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〜50000HIT達成謝恩企画〜

リリーの同窓会


第12章 ざわめく街

工房に、鋭いノックの音が響いた。
「ふにゃ?」
作業台にもたれて居眠りをしていたマルローネが、のろのろと起き上がる。
窓からは、朝の日差しがまぶしく差しこんでいる。
「ふあああぁ・・・」
マルローネは大きなあくびをして、伸びをした。夜明け前まで、徹夜で調合作業をしていたのだ。
再び、ノックが響く。
「ふぁい・・・。今、開けますよ、どなた〜?」
床に散らばった錬金術のゴミやメモの切れ端、転がった器材などを踏み分けながら、マルローネは工房の扉を開ける。
「すまない。寝ていたのか?」
「あ、キリーさん・・・」
立っていたのは、細身だが長身の女騎士だった。高貴さを感じさせる整った顔立ちをしており、長く赤い髪が肩から背中に無造作に流れ落ちている。銀の胸当てのほかは黒ずくめで、青いマントをはおり、腰には鋭い細身の剣レイピアを差している。
“紅薔薇のキリー”という通り名を持つ彼女は、ごく最近、ザールブルグに姿を現わした。酒場『飛翔亭』を根城に冒険者稼業をしているようだが、その出自を知るものはいない。寡黙で、氷のような冷徹な態度から、声をかける者も少ないようだ。だが、それを本人が気にしている様子もない。逆に「あまりわたしに近付かない方がいい」と、周囲に警告しているほどだ。
だが、そんなキリーも、マルローネには興味を持っているらしく、わざわざ工房へ訪ねてきたこともある。マルローネの方も、生来の物怖じしない明るい性格から、他のザールブルグ市民のようにキリーを怖れることもなく、何度か採取の護衛を頼んだりもしていた。
「どうしたんですか? なにか依頼でも?」
マルローネはキリーに椅子を勧めようとしたが、椅子の上にも器材や薬品の壜が山になっていることに気付き、苦笑する。
「いや、そうではない・・・」
キリーは静かに言った。髪の毛と同じ真紅のくちびるが、引き締まる。
「重大な話がある。一緒に来てほしい」
キリーは有無を言わさず、外へマルローネを連れ出した。
「ふあぁ・・・。どこへ行くんですか?」
あくびをしながら、のんびりした口調でマルローネが尋ねるが、キリーは答えない。早足で先に立ち、『職人通り』を外門の方向へ進んでいく。
外門の脇から、石の階段を上ると、ザールブルグを囲む城壁の上に出る。城壁の上は石の舗道となっていて、朝の散策を楽しむ人々が、ゆっくりと歩を進めたり、壁にもたれて景色を楽しんだりしている。一定の間隔をおいて、一段と高くなった見張り台が作られており、当番の騎士隊員が見張りについている。
「うわああぁ、いい気持ち。朝の散歩もいいもんですね」
歩きながら、大きく伸びをするマルローネとは対照的に、キリーは硬い表情を崩さない。
夏の盛りの朝で、ザールブルグの夏の風物詩である夏祭りも、間近に迫っている。そのためか、城壁の上を散歩する人々の間にも、また城壁から見下ろす街並みにも、どこか浮き立つような活気が感じられた。
城壁を4分の1周して立ち止まると、キリーは右手を掲げ、遠く広がる風景の彼方を指差した。
キリーの赤い髪と青いマントが、吹きすぎる風にひるがえる。
マルローネは豊かな金髪をかきあげ、目をこすってキリーが指す先を見渡した。
そこには、ザールブルグの東に広がる雄大な景色が広がっていた。
手前には大ベルグラド平原の緑の草原がじゅうたんのように広がり、南の方角にはストルデル川がゆるやかにうねっている。北東方向には、へーベル湖の水面がきらきらと陽光を反射し、周囲に広がる深緑色の森と好対照をなしている。
キリーの指先は、さらにその先を指し示していた。
そこには、深い森の中から突き出し、天空を目指してそそり立つ高い塔があった。
「あれって・・・エアフォルクの塔ですよね」
マルローネが言った。
「そうだ・・・」
キリーが静かに言う。
「たしか、強い魔物がたくさんいるって・・・」
マルローネは、以前に王室騎士隊長のエンデルクから聞いた話を思い出していた。
命が惜しければ、エアフォルクの塔には近付くな・・・そうエンデルクは警告していた。
「それが、どうかしたんですか?」
キリーは、遠くエアフォルクの塔へ向けていた視線をマルローネに戻し、尋ねた。
