンス用の管に取替え、太さの異なったシリンジで少しづつ水分を投与して、徐々に水分を補給できるようになった。そして何とか投入に必要な点滴数の確保が出来るようになった。

 翌日、薬を投与後、水分を50CC程、補給するが、その際、10CC程残ったところで、一気にシリンジを押して圧力を掛けて見たところ、「プスッと」音がして詰まった物が取れた。それ以降、従来のように順調に流れるようになり安心していた。

 10月3日朝、何時ものように薬を投与し、栄養剤を投与始めたが、暫くすると点滴が止まっているのに気づいた。そこで一旦栄養剤を外し、シリンジに水を10CC程入れて、強く押したところ、前回同様一気に押し込むことができたので、栄養剤に切り替えて投与を始めたところ順調に点滴が落ちるようになり、安心して最後まで、点滴をし続けた。

 栄養剤の投与が終了したので、最後の補給用水分をシリンジで投与しようとしたところ、何かおかしい。寝間着が濡れているようである。布団を捲ってみると、お腹周りの寝間着は勿論、敷き布団まで、ビッショリ濡れている。寝間着を捲って、胃瘻部を見ると胃瘻に接続する管の接続部が抜け落ちていることが分かった。即ち、投与した栄養剤は胃に送り込まれることなく、お腹周辺に垂れ流していたことになる。事態が事態なので、着替えをすることとなった。不幸中の幸いなことに、敷き布団側は防水シーツがあったため、直接敷き布団まで、交換する必要なくすんだ。

 このままでは食事をさせることが出来なくなるので、早速訪問看護センターに電話をして、来て貰い、前回同様胃の中の弁機能を復活させるべく、大小のシリンジを使って調整して貰ったが、弁機能は快復しなかった。このままでは絶食となってしまうので、早速昭和大に電話をし、「22日に胃瘻交換のため入院予定にしていたが、急に胃瘻が詰まって栄養剤が投与出来なくなったことを話し、急遽入院させて貰うことになった。
 
 慌ただしく入院の準備をして入院した。栄養剤投与に関しては胃瘻からの投与が出来ないため、交換までは管を鼻から食道を介して投与することとなった。胃瘻交換のためには内視鏡の設備が必要であり、また胃瘻交換が出来る医師が必要である。週の初めに次週の予定を決めるようで、入院時には次週の予定は決まっており、早くて再来週になるとのことであった。胃瘻交換処置そのものは30分程で済むのだが、緊急入院のため時間待ちをすることとなった。

 基本的には待機中は栄養剤の投与をお願いするだけであるが、歩行が困難となり、寝たきりになってからは口腔ケアが出来て居らず、虫歯もあり、ぐらつき始めている歯もあるので、歯の状態を見て貰うことをお願いした。特にぐらついた歯が抜け落ちる可能性があるならば、抜歯して貰うことをお願いした。歯科による診断の結果では虫歯はあるものの、「簡単に抜け落ちて飲み込んでしまう心配はない。」とのことであった。従って歯そのものの治療はしないが、口腔ケアのための歯磨きを行って貰うと共に口腔ケアの方法にについて指導を受けた。

 胃瘻交換は17日に無事終了し、翌18日に退院することが出来た。胃瘻交換そのものは30分程度で済み、特に交換後の経過を見る必要もなく、簡単なのだが、入院から交換実施まで2週間ほど待機時間を費やし、長かったのには少々痺れを感じた。 

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