運転免許を取得するためには道路交通法を学び、運転実技を習得して、両者の試験に合格しなければ、免許を取得出来ないことは誰でも分かっている。しかし、成年後見人制度など制度そのものが存在することも直面した人以外の大半の人は知らないだろう。況してやこのような制度が何時作られ、どこでどのように運用されているかなど少数の関係者以外知る由もないことである。
成年後見人制度とは『財産管理の判断能力を失った被後見人の財産を守るために、親族などの後見人を指定し、財産を管理する』制度であることが分かった。そこで、この制度を運用するために、成年後見人を認定し、その後見人からの報告を受けて、安全に運用されていることの確認及び管理運用上問題が生じた場合相談出来るサービス部門的新しい役所が出来たのだと思っていた。
即ち、成年後見人の申請が何故家庭裁判所なのか疑問には思っていたが、家裁に申請に行くと13階に後見人センターが存在するので、家庭裁判所という建物の中に成年後見人制度を管理/運用する後見人センターと言う新しい役所が出来たのだとばかり思っていた。しかし、(無知過ぎたのか分からないが)今回全く間違っていることが分かった。
東京家庭裁判所のホームページで家事事件の『審判』の項を見ると8審判項目の1番目に「成年後見制度に関する審判」として挙がっている。
また、「家庭内の紛争などの家庭に関する事件は,家族の感情的な対立が背景にあることが多いので,これを解決するには,法律的な観点からの判断をするばかりでなく,相互の感情的な対立を解消することが求められています。また,家庭に関する事件を解決するに当たっては,その性質上,個人のプライバシーに配慮する必要がありますし,裁判所が後見的な見地から関与する必要があります。」のように親族間の感情に対して十分な配慮をしていると書かれています。
それでは成年後見人制度はどのような法の下で運用されているかです。車の免許を取得するためには車両に対する道交法を勉強して取得することは分かっている。しかし、成年後見人になるために、成年後見人制度がどのような法律の下で運用されているかを知らなくても、後見人になることはできるし、必要性も感じていなかった。
しかし、最近「出頭しろ。」「XXXについて調査する。」「その調査費は被後見人の財産より支払え。」「審判がおくられてくる。」など、一方的に書類が送られて来、心中穏やかでなくなってきた。特に成年後見人制度の怪(その3)の資料3に「第124条2項」に基づきとあることから、少し成年後見人制度について調べ始めてみた。
【家事事件手続法第124条】とは
成年後見人制度の怪(その3)の資料3の審判書に、「家事事件手続法124条2項に基づき、職権で、・・」と書かれていることでこのような法律があることが分かった。
家事手続法124条 |
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家庭裁判所は、適当な者に成年後見人の事務若しくは成年被後見人の財産の状況を調査させ、又は臨時に財産の管理をさせることができる。
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2. |
家庭裁判所は前項の規定により調査又は管理をした者に対し、成年被後見人の財産の中から相当な報酬を与えることができる。
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3. |
家庭裁判所は家庭裁判所調査官に第一項の規定による調査をさせることが出来る。
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先ず「手続法」なるものもがあることも初めて知ったが、僅か150文字足らずのもつ文言であるが、この意味の重さというよりか「怖さ」を感じた。
124条を一言で言えば、
「家庭裁判所の調査官に適当な人を使って、成年後見人の事務処理の状態や被後見人の財産を調査させたり、臨時に財産の管理をさせることが出来、且つその調査または管理費用を被後見人の財産から支払わせることが出来る。」
と言うことである。
これまでの疑問点に、このような法があることを知って、戦時中の「統制社会」を思い出した。
昭和の時代ならともかく、平成も四半世紀過ぎた時代にこのような人権を無視した制度が存在するようになっていたことに驚きと言うよりも寒気を感じた。
成年後見人になったことで「発言の自由もなく、裁判所に身辺を調査されたり、監督される。そして、それは後見人を続けている限り続き、且つ被後見人はその費用を払わされ続けることになる。」
問題点又は疑問点が3つある。
(1)後見人は被告席に座らされていること。即ち、被後見人の財産を狙う人物であると決めつけていること。
(2)今まで裁判所になかったと思われるが、他人を使って調査出来る調査権が与えられたこと。
(3)そして(2)の調査費用を被後見人の財産から、支払わせることが出来ること。
(1)について |
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もし成年後見人制度が役所の1つの業務として追加されたのであれば、その部門は後見人の申請後、資格審査をし、後見人を登録する。後見人であることの証明書の発行をすると同時に、毎年の収支報告書の提出を受けて審査し、書類上不審点や異常支出など問題点がある場合には質問あるいは説明を受けて、必要に応じて改善要求したり、場合によっては罰則規定に従って、罰則を適用する場合もあるだろう。いずれにしても、サービス部門であり、正確に適切な対応が出来るだけの体制を整え、後見人との相談にものり、後見人が問題を起こさないように改善努力をするであろう。
これに対して裁判所は訴訟のない世の中を作るためのものでなく、発生した訴訟に対し何らかの判定(審判)を下すところであることが分かってきた。野球で言う審判(アンパイヤ-)と同じで、A,B二つのチームが対戦している時、プレーに対してルールに則ってアウト/セーフなど判定(審判)するのが役割で、対戦相手が試合をしてくれないと、成り立たない職業なのである。裁判所も同様で世の中に訴訟がなければ不要な職業であり、『訴える側』と『訴えられる側』が必要なのである。
成年後見人制度を家庭裁判所で取り扱うようになった理由は家庭裁判所に入ってくる訴訟の多くは遺産相続など親族間の財産に絡んだ訴訟であるためだと思う。当然、判断能力を失った被成年後見人の財産を狙うのも親族である。後見人に指定はしたが、全ての後見人はその財産を狙う親族の一人に過ぎないと裁判所は決めつけている。.
