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著書「娘になった妻、のぶ代へ」(佐川啓介著)は「ドラえもん」役を四半世紀に亘って演じてきた大山のぶ代を妻に持つ著者佐川啓介が妻”大山のぶ代”が認知症に罹ったことを公表し、介護経緯を妻(のぶ代)に語りかけるように書かれている。
著者は妻が「ドラえもん」のことを忘れ、また夫である自分のことも分からなくなっている現実を認めたくなかったこともあろうが、『ドラえもん』=『大山のぶ代』のイメージで国民的人気になっている現在、認知症に罹っていることを公表することでその反響の大きさを案じていたようである。
認知症と診断されたのが2012年秋で本の発行が2015年10月であり、3年間「認知症であることを認めたくなかったこともあるが、一方認知症であることを知られたくなかったようである。有名人であるが故に認知症であることが知れ渡った時のダメージが大きいと考えていたのだろうが、マムシ(毒蝮三太夫)の勧めによってラジオの生放送で公表したことは良かったと思う。即ち、黙っていたことの後ろめたさから解放され、またファンから同情はされても、後ろ指を指されることがなかったことが分かったことだと思う。
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本書の内容を私なりにまとめてみると次のようになる。(著者は妻大山のぶ代のことを「ペコ」と呼んでいたので、以下「ペコ」と記す。)
【病 歴】 |
≪ペコの病歴≫ |
2001年4月 |
人間ドッグで直腸がんを発見して手術をした。
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2008年4月 |
前頭葉の脳梗塞で入院。比較的軽度のため、身体には麻痺は残らなかったが、前頭葉のため、しばらく記憶の一部がはっきりしなくなったようだ。
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2012年秋 |
脳の精密検査の結果、「アルツハイマー型認知症」と診断された。
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≪著者の病歴≫ |
2013年 |
胃がんの摘出手術で2週間程入院した。
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2015年7月頃 |
逆流性食道炎で1週間入院した。
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その他 |
入院までに至っていないが、肺気腫や帯状疱疹に罹ったことがある。
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【現在までの症状】 |
≪精密検査以前≫ |
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愛煙家であったにも拘わらず、「灰皿」が何に使うものか、分からなくなった。
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料理中にガスのつけ忘れで、鍋が焦げているのに、眼の前の野菜を一心不乱に切っていた。
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残った料理を一つの容器に詰め込んだり、その容器を冷蔵庫に仕舞わず、書類の引出にしまった。
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電気を家中つけっぱなしにする。
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冷蔵庫を開けっ放しにする。など。
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≪精密検査以降≫ |
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薬の飲み忘れ、飲み間違え。
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指宿温泉の砂風呂に入っている際、子供連れの家族が写真を撮っているのを見て、急に怒鳴り声を発生して大騒ぎになる。
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風呂を嫌うようになる。
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大便を家中でたれ流すようになる。
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夜中に起きて納戸に入り込み、大きな声を発し、一人でしゃべり続ける。
など。
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【介護について】 |
介護という面では脳梗塞で倒れた時点から行っている。介護の中心は著者本人であるが、認知症の症状が顕著になってきたここ2,3年はマネージャーのK氏及び長期に入っている家政婦N氏の手を借りている。
今後の介護の詳細は分からないが、介護保険のサービスは受けてないし、受けるつもりもない。介護施設に入れる気もない。娘になったつもりで、K氏とN氏の支援を得ながら介護を続ける積もり。
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【公表について】 |
著者(夫)は『ドラえもん』=『大山のぶ代』として、国民的人気になっている、そのイメージを損ねてはいけないと常々思っている。即ち、ドラえもんは永久に不滅であり、その役を演ずる大山のぶ代も永久不滅の存在でなければならないと思い続けている。従って仕事関係者以外には一切口外してこなかった。