「そうか・・・。やはり、おまえには感じられないのか・・・」
声を落とす。マルローネはわけがわからず、キリーの顔と塔とを交互に見ている。
「あそこには、魔界とこの世界とをつなぐ門がある・・・。それは知っているな」
「は、はい、エンデルク様から聞いたことがありますけど」
「わたしは、あそこから来た」
ぽつりとキリーは言った。
「はあ?」
気の抜けたような返事をするマルローネ。キリーの言葉の意味が理解できていない。
キリーは再び塔を見やり、淡々と続ける。
「わたしの身体には、魔界の血が流れている。だから、おまえのような普通の人間には見えないものを見ることができる・・・」
「え・・・? 魔界の血って・・・。それじゃ、キリーさんって・・・? ええええ!?」
マルローネの叫びに、近くを歩いていた市民が振り向く。が、マルローネの姿に目をとめると、いつものことか、というように首を振った。この落ちこぼれ錬金術師が街のあちこちで騒ぎを引き起こしていることは、誰もが知っていた。
キリーは目でマルローネを黙らせると、やや口調を変えて言った。
「だが、今、重要なのは、そのことではない。わたしの出自については、そのうち話してやる機会もあるだろう・・・。それよりも、問題はあれだ」
不吉な姿をさらしているエアフォルクの塔を見やる。
「あそこから、邪悪な魔の波動が強力に発せられている。これまでになかったことだ」
「それって、どういうことなんですか」
目を丸くしてマルローネが聞く。まだわけがわからないが、なにか尋常でないことをキリーが告げようとしていることだけは理解できた。
キリーは続ける。
「魔の波動は、魔物どもを呼び集め、力を与える。・・・この世界にいる魔物の大半が、あの塔を通ってやって来ていることは知っているか?」
「い、いえ」
「わたしは先日、気になる話を小耳にはさんだ。シグザールのあちこちで、魔物が人を襲う事件が多くなっているということだった。これは、間違いなくエアフォルクの塔から発せられる魔の波動のせいだ」
「でも、なんで、その魔の波動とかいうのが強くなったんですか」
「塔の主、魔人ファーレンがいなくなったからだ」
「へ?」
マルローネはぽかんと口を開けた。
「で、でも、それって話が逆じゃないんですか? 魔人がいるから波動が強くなるというのなら、わかりますけど・・・」
「いや、それは違う。おまえたちが考えていることは、間違っている」
キリーは遠くを見るような表情で言葉を継ぐ。
「魔人ファーレンは、魔界の王のひとりだ。エアフォルクの塔の支配者でもある・・・。だが、やつの役目は、魔界とこの世界をつなぐ門を守ることでもある。つまり、この世界の生き物が魔界へ入りこむことを防ぐのと同時に、魔界の怪物どもが必要以上にこちらの世界へ出ていかないように見張っているのだ」
「はあ・・・。でも、どうしてですか」
「それを、説明することは、難しい・・・。因果律をゆがめないためだ、と言っても、おまえたちには理解できないだろう」
キリーは、魔界の片隅に隠遁している“魔女”と呼ばれる女性のことを思った。魔界と人間界の成り立ちを語り、そしてそのふたつの世界の微妙なバランスのあり方について、キリーに教えてくれた女性のことを。
キリーは続ける。
「だが、その門番たる魔人ファーレンは、ここ数ヶ月、塔から姿を消した。おそらく、魔界の王たちの間でなんらかのいざこざがあったのだろうが・・・。ファーレンとて、全能ではない。あやつ程度の魔力を持つ存在は、魔界には何人もいる・・・」
キリーが言葉を切った時に、ふと気付いてマルローネが尋ねた。
「ところでキリーさん、どうしてキリーさんには、魔人ファーレンがいなくなったことがわかるんですか」
その問いに、キリーは寂しげな微笑を浮かべた。
「わたしにはわかるのだ。それ以上は聞いてくれるな」
そして、心の中で付け加える。
(わたしの身体に流れる、あいつの血が、教えてくれるのだ・・・。あいつがどこにいるのか、何をしているのかをな・・・)
「で、魔の波動というのが強くなった、というのはわかったんですけど。それがあたしたちとどう関係してくるんですか」
マルローネが言う。
キリーは口調を強めた。
「わからぬか。門番がいなくなったら、その門はどうなる? このザールブルグの城門を考えてみるといい」
「え、えっと、門番がいなかったら、その門は誰でも出入り自由になりますよね・・・。ていうことは・・・えええ!! まさか!?」