申立はあくまでも後見人の申請をしたのであって、訴訟を申し立てた積もりもなく、当然のことながら、被告人など指定していない。しかし、裁判所としては『訴えられた側』が存在しないと審判のしようがなく、問題あるなしに関係なく後見人を「被告席」に座らせて、進めている。
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(2)について |
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(1)でターゲットとされた後見人に対する調査権である。成年後見人制度が出来るまで、裁判所は事件に絡んで被告人に対する調査権など持ち合わせてなかったと思う。裁判所からすると、これはもの凄い新たな権限を得たことになる。
これは凄い権限で、使い方を間違えると「権力」になる。先にも述べたが、この条文を見た時、戦時中の上意下達の統制社会を思い出し、ゾッとしたものである。本条は成年後見人制度と対象はある限られた人に対するものであるが、これに味を占め、これよりもっと大きな制度に同様な条例を適用したら、いくらでも拡大可能な条例となり得てしまう。「集団的自衛権」を憲法の解釈を変えてまで、強引に推し進めようとしている時代である。
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(3)について |
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先ず、一般民間企業で働いてきた者にとって全く考えられないことである。裁判所が当然やるべき調査(仕事)を他人にやらせるのである。その請求書を後見人に回し、被後見人の財産から支払えと言っているのである。
うっかりすると収支報告書を見て、まじめにこの後見人は問題なく調査の必要なしとする裁判官よりも、報告書の調査は程々にして、調査を乱発する裁判官の方が裁判所での評価が良かったら、どうなるのだろうか。
また、このような行為を一般企業で考えてみると、例えば、A社の営業マンが得意先のある官庁のX氏を訪ねた時、この仕事はお前の所に回してやるから、今B社に一寸した仕事を頼んでいるが、その支払を頼むと言われ、支払ったとすると、これは完全に『贈賄』であり,『収賄』行為であることに間違いない。このような行為が150語程の条文を作ったことで正当化されてしまっているのである。
もう一つ見方を変えると、今世間を騒がせている「振り込め詐欺」と全くパターンが似ていることである。振り込め詐欺では色々な手段で集めた財産のある老人のリストを取得し、「息子を装ったり」、「投資を持ちかけたり」して大金を振り込ませてだまし取っている。これに対して成年後見人制度はこれを利用する人はある程度以上の財産を持っているから、申請するのであり、また合法的に財産リストを提出させているので、どれだけ財産があるかは分かっている。大体一千万円は持っているのだから、年に1%程度なら問題なしとして、調査などの業務発注をして、支払伝票を回しているのである。「似て非なるもの」だろうか、全く同じに見えてしまう。
また、この依頼を受けた調査人は仕事は裁判所から受注し、その支払は調査先より受け取れと言われている。果たしてどちらを向いて仕事をするのだろうか。この心中を知りたいところである。
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【監督人について】
成年後見人制度の怪(その4)(事件2-3)で述べたが、資料5の審判のように『監督人を指定』したとの通知を受けた。これは成年後見人制度の怪(その2)(事件2-1)の資料1の事務連絡を受け、記載されている4項目に付き、調査に応じた結果に対し、上記のように調査費の支払い指示を受け、支払を済ませた後に来たものである。
(その2)でも述べているようにこの調査目的の4項目について、全く問題視される所はないことは自信を持って言える。調査人の話の進め方からすると,調査の目的は監督人を置くかどうかを決めることにあったようである。何も調査をせずいきなり監督人を置くと「審判」するわけには行かず、体裁を整えるためにやったことは明らかである。そして判定は調査結果によるものでなく、権限の行使と言うよりも権力の行使であると言った方が良いだろう。
振り返ってみると事件2は手順を踏み間違えたのだと思う。事件2-1の26年度の報告書の提出に当たって、連絡が来ないので、問い合わせたところ、担当者は替わっており、「26年度は提出しなくてヨイと連絡してあるはずだ。」とのことであった。しかし、提出をしてもヨイとのことで提出をしたが、予定としては12月末の締めで、収支報告書を取りまとめさせ、調査人を派遣して調査させると同時に、監督人の設定をしようと思っていたのだと思う。
