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リリーの同窓会


第10章 静かな森

川沿いの道を、荷馬車が進んでいる。
進行方向の右側をゆるやかに流れるストルデル川の水面は穏やかで、河岸に繁茂した植物が青々と日に照り映えている。
馬車は、シグザール王国の東の果てにある、エルフの里に向かっているところだった。二十数年前に発見されたその森には、人間に友好的なエルフの一族が住んでいた。そして、時おり訪れる商人や冒険者との間で、ささやかではあるが交易が行われるようになっていった。エルフの里では、『オーレの卵』をはじめとした、森の珍しい産物が手に入る。見返りとして求められるのは、薬草や食料品だ。
馬に引かれ、ごとごとと進む荷馬車には、『マンドラゴラの根』や『四つ葉の詰草』、『みずあめ』に『シャリオ乳液』といった、エルフたちが好んで欲しがる品物が山積みされ、風や埃を避けるために麻布で被われている。荷馬車には、御者と荷主の交易商人の他に、ふたりの冒険者が護衛として付き添っていた。
「ね〜、おなかすいちゃったよぉ。少し、休憩にしない〜?」
馬車の後尾から、のんびりした声でミューが言う。南国出身の浅黒い肌をした女性冒険者で、見かけものんびりしているが、性格も呑気そのものだ。
「何を言ってるんだ。さっきお昼を食べたばかりだろうが!」
先頭に立って槍をかつぎ、前方をうかがいつつ進んでいたハレッシュが言い返す。こちらは元騎士隊員で、褐色の髪を短く刈り揃え、がっしりした体つきで赤いマントをはおっている。
御者台に乗った中年の交易商人は、ハレッシュにうなずいて見せた。
「その通りです。休憩するのは、まだ早いでしょう。少しペースが遅れておりますからな」
「まったくだ。日が暮れないうちに、森へ入ってしまいたいからな」
ハレッシュは言って、あたりを見渡す。
街道の北側は、一面にベルグラド平原の緑の野が広がり、南側を流れるストルデル川のせせらぎが耳に心地よい。
そして、前方には黒々とした森が姿を現わし始めていた。『黒の森』と呼ばれる深い森だ。街道は、ゆるやかにうねるストルデル川の河道に沿って、森の中へと消えている。
「あ〜あ、だって、退屈なんだも〜ん。オオカミでも出れば、いい運動になるんだけどな」
ミューがぼやく。
「いいじゃないかよ。何事もなければ、それに越したことはないんだ。俺たちの出番がなければないほど、旅は平穏ってことなんだからな」
ハレッシュが言い返す。
「それより、気を付けてくださいよ。このあたりに、盗賊が出没するという噂を聞いていますからな」
商人が言う。いささか不安そうだ。
「なあに、まかせてくださいよ。ちんけな盗賊の4人や5人、あっという間に退治してやりますから」
ハレッシュが胸を張る。
そう言っている間にも、一行はゆっくりと『黒の森』の入り口へと近付いていた。
ハレッシュは、背後を振り返った。
ザールブルグの城砦は、既に地平線の向こうへ消えている。
(フレアさん、元気にしてるかな・・・)
ザールブルグを出発して4日しか経っていないのに、もう何ヶ月も会っていないかのように感じている。
ハレッシュが、酒場『飛翔亭』の看板娘フレアにぞっこんなのは、周知の事実である。ただ、みんなに知られていることを、当の本人が気付いているのかどうかは定かではないが。
エルフの里まで行き、ザールブルグへ戻るには、あと10日あまりかかる。
(その間に、他の男が近付きでもしたら・・・)
ハレッシュは一瞬、不安になる。誰にでもにこやかに接するフレアだ。その態度を誤解する不逞の輩が出てくるとも限らない。
(けど、大丈夫か。ディオの旦那が、しっかりガードしてるからな)
父親のディオがひとり娘のフレアを溺愛し、男を近づけないようにしているのは、ハレッシュにとっても悩みの種だったが、こうしてザールブルグを離れた今は、そのことが逆に安心感を与えてくれる。