「ようやく気付いたようだな」
キリーは厳しい表情でうなずいてみせた。
マルローネは両手をばたばたさせて、叫んだ。
「魔界への門が出入り自由ってことは、魔物が、どんどんこっちの世界へ入りこんでくるってことじゃない! うわわ、大変だぁ!!」
「運が悪ければ、ザールブルグは・・・いや、こちらの世界は魔物どもに蹂躙されるな」
「キリーさん!! そんな冷静に言ってる場合じゃないですよ! 早く、みんなに知らせないと!!」
「そうして、人々にパニックを起こさせるのか?」
キリーの氷のような声に、マルローネの興奮もやや冷めてくる。
「でも・・・、でも!!」
「魔物どもが、魔界のあちこちから集まってくるには、時間がかかる。今しばらくの余裕はあるだろう。その間に、備えをするのだ」
キリーは落ち着き払って言う。
「騎士隊も、うすうすは気付いている。なにか異変が起こっているということにはな。他にも、異変を察知している者はいるだろう。だが、真相にまでは思い至っていないはずだ。だから、わたしはおまえに話すことにしたのだ」
「へ? なんで、あたしなんですか?」
マルローネはきょとんとする。キリーは微笑んで答える。
「こちらの世界で、わたしが最も信頼できる相手が、おまえだからだ。それに、おまえには騎士隊や王室へのつてもある。わたしのような素姓の知れぬ流れ者が話をしても、信じてはもらえないだろう。だが、おまえの言うことなら、騎士隊も、他の人々も耳を傾けてくれるはずだ。・・・だから、マルローネ、わたしはおまえに話すことにしたのだ」
マルローネは両手をぎゅっと握り、黙って聞いている。
「今回の事態からこちらの世界を守るためには、人々みなが力を合わせなければならない。騎士隊も、冒険者も、錬金術師もだ。もちろん、わたしも及ばずながら力を貸す。しかし、身を守るすべを持たない一般の民衆には知らせてはならない。知らせるべき相手にだけ、知らせるのだ。おまえになら、それができるはずだ」
しばらく黙ってうつむいていたマルローネは、やがてきっと顔を上げた。決意の色が浮かんでいる。
「うん、わかったよ、キリーさん。知らせる相手は、ええと、エンデルク様と『飛翔亭』のディオさん。ディオさんから、冒険者のみんなに知らせてもらおう。それからあと、イングリド先生にも知らせた方がいいな」
マルローネは指折り数えた。
「では、頼んだぞ」
キリーは言って、もう一度エアフォルクの塔に視線を移した。
キリーの心眼には、まがまがしい黒い霧が、塔全体を包んでいるように見えていた。

同じ頃。
自分の部屋で眠っていたナタリエは、天窓をコツコツと叩く音に、眠りを乱された。
「う〜ん、何だよ」
毛布の中にもぐりこみ、もう一度夢の世界に戻ろうとする。昨夜もデア・ヒメルとしてひと仕事してきたところなので、ベッドに入ってから間がないのだ。
ここは、『職人通り』に近い裏通りに面した、どこにでもあるような下宿の屋根裏部屋である。
ひとり暮らしで、持ち物もあまりないナタリエには、この狭い屋根裏部屋で十分だった。家賃は安いし、誰かに覗き見される心配もない。それに、なんといっても、天窓から自由に出入りできるので、彼女の“仕事”には理想的なのだった。
その天窓の外で、カチリと音がした。
そして、天窓が外から引き開けられる。
涼しい風が吹き込み、それとともに軽い音を立ててなにかの気配がナタリエのベッドの脇に降り立つ。
頭をこつんと叩かれ、ナタリエは一気に目を覚ました。
毛布をはねのけ、いつも枕元に置いてある短剣をつかむと、起きあがって身構えた。
日差しの中で踊る埃を通して、天窓の下に立っている女性の姿が見えた。
「あんたは・・・」
ナタリエは緊張を解いた。安心したのではない。この相手には敵うはずがない、そう思ったからである。
「目が覚めたようね。でも、あなたはまだまだね。自分の部屋にいても、油断しちゃだめよ。敵はどこから現われるかわからないんだから」
と、エルザはくすっと笑った。
「酒場で、あなたの部屋はここだと聞いたのでね、下から案内してもらうのも面倒なので、屋根伝いに直接来ることにしたのよ」
「はあ・・・」
ナタリエは、あらためてしげしげと、この“先代”デア・ヒメルを見つめた。
先日、マクスハイム家の2階で出会った時と違って、エルザは修道服を身に着けている。ただ、普通と違うのは、スカートの丈がやけに短いことだ。黒のスパッツに包まれた形のよい脚が丸見えである。