しかし、介護に関して、知人でもあり、認知症の番組を持っているマムシに相談したところ、色々介護に関する参考になる話を聞くことが出来た。その際、「公表した方が良い。」と薦められたが、「大山のぶ代のイメージを崩すのではないかと直には同意できなかったようであるが、
『一人で抱え込んでいたら、お前の方が参っちゃうって・・・・。啓介が先に逝っちゃったら、ペコはどうなるんだよ。』と言われて決断したようである。
そして、2015年5月13日にラジオに生放送で公表した。その反響が大きかったこと、また公表によるマイナスイメージが払拭されことで本人もスッキリしたようである。
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【感 想】 |
先ずは認知症に罹ったことに同情申し上げると共に、介護の大変さお察しいたします。有名人が故にイメージダウンを恐れて病状を隠し続けてきたが、マムシさんの助言により公表したことで、世間は同情を持って受け入れて呉れたことが分かり、肩の荷が取れて非常に良かったことだと思います。
しかし、これが小説であればハッピーエンドで終わり、その後は読者それぞれが勝手に想像すれば良いことです。しかし、これは実話であって、著者にとっては認知症介護という長旅の1合目をスタートしたばかりの話です。今後のことについても触れていますが、「未来については自分にも分からないが、長生きして、余り見知らぬ人の介護の手を借りずに、マネージャーK氏と家政婦N氏の協力を得て、介護を続けて行こうと思っている。」と述べています。
15年間認知症の在宅介護をして来ている読者の一人として疑問を感じています。私は本腰を入れて在宅介護をするに当たって、下記の「介護の心得」を持って取り組みました。
【介護の心得】 |
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私自身介護を継続的に実施するために次の4点を決めた
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介護をしているのだと力まないこと。
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子育ての時、只今「子育て中」と看板を掲げて、生活はしていない。子供のいる家族として生活を送っている。大きな子供抱えた家族生活をしてる位に考え、介護が普段の生活の一部にならないと、ストレスが溜まり、長続きはしなくなる。
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A |
現在残っている良い機能を探し出すこと。 |
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失われていく機能を正常の時と比較することは落胆が増すだけで惨めになる。逆にまだ正常な機能を探し出し、その機能を活用することで、喜びを感じることが出来る。
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B |
最小限の行動範囲を維持すること。 |
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介護が始まれば行動範囲を縮めざるを得ない。介護を理由に自分のしたいことを断念したり、誘いを断り続けていると、気がついた時には孤立して別世界に入ってしまう。これを避けるために、必要最小限の行動範囲を決めておき、それを守ることにした。
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C |
自身の健康を維持すること。
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健康維持のために心がけていることを列挙すると次の通りである。
@毎年健康診断は全て受けている。
A妻は現在2週間おきに往診を受けているが、その際、半強制的に受診している。
B三度の食事は正しくとり、暴飲、暴食をしない。
C生活のリズムを崩さない。
血圧の薬は若い頃から飲んでいるが現在は若い頃よりも安定して、略正常値をキープできている。15年間2,3度風邪を引いたことはあるが、寝込んだことはない。
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介護は先の見えない長期戦です。そして介護度が上がる毎に介護の質が変わってきます。特に体力が必要になってきます。二人の絆の強さはよく分かりますが、「気力」と「気心知れた人による介護」だけでは介護は出来ません。特に著者は持病もあり、ストレスによる病気にも罹っているようです。介護を継続するために先ず第一に為ねばならないことはご自身の健康管理だと思います。そのためには先ず第1にペコの過去の栄光を忘れ、現状を認識することだと思います。第2に専門の介護支援者を受け入れ、介護作業の負担を軽減することだと思います。
認知症は他の一般の病気と同じ病気の一種です。しかし、一般の病気は発病すると通院または入院して、1、2週間医者の処置を受けて完治するものですが、認知症は一旦診断されると1,2ヶ月単位で通院しますが治療目的でなく、薬の処方箋をだして貰うのが目的です。認知症患者にとって重要なことは日常生活を維持するために、介護保険による介護を受けることです。そしてこの介護は継続的に必要であり、認知度が進んでくると介護の内容は変化し、それを相談するのは医者ではなく、ケアマネージャーであり、ケアマネージャーを指定して貰うためには介護認定が必要となってきます。このような話をマムシさんはしているはずですが、残念ながら理解して貰えていなかったようです。
改めて、まとめますと、在宅介護をスムースに実現するためには、先ず、ケアマネージャーを決めて貰い、適切な介護支援を得ること。一人では無理です。そして、ストレスを溜めない工夫をして、健康維持に努めることだと思います。
ペコにとっても何時までも啓介(著者)が元気で介護をし続けて呉れることを望んでいると思います。
以上著書「娘になった妻、のぶ代へ」を読んだ感想を『独り言』としてまとめてみました。
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