ハレッシュは苦笑した。

荷馬車の一行は、『黒の森』へと足を踏み入れた。
その名の通り、この森の木々は他の土地の森に比べて密度が濃く、葉叢が重なり合う黒々とした屋根となって、頭上におおいかぶさっている。日の光も差しこまず、あたりは黄昏時のように薄暗くなった。
ハレッシュは油断なく槍を構え、周囲をうかがう。雰囲気が一変したせいか、ミューも黙りこくって歩を進めている。
森は、静まり返っていた。
風がないため、木々の葉のざわめきもかすかにしか聞こえない。
鳥のさえずりも耳に届かず、小動物が動く気配もない。
ただ、馬が息を吐き出す音と、ごろごろと回転する車輪の音だけが、静寂を破って響いている。
「なあ・・・。森の中って、こんなに静かなもんだったかな」
妙な不安感にかられ、ハレッシュはささやいた。
「ん〜、こんなもんなんじゃないの。それにあたし、森ってよく知らないし」
ミューの口調は相変わらずだ。
「ああ、それにしても・・・」
言いかけたハレッシュが身を固くした。
それは、戦いに慣れた者だけが感じることができる、第六感のようなものだったかも知れない。
なにかが、頭上から降ってきた。
「おわっ!」
ハレッシュは、槍を投げ出すようにして、前方に身を投げた。
背後で、バサッと音がする。
「やだ〜、何これ〜!?」
ミューの叫びが聞こえた。
身を起こし、振りかえったハレッシュが、何が起こったか見定められないうちに、事態は急速に進展した。
頭上の木から、次々と黒い影が飛び降りてくる。周囲の下生えの茂みの中からも、いくつもの影が湧き出すように現れる。いでたちはばらばらだが、いずれも頭から顔をヴェールでおおい、目だけが見えるようにしている。そして、手には短剣や山刀、棍棒など、まちまちの武器を握っている。
その数、およそ20人。
「ィヤッホゥ!!」
ときの声をあげると、影たちは荷馬車へと駆け寄った。荷馬車は、引き馬もろとも、木の上から投げ下ろされた大きな網にからめとられている。御者に商人、そして後尾にいたミューも同様だ。
「おまえら、盗賊だな!」
ハレッシュは怒鳴った。わかりきったことを口にしている。叫ぶ前に行動に移ればよいのだが、ここがまあ、ハレッシュのばか正直なところなのだろう。
ハレッシュの声に、数人の盗賊が向き直った。
思い思いの武器を構え、半円形にハレッシュを囲むようにして対峙する。
刺のように鉄釘を無数に生やした棍棒を持った男が、舌なめずりをして、うなるように言う。
「おとなしくしな。何も、命までくれと言ってるわけじゃねえ。馬とお荷物をいただけば、それでいいのよ」
隣にいる、蛮刀をかざした盗賊が、目配せして、
「だけどな、このあんちゃんは、やる気のようだぜ」
「ふふふ、俺たちマイヤー洞窟の盗賊団にさからったら、どんな目に遭うか・・・。身体で教えてやらなきゃいけねえようだなあ」
先端に鉄球を付けた鎖を振りまわしながら、3人目が残忍そうな目を光らせて、ばかにしたような口調で付け加えた。
「くそ! このハレッシュ・スレイマン、おまえらの好きにはさせん!」
ハレッシュは叫ぶと、愛用のズフタフ槍を握りなおした。
向こうでは、荷馬車に群がった盗賊どもが、御者と商人を縛り上げているのが見える。馬車の陰になって見えないが、ミューも同じ状況になっているのだろう。
ハレッシュは孤立無援だったが、不思議と恐怖は感じなかった。
ただ、戦いを前にして、胸にフレアの面影がよぎる。
(フレアさん・・・。必ず生きて帰りますからね・・・)
「さあ、かかって来い、盗賊ども!」
「く・・・。身のほど知らずが。おい、やっちまえ!」
最初の棍棒を持った男の合図で、じりじりと盗賊たちが間合いを詰めてくる。
追いこまれては不利だ。
「とああっ!!」
ハレッシュは、正面にいた山刀を持った男に向かって突進した。
男が大きく身をのけぞらしてよける。
瞬間、ハレッシュは身体を反転させ、槍を右に向けてなぎ払った。
「ぎゃっ!」