「なんだい、その格好は?」
あきれたようにナタリエが言う。エルザは平然と、
「あら、これはあたしの仕事着よ。一応はシスターなんだけどね。あっちこっちの村を回るには、この方が便利なのよ。馬に乗ったり、魔物と戦ったりする時に、スカートの裾がからまると邪魔なのよね。だから、フローベル教会でもらった修道服を、自分で作り直しちゃったの。初めてこれを見た時、クルト神父は卒倒しそうになっていたけどね。ふふ」
ナタリエは言葉もない。
エルザは急に真顔になって、
「それより、あたしが来たのは、世間話をするためじゃないの。仕事よ、一緒に来て」
「仕事って・・・?」
問い返すナタリエに、エルザは笑って、
「あら、仕事といっても、怪盗のお仕事じゃないわよ。ちょいと偵察に出ようと思ってね。あなたに手伝ってもらいたいの。これには身軽さと素早さが必要だわ」
そして、先に立って天窓から出て行く。
ナタリエも手早く身支度して、後を追った。
丈の短い修道服姿のエルザと、怪盗らしく黒ずくめの服装にマントをはおったナタリエのふたりは、音もなく屋根から屋根を伝い、ザールブルグの外門までやってきた。ふたりの動きに気付いたものは誰もいない。
外門を出ると、傍らの木に馬が2頭つないであった。
そのうち1頭の手綱を取りながら、エルザが言う。
「マクスハイム家の厩舎から、選り抜きの馬を調達してきたわ。あなた、馬は乗れるんでしょう?」
「ああ・・・。でも、どこへ行くんだい?」
自分ももう1頭の馬にまたがり、ナタリエが尋ねる。馬は毛並みがよく、よく調教されているようだ。
エルザは直接は答えず、口元を引き締めてナタリエを振り返った。
「気になることがあるの。ここ最近、シグザールのあちこちで、魔物に襲われる人が増えているという噂は知っているでしょう」
ナタリエは黙ってうなずいた。『飛翔亭』の店主ディオが、極秘情報だが、と言って教えてくれたことがある。
「それに、騎士隊が武器屋に大量の銀の武器を発注したという情報もある・・・。これは旧い友達から聞いたんだけれどね、騎士隊はこの件については緘口令を敷いているわ。なにか、異変が起ころうとしているのは間違いないところね。そして、それは魔物が増えていることと関係があるはず・・・」
「なるほど」
ナタリエも頭の回転は速い。エルザが行こうとしている場所がどこか、ぴんと来た。
「目的地は、エアフォルクの塔だね」
「ご明察。魔物が関係しているとすれば、あの塔が怪しいわ。もし、なにかとんでもないことが起ころうとしているなら、早くそれを知って、身を守るすべのない子供たちやお年寄りを守る手立てを講じなければならない。それが、シスターとしてのあたしの務めなの」
言葉を切ったエルザの、決意に満ちた背中を見つめ、ナタリエは黙ってうなずいた。たまには、昼間の冒険も悪くない。
「よし、行こう」
ナタリエは馬に鞭を入れた。
2頭の騎馬は、暑い日差しを浴びながら、ベルグラド平原をひた走った。

「ヘルミーナ! いったいこれはどういうことなのかね!?」
研究室に入ってくるなり、ドルニエは声を震わせて怒鳴った。いつも落ち着いていて温厚なドルニエが、これだけ冷静さを失うのは珍しい。
それに対して、作業台から振り返ったヘルミーナは、落ち着き払っている。
「あら、ドルニエ先生、どうかしまして?」
すまして問い返す。
ドルニエは、室内を見まわし、愕然として視線をヘルミーナに戻した。
この研究室はアカデミーの講師専用のもので、ザールブルグ・アカデミーの研究棟の最奥部にあり、一般の生徒は立ち入りを禁じられている。今は、ヘルミーナの作業場として割り当てられていた。
研究室の床のあちこちには、毒々しい緑色に塗られたこぶし大の丸い固まりが山となっている。さらに、作業台の脇に置かれた大きな布袋の中からは、これもこぶし程の大きさの小さなごつごつした外見の布袋がたくさんのぞいている。どちらも、アカデミーの生徒たちに、花火を作る実習と称して調合させた爆弾だ。
素人が見ても、この場所で、爆弾を使った非常に危険な調合作業が行われていることはわかる。
「イングリドから聞いた時は、まさかと思ったが・・・。ヘルミーナ、君はケントニスの元老院に禁じられた技を使おうとしているのだよ。そのことの重大さがわかっているのかね」