資料5 |
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いずれにしても腑に落ちない所があり、事件1の時の出席依頼書(資料5)を読み直してみた。当時通知をよく見ていなかったのだろう。読み直してみると、「後見処理を適切に行っている人に対しても、一定以上の財産のある人に対しては一律に、@信託契約を結ぶか、A後見監督人の選任のいずれかの対応するようにした。』と書かれていた。しかも後見人の名前の所は手書きであり、発信者の名前もないことが分かった。これは後見人の名前の入っていないコピーした用紙が準備されていて、指示があると半自動的に名前だけを書き込んで、送付しているものである。これは善し悪しに関係なく、ジタバタしないように括り付けておけと言う発想である。
それでは何故事件1の際、信託への移行の話があり、一旦移行することを決めた。しかし、預金している銀行と同一銀行が取り扱っている信託へ移行する手続に、外部の人間に数万円もの手数料を払ってまでやりたくないと申し出た時に、何故監督人の話が出てこなかったのだろうか。疑問でならない。
【成年後見人制度は上手く運用出来ているのだろうか】
平成22年度の成年後見人制度研究会の報告書によると登録数は約17万人程である。毎年2万人以上の新規登録があるようなので、現在は少なく見積もっても25万人登録されていると思う。
同報告書によると私が述べてきた範疇の話と全く次元が違っている。先ずは数の増加である。現代の核家族化した社会において、親族の後見人を探し出すことも問題になっているようである。そこで、第三者の後見人として親族外の専門職後見人(弁護士、司法書士、社会福祉士)など色々な手を考えているようであるが、なり手不足の解決方法が見つかっていないようである。
そこで問題を起こしていない親族の後見人については手間を省く目的から、手続法124条を使って、先の資料4のような@信託契約を結ぶ。またはA監督人を選任。といった手段で、一括りにして縛り付けて置こうとしているようである。果たしてこんなことで良いのだろうか。
色々な資料を見る限り、問題を指摘しているものはあるが、「こう上手く進めている。」とか「こう問題を解決した。」と言うような成功例のような話を聞いたことはない。
認知症の増加はアベノミクスの比どころでない、現在400万人ほどのものが、2020年には800万人になると言われている。従って制度利用者も当然ながら倍増し、50万人は軽く超えることになるだろう。これで終わりでなく、更に成長を続けることになる。現状の成年後見人制度をそのまま続ける限り、家裁は成年後見人制度利用者で埋め尽くされ、破綻してしまうのではないだろうか。
成年後見制度は最初から失敗の制度ではなかったのか。先ず家内の後見人の申し立てをし、受理され連絡を受けた時、@選挙権を取り下げる。A印鑑証明を取り消す。との連絡を受けた。認知症は医学的には病気の一つに掛かっただけであるのに、これは「人権の剥奪であり。」「価値のない人間である。」とレッテルを貼られたようなもので、ひどい制度だと思った。しかし、ある被後見人からの訴えで、「金の管理は出来ないが、投票は出来る。と言う訴訟によって、数年前にあっさりと国は敗訴し、現在は完全に選挙権復活している。縷々述べてきたように後見人も人権が無視されている感じがするし、特に被後見人の増加率を見誤ったというよりか余り気にしていなかったのではないかと思われる。毎年数万人の登録数は増加し、その累計が管理対象者となるので、どのような天下の宝刀を振りかざそうとしているのか本当に心配である。
【一つの私案】
素朴な疑問は「成年後見人制度は司法マターなのだろうか。」である。確かに問題がこじれて司法に最終判断を委ねるケースもあるだろうが、多くのケースは行政レベルで解決出来るものだと思う。
一般市民の家族環境は図1に示すように、もめ事など起こすことのない『良好』の関係の家族、一寸した兄弟けんかはあるが、お互いが理解し合い訴訟など起こすに至らない『普通』の家庭、残念ながら常にいがみ合い訴訟まで発展している『不良』な家族と大ざっぱに3つに分類してみる。成年後見人制度以前では訴訟まで起こすトラブルを抱えていた人たちはピンクで示した『不良』な家族環境であったと思う。
図1 |