右にいた盗賊の棍棒が、弾き飛ばされて宙を舞う。不意をつかれた男は、傷ついた右手を押さえてしゃがみこんだ。
「ふざけやがって!」
別の盗賊が、背後からハレッシュに躍りかかる。ハレッシュは、振りかえることもなく槍をそのまま背後に引いた。
「ぐぇっ!」
槍の柄をみぞおちにうけた盗賊が倒れる。
息つく暇もなく、鎖の先についた鉄球が飛んでくる。
ハレッシュは、それを槍の先で受けた。鉄球が重みでくるくると回り、鎖が槍にからみつく。
「くっ!」
自由を奪われそうになったハレッシュは、後ろへ下がると見せかけて、逆に突進した。間合いを一気に詰め、鎖を手にした盗賊が反応できないうちに、槍を打ち下ろす。額に一撃を受け、失神した盗賊は鎖を放した。
ハレッシュは、槍を回し、鉄球を振り捨てる。
「くそっ、こいつ、できるぞ!」
盗賊のひとりが叫ぶ。
荷馬車の方から、新手の盗賊が向き直る。
「まだやる気か! さあ来い!」
ハレッシュは、戦いが生み出す高揚感に満ち溢れていた。
その時だ。
「全員、引け!」
静かだが、よく通る声が森に響いた。
盗賊たちが息をのみ、凍りついたように動きを止める。
ハレッシュは、声の主を見た。
下生えを踏み分けて現れた男は、他の盗賊と同じようにヴェールで顔の下半分と頭をおおい、灰褐色のマントをまとっている。武器らしいものは持っていない。ただ、その全身から、鋭利な刃物のような殺気が感じられた。
「みんな、手を出すな」
男はぽつりと言うと、ハレッシュに向き直った。
「おまえが、盗賊の親玉か!?」
ハレッシュが叫んだが、男は何の反応もしない。
だらりと両手を下げ、まったく無防備とも思える様子で、ハレッシュに対峙している。
男に氷のような視線を向けられ、ハレッシュは冷水を浴びせ掛けられたかのようにぞくりとした。
(こいつ、ただ者じゃない・・・)
ごくり、と息をのむ。
男は動こうとせず、黙ってじっとハレッシュの槍の先に視線をすえている。
周囲に散らばった盗賊たちからも、しわぶきひとつもれない。
次第に、ハレッシュはこの場の沈黙に耐え切れなくなった。
意を決し、槍を水平に構えると、全力で男に突進する。
「止めてみやがれ!!」
ハレッシュの突進にも、男は微動だにしない。
ズフタフ槍の先端が、男を貫いた・・・ハレッシュはそう思い、衝撃に備えた。
だが・・・。
一瞬のうちに、男の姿はハレッシュの視界から消え失せていた。
「なに!?」
槍はむなしく空を突いただけだ。
たたらを踏んで向き直ろうとしたハレッシュの首に、背後から腕が回された。
ぐいぐいと締め付けられ、息が詰まる。
振りほどこうとしたハレッシュは、冷たいものがのどに押し当てられるのを感じ、身を固くした。
「動くな。動けば、のどをかき切る」
男の氷のように感情のない声が、ハレッシュの耳元で聞こえた。
信じられないことだったが、男は槍が迫った瞬間、身をひねって槍をかわし、目にもとまらぬ動きでハレッシュの背後に回りこんだのだ。そして、いつのまにか手にしていたナイフを、ハレッシュののど元につきつけていた。
「槍を捨てろ」
ハレッシュは従うしかなかった。盗賊どもに襲われてから初めて、ハレッシュは恐怖を味わっていた。
その相手こそ、マイヤー洞窟の盗賊団の首領シュワルベ・ザッツだった。
背後で、シュワルベが合図をしたのだろう、盗賊どもが縄を持ってハレッシュに近付く。
抵抗することもできず、ハレッシュは縄で手足を縛られ、商人やミューと一緒に転がされた。
盗賊どもはよく統制された動きで、馬車の積荷をまとめ、馬も連れて影のように立ち去っていった。
「俺たちマイヤー盗賊団は、無駄な殺しはしねえ。そのことを、神さんに感謝するんだな!」
盗賊のひとりの捨て台詞が、ハレッシュの耳に残った。
いずれ、街道を誰かが通りかかり、助けてくれるだろう。それとも、その前に縄がゆるんで自由になれるかもしれない。そのことは、あまり心配していなかった。
冷たい地面に転がされたまま、ハレッシュはフレアのことを考えていた。