ドルニエは、やや落ち着きを取り戻したようだったが、まだ小刻みに手が震えるのを抑えることができない。
ヘルミーナは腕組みをして師を見やり、含み笑いをもらした。
「はい、十分に理解しているつもりですけど。ふふふ」
「だが・・・あのレシピは危険過ぎる! 人間が手を出すべきものではない・・・。だから、元老院もあらゆる書物からそのレシピを抹消し、永久に封印したはずなのだ。それなのに、なぜ・・・?」
「ふふふふふ。秘密は、必ず暴かれるものですわ。確かに、これは禁断の術と呼ばれるべきものです。普通の状況ならば、永遠に封印されてしかるべきものでしょう・・・。でも、今は状況が違います」
ヘルミーナは言葉を切ると、じっと師の目を見つめた。左右の色が違う両の瞳に、妖しい光が燃える。
「今、使わずして、いつ使うというのです!」
叩きつけるように言い放つと、ぐいとあごを上げて、威圧するようにドルニエに近付く。気おされたように、ドルニエが数歩後ずさる。
「しかし、ヘルミーナ・・・」
「ドルニエ先生」
背後から聞こえた声に、ドルニエはびくっとして振り向き、もうひとりの愛弟子を見つめる。
イングリドはつかつかと室内に歩み入ると、ヘルミーナと真っ向から対峙した。ふたりの視線が絡み合い、火花を放つかとも思えた。
「非常に腹立たしいことですが」
と、視線をドルニエに向けて、イングリドは言った。
「わたくしも、ヘルミーナの言うことが正しいと思います」
「イングリド、君まで・・・」
「ドルニエ先生も、先日のマルローネの話をお聞きになったでしょう。これは、これまでザールブルグが経験したことがない異常事態なのです。尋常な手段では、切りぬけることはできません」
イングリドはきっぱりと言うと、ヘルミーナに向き直った。作業台とその周辺を、しげしげとながめる。
「ふうん・・・。作業はまだ半分といったところね。手伝ってほしいというのなら、そうしてあげてもいいのよ」
不敵な微笑を浮かべて、ヘルミーナを見やる。
ヘルミーナもイングリドの視線を動じることなく受け止める。
「ふふふふ。あんたのように大雑把な調合をされたのでは、失敗してしまう・・・と言いたいところだけれど、時間がないわ。『グラビ結晶』の精製と埋め込みが間に合わないの。さあ、やる気があるなら、ぼさっとしていないで始めてちょうだい。作業台はあっちよ」
「それじゃ、ドルニエ先生は、なにか新しい情報がないか、騎士隊から聞いてきてください」
押し出されるように研究室の外へ追いやられたドルニエの前で、扉がぴしゃりと閉まった。

シグザール城内。
謁見の間の奥の通廊では、ウルリッヒとエンデルクが言葉を交わしていた。
「銀の武器は、先ほど納入された。騎士隊全員に行き渡ったか?」
「はい、全員が受け取り、すぐに訓練に入っております」
「よし」
ウルリッヒはうなずいて、背後を見やった。
「あとは、秘密情報部からの情報に基づいて動く。ゲマイナー卿の情報には、常に注意しろ」
「御意」
青い聖騎士の鎧に身を固めたエンデルクは、うっそりとうなずいた。
街の錬金術師マルローネからもたらされたエアフォルクの塔に関する衝撃的な情報は、秘密情報部からも裏付けられた。これまでに得られた異変に関する情報とも、すべて一致する。
この男なら、どんな事態に立ち至っても冷静さを失うことなく、ザールブルグを守ってくれるだろう・・・。ウルリッヒは思った。
城内はしんと静まり返り、中庭の方から、訓練を続ける騎士たちの剣戟の響きだけが遠く聞こえてくる。
(嵐の前の静けさか・・・)
くしくも、シグザール王室騎士隊を束ねるふたりの思いは同じだった。
ぴんと張り詰めた緊張感が城内にみなぎり、行動に移るきっかけを待つばかりとなっている。
幸か不幸か、さして長く待つ必要はなかった。

<ひとこと>
さて、いよいよ真相が明らかになりました(こんなんでよかったのかな?)。次回以降、怒涛の展開になりますが、収拾がつくか心配です(おい)。
エアフォルクの塔に向かったエルザとナタリエが何を目にすることになるのか、そしてヘルミーナが封印を解いた禁断の術とは・・・。いや〜、燃えますね(笑)
ところで、今回のエルザのミニスカ修道女ルック、妄想ネタの提供さんはとろ。さんです。勝手に使わせてもらっちゃいました。てへ。


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