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これに対して成年後見人制度が出来た後、この制度を利用するようになった人たちはどうだろう。本制度の対象となる人は所謂認知症が高度に進んだ人たちである。これは一種の病気で家族環境の如何に関わらず発生するものである。即ち、図1のブルーで示した領域のように、家族環境に関係なく認知症は発生している。不幸にして認知症という病状が進み、判断能力がなくなった人の財産管理上やむなく成年後見人になったが訴訟など無縁の人たちが多数いることが分かる。
裁判所とは世の中をよくするための所ではない。犯罪や不正行為などで法を犯した行為に対して、法律に照らし合わせて判決するのが仕事である。即ち、善人が褒めてもらいに来る所でない。何らかの問題を持った人たちが裁きを求めて来るところである。従って仕事上では善人に会うことはないので、うっかりすると世の中に善人などいないと錯覚を起こしているかもしれない。即ち、後見人の申立をした者に対して、問題のない人と問題のある人の振り分けをすることなく、全て問題児として取り扱っている。
話は飛ぶが車に乗るためには運転免許証を取得している。警察はたまには検問を実施することもあるが、ドライバーは基本的に交通規則を守ってくれると信じて運転免許証を発行している。もし、警察が運転免許証を発行したものの、ドライバーは必ず交通違反をする者であると決めつけて、あらゆる所に検問所を設け、通行する車全車両を止め、検問したらどうなるだろうか。当然のことながら、そこら中が渋滞となり、社会生活もおかしくなってしまうだろう。警察は当然ながらこのようなことをするはずがない。むしろ警察は無事故、無違反の人にゴールド免許証を発行して褒めることをしているし、安全運転の呼びかけをおこなったり、事故統計を取り、その対策を講じている。
成年後見人制度利用予備軍は2020年には倍増することが分かっているので、当然のことながら後見人の数も倍増するだろう。成年後見人制度は一般の訴訟と異なり、1件ずつ解決するものでなく、基本的に被後見人が死亡するまで、継続されるものであり、対象者数は年々累積されるものである。現行の方式を続ける限り、運用は悪化の一途を辿るだけである。即ち、入力である後見人の数は増え続け累積してくる。一方処理をする裁判官の数は限度があるから、天下の宝刀である家事手続法124条を使って仕事を外へ丸投げし続けざるを得ない。
これを解決するためには仕事の流れを変えなければ駄目だと思う。申請者の数を制限するわけには行かない。後見人の種類を選別すべきだと思う。図1で説明したように申請者の家族環境は良好な人から不良な人まで、千差万別ある。資産内容及び1,2年の収支報告書を見れば、全く問題ない人、若干注意を要する人、要注意の人に大別されるはずである。現在は後見人全員を裁判所は法律という色眼鏡をかけて、見続けている。これでは疲れてしまう。先ず、法律の入ってない素通しのめがねで眺める。そして問題のない後見人に対しては「このままよろしくおねがいします。」と声をかける。「一寸問題のありそうな人には「この辺を改善して下さい。」と声をかける。そして問題のある人に対して、法律の色眼鏡をかけて対応する。このように本来の裁判所の役割を発揮すべき、対象の後見人の数を減らすことを考えるべきだと思う。このようにすれば後見人の数が「10」あるとすれば、裁判所で取り扱う対象者を「2」、「3」に減らすことが出来るのだと思う。
図2 |
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上記のことを図2で説明する。図の左側は現行の作業の流れを示す。先ず後見人候補者は家庭裁判所に申立をして、後見人の認定を受ける。後見人の管理は法務局で行われるので、被後見人の財産処理のために、後見人であることの証明が必要な場合は法務局に出向いて証明書の発行を受ける。一方後見人は被後見人の財産を管理すると共に年度毎の財産の状況並びに収支報告書を指示に従って報告する。資産管理が何ら問題はなくても、親族の後見人は財産を狙う一人と考えられており、成年後見人制度と言う法律の下に裁きを受けねばならないことになっている。これは一つ一つ解決していくものでなく、被後見人が死亡するまで継続するものであり、後見人の数は年毎に累積される。推定すると、現在は25万人を下らないと思われる。更に被成年後見人の予備軍である認知症患者は2020年には倍増すると言われている。制度は改善されるどころか、年々問題が増加の一途を辿っていると思われる。問題の根源は成年後見人制度を「性悪説」でしか見る眼を持ち合わせない司法の眼でしか眺めていないためだと思う。