(ああ、今回の護衛には失敗しちまった。フレアさんに土産を買って帰ることもできない・・・。このことを話したら、フレアさんは怒るかな・・・。それとも、生きて帰れたことを喜んでくれるだろうか・・・)
背後では、ごそごそと身をよじりながら、ミューが能天気な声をあげた。
「あ〜あ、おなかすいたよぉ・・・」

数日後の夕刻。
マイヤー洞窟の中では、仕事を終えた盗賊たちが、たき火を囲んでくつろいでいた。
ぱちぱちと燃えるたき火には大鍋が掛けられ、シチューがぐつぐつと煮えている。おいしそうな匂いが、洞窟中に漂っている。
数人の見張りの他は、首領のシュワルベをはじめ、全員が揃っていた。
みな、思い思いの格好で座ったり寝そべったりして、だみ声でおしゃべりに興じている。
一見、盗賊にしては緊張感に欠けているように見えるが、そんなことはない。なにかあれば、たちまちのうちに全員が武器を持って飛び出すだろう。
働くべき時に仕事をきっちりとこなせば、休むべき時にはのんびりしてかまわない・・・これが、シュワルベのやり方だった。
洞窟の奥、一段高くなった場所で壁にもたれ、シュワルベは手下たちの報告を聞いていた。
「今のところ、騎士隊の動きに妙なところはありません。街も平穏です」
ザールブルグの街にもぐりこませていた密偵だ。
シュワルベは冷たい視線で応え、先をうながす。別の男が言う。
「ええと、ヘウレンの森も、静かなもんです。猫の子一匹、見当たりませんでした。それから、ティーフの森も・・・」
ふと、シュワルベは眉をひそめた。手下に尋ねる。
「猫の子一匹いない・・・と言ったな。それは確かか?」
「は、はい」
手下は怪訝そうな表情を浮かべる。
「おい」
シュワルベは静かな声で言った。
「全員を集めろ」
盗賊たちが集合すると、シュワルベは、ひとりひとりの顔に冷たい視線を浴びせながら、口を開いた。
「この前の、『黒の森』での仕事の時だ。あの森で見たものを言え」
盗賊たちは顔を見合わせた。合点がいかない、という表情である。
ひとりが、おそるおそる言った。
「何を見たかと言われましてもねえ。何の変哲もない、普通の森でしたぜ」
「そうです。犬っころ一匹、小鳥の一羽も見かけませんでした」
シュワルベの目が、すっと細められた。
「それだ」
感情のこもらない口調でつぶやく。
「鳥でも獣でも虫でも、何でもいい。あの時、森でなにか生き物を見かけたやつはいるか」
名乗り出る者は、誰もいなかった。
盗賊のひとりが、尋ねる。
「それが、どうかしたってんですかい、おかしら」
シュワルベは、男をぎろりとにらんだ。
「おまえら、揃いも揃って、どこを見てやがる」
そして、一同を見まわし、続ける。
「行け。シグザール中の、あらゆる森を探れ。そして、見たことをすべて報告しろ。森だけじゃない。川も、湖も、荒地もだ」
「へ、へい!」
命令されることに慣れている盗賊たちは、すぐに飛び出して行こうとした。
背後から、シュワルベがつぶやく。
「いや、何を見たかじゃない。重要なのは、何を見なかったか、だ」
「はあ?」
「説明は後だ。行け」
てんでに身支度を整えた盗賊たちは、それぞれ自分の行くべき場所へ散っていった。
ひとり、洞窟に残ったシュワルベは、たき火の炎を見つめながら、思いをめぐらした。
(森から生き物の気配が消えた・・・。もし、それが本当なら・・・)

<ひとこと>
「リリーの同窓会」、やっと後半へ突入です。
今回の主人公は、ご覧の通り、シュワルベです(ハレッシュじゃありません)。ハレッシュの出番が多く、活躍もしてますが、あくまでクールなシュワルベさんの引き立て役(笑)。
さて、シュワルベさんも、シグザール全土に起こっている異変に、どうやら気付いたようです。その異変の謎とは・・・?
次回と次々回で明らかにされる予定です。


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