では「性善説』で考えた時の私案としてまとめて見たのが図2の右側で,処理の流れを示す。(事前処理)とは後見人を認定し、後見人との対話が出来、後見人からの報告を受け、後見制度を円滑に進めるための部署である。
事前処理部門の役割は
◆@後見人の申請を受付、審査して後見人を確定、登録及び証明書の発行
◆A後見人との相談窓口
◆B後見人からの財産目録及び収支報告書の審査、である。
@で最も大事なことは「後見人と言う大役をお願いするのだ。」位の考えを持つべきで、登録決定通知書には「後見人として大役よろしくお願いします。」程度の一寸した添え書きが、後見人を励ます言葉になることは間違いない。
A後見人も夫婦、親子、兄弟など状況によって異なるが、管理上の一寸した相談出来る窓口があるとありがたい。
B収支報告書を審査することによって、次の3つに大別される。
A:支出も適切であり、収支報告書も整理されいる。
B:収支報告書に若干乱れがあったり、疑問のある出費項目はあるが、ヒヤリングで確認・修正が可能である。
C:明らかにおかしな財産の移動があったり、異常な出費がある。
報告書に関しては審査結果について連絡すべきで、Aについては『適切に管理をして貰えています。今後も継続してよろしくお願いします。」。Bについては「問題のあった点を指摘し、今後このような点を改善して管理をよろしくお願いします。」程度の添え書きをして、結果報告すべきと思います。人間は褒められて、悪い気はしません。むしろ、頑張ろうと前向きに考えるものです。
Cについては具体的なフォローが必要になる。事前処理部門としては審査レベルまでで,Cに該当した後見人は不良後見人としてリストアップし、裁判所に審判を依頼し、後見人の見直しや監督人を置くなどの処置を執って貰う。
A、B、Cの割合は分からないが、一般市民は善良な人が多いと信じている。このような手段をとれば本来家裁で取り扱うべきはCのみでよく、総後見人の数の少なくとも数分の1に減少することが出来るだろう。
事前処理部門は業務の効率化とCを減少させることが、目標となるだろう。これを実行するためには先ず褒めることです。褒めることの一つの方法として、表彰があります。運転免許で言えば、無事故・無違反を継続すれば、ゴールド免許が貰えます。高価な商品をあげるわけではありません。賞状一つで良いのです。もう一つは良い事例の発表の場を設けることです。事例の印刷物でもよし、セミナー形式でもよし、手っ取り早い方法はインターネット上に発表の場を設けることだと思います。
成年後見人制度は被後見人の財産を守り,且つ後見人の的確な管理を円滑に行われるようサポートする制度であり、不正な行為に対して強く罰する制度であるべきである。即ち今まで述べてきた事前処理を担当する部門が本来の成年後見人制度を実行する所である。そして、制度に違反した行為に対して対処するバックアップ組織として家裁が対応するのが本来の姿だと思う。
では事前処理部門はどこに設置すべきなのか。最も望ましいのは行政機構である市、区のレベルである。この程度の細かさで対応出来ないと、申請者の増大に対応出来ないと思う。
【結言】
事の始まりは単に旧簡易保険の満期手続の際、本人が自筆出来ないことに始まり、この処理のために成年後見人制度に出会うこととなった。この制度の利用は安全に且つ円滑に手続処理が出来るための制度だと思っていたが、家裁に人権管理を申し出たのに等しい制度であることが分かった。
そこで少し成年後見人制度を調べ始めてみるとよく分からないが、対象となる後見人の数は年々増え続け、その累計数を管理することから、問題も累積されてきている事も分かってきた。このような制度を何故家裁(司法)が担当するようになった理由が理解出来ない。
結局、日本国憲法の三権分立を紐解かなければ分からない事となった。国民は三権分立の法の下に守られていることになる。立法で法律を作り、行政で実行する。一方司法は両者を見守り、違憲であるかどうかの判断を下す所である。このような観点からすると、成年後見人制度を運用する行政機関を設けず、直接司法(地裁)マターになったのか理由が分からない。
私の私案は行政機関(市、区)に本来の成年後見人制度対応の組織を作る。そして財産管理上高度の判断が必要になった事件に付き家裁に委託する方式である。三権分立は結構なことであるが、国民に眼を向け、歯車がかみ合って初めて意味がある。現在の成年後見人制度だけを考えると歯車がかみ合うどころか抜け落ちているようである。「簡易保険の満期手続き位、簡単にできるような制度にして欲しい。」と願う。
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