第5章 ケシ畑の中で
ザールブルグ近郊。
王都からまっすぐ西へ伸びるカスターニェ街道に沿って進むと、あたりはなだらかに広がった平原となり、そこでは様々な農作物が育てられている。
その農場は、ザールブルグから歩いて数日のところにあった。馬でなら、1日で行き来できる距離である。
周囲にはケシ畑が広がり、黄色い実が鈴なりになっている。今年も豊作のようだ。実の色が黄色から褐色に変わった時が、取り入れ時である。それには、まだしばらくの時間がかかる。その間も、水をやったり、昆虫の害を防いだりと、やらなければならないことはたくさんある。
しかし、今日くらいは仕事を休んでもいいだろう、とテオは思っていた。
日当たりの良い庭に造り付けられたテーブルに向かい、白く塗られた木の椅子にもたれて、テオはぼんやりと自分のケシ畑をながめていた。
テーブルの上には、ほのかに花の香りのにおいたつ手紙が置かれていた。表には、大きなユリの花の絵が鮮やかに描き出されている。今朝、黒い服を着た妖精が、突然現れて置いていったものだ。
「ヘイ、元冒険者のテオさんにお届けもんだぜベイビイ! ちゃんと渡したから、しっかり読むようになヘイヘイ!」
あっけにとられたテオに、妙にテンションの高い口調で言うと、黒妖精は返事も待たずに帰っていった。
そして、テオはその中身を読んだ。
(帰って来るのか、姉さん・・・)
土仕事で荒れた指先で手紙をもてあそびながら、テオは思いをめぐらした。
(姉さん・・・か。フフフ、この年で“姉さん”もないよなあ。姉さんだって、それなりに年を取っているはずだし・・・)
あれから20年も経ったのか、とテオは思う。
当時、テオは駆け出しの冒険者だった。
実家で、朝から晩までケシ畑の世話をする単調な毎日に嫌気が差して、テオは家出も同然に、ザールブルグへやって来た。
だが、実力も実績もない冒険者には、まともな仕事も入っては来ない。冒険者として名を上げるどころか、毎日の食事にも事欠くありさまだった。
そんな時に、テオはリリーと出会った。
リリーは、ザールブルグに錬金術を広めるために、遠く西の大陸エル・バドールからやってきたのだった。そして、彼女の目的は、ザールブルグに錬金術を教えるアカデミーを建設することだった。
さっぱりした性格のリリーを、ひとつ年下のテオは実の姉のように慕った。
時には他愛無いことからけんかもしたし、落ち込んだ時は慰め合いもした。採取作業の護衛として何回も冒険をこなし、その中でテオも次第に冒険者としての実力をたくわえていった。
(思い出すなあ、ピルツの森・・・。あのいちばん高い木からながめた景色・・・)
その時、確かにふたりの心は通い合ったように思えた。
でも、数年後、念願のアカデミーの建設がかなうと、リリーは遠い異郷へ、たったひとりで旅立っていった。自分の本当の夢を探すために・・・。
待ってる・・・と、テオは言った。
リリーにふさわしい男に、人間として大きくなろう・・・そう思って、それからも修行を続けた。一流の冒険者として名も売れるようになり、重要な護衛の仕事をいくつもこなした。もっとも、テオにとっては、できたばかりのアカデミーの生徒たちが採取に出かける時の護衛を務めるのがいちばん好きだったのだが。
20代も後半に入り、テオは冒険者として男盛りの時期を迎えていた。王室主催の武闘大会にも出場し、騎士隊のメンバーとも互角に戦った。
男として一人前になった・・・そうテオは確信した。
だが、その時、実家から知らせが届いた。
父が倒れた、と。
一家の大黒柱を失った実家には、あまり身体が丈夫とは言えない母親と、まだ年がゆかない弟、妹たちが残されている。
テオは次男坊だったが、兄は幼い頃に流行り病で早逝していた。
少し迷ったが、年長のテオに選択の余地はなかった。
そして10年の時が流れ、テオは今ここにいる。
ちっぽけな農家と、さして広くもないケシ畑・・・それが、テオの世界のすべてだった。だが、彼はその外に広がる大きな世界を知っている。それは、大きな経験として、今も彼の中に生きていた。
今朝届いた手紙は、ずっと封印してきた世界への扉を、再び開かせてくれたようだった。
(行くさ、絶対・・・)
ザールブルグの夏祭りの時期と言えば、ちょうどケシの実の取入れが終わる頃だ。時間は十分にある。
物思いにふけっていたテオは、家の中から聞こえてきた女性の声に、我に返った。
「食事の用意ができましたよ」
「あ、ああ、今、行く」
あわてて答えたテオは、ふと思い直し、家の中へ声をかけた。
「こっちへ持ってきてくれないか? 今日はなんだか、外で食べたい気分なんだ」
今日も食事のメニューは、ケシパンとベルグラド芋のシチューだった。
子供の頃は、この単調な献立がいやでいやでしかたがなかったものだが、自分で畑を耕し、収穫を得る喜びを実感するようになってからは、ちっとも苦ではない。
ガッシュの枝をテーブルの下で燃やして虫除けにしながら、テオは旺盛な食欲を見せ、シチューのお代わりをした。
その時、畑の真中の小道を歩いてくる小さな影が目に入った。
テオが見ているのに気付いたのか、足を止めてぴょこんと頭を下げる。
「おう、フーバーさんとこの坊主じゃないか」
テオは気軽に声をかけた。
隣家のフーバー家は、村の薬草医である。そこのひとり息子のノルディスは、今ちょうど10歳くらいであろうか。本が好きで、暇さえあれば近くの木陰で大人が読むような分厚い本をめくっている。また、性格も素直で、よく父親の手伝いをして近くの森で薬草の採取などをしている。
テオは、この隣家の少年が好きだった。
「こんにちは」
今日もノルディスは採取用のかごを背負い、小脇に本を抱えている。
線は細いが、知的な顔立ちは、将来を予感させる。
「今日もまた、薬草を採りに行くのかい?」
「はい。今日は、少し向こうの森まで行ってみようかと思って。ミスティカと、あとヤドクヤドリが足りないからって、父さんに言われているんです」
「そうか。だけど、気をつけて行けよ。こんな場所でも、ちょっと森の奥に行けば、オオカミやマンドラゴラが出たりするからな」
「はい、気をつけます」
ノルディスはにっこりと笑った。
「そうだ、遠くまで行くんだろ? だったら、ここで腹ごしらえして行けよ。今日のうちのシチューは、絶品だぞ」
「え、でも・・・」
遠慮するノルディスを無理に椅子に座らせ、テオは家の中に声をかけた。
「悪い! ノルディス坊にもシチューをよそってやってくれ。栄養がつくように、たっぷりとな!」
食後のハーブティをすすりながら、テオはノルディスが大皿のシチューに取り組むのをにこにこしてながめた。このハーブティは、ノルディスの父親が煎じてくれた薬草茶だ。
「それにしても、おまえさんは、いつも本を離さないな。やっぱり、大きくなったら、親父さんの後を継いで、薬草医になるのかい?」
ノルディスは、口にほおばったベルグラド芋の固まりを飲み下して、答える。
「いえ、アカデミーに入ろうと思って・・・」
「そうか! ザールブルグのアカデミーか。言われてみれば、確かに錬金術っていうのは、おまえさんにはぴったりかも知れんな」
自分が昔、錬金術師たちと仲間だったことや、アカデミーの建設にも一役かっていたことなど、ノルディスには想像もできないだろうな、とテオは思った。
その時・・・。
「なんか、いいにおいがするなあ」
新しい声が割り込んできた。
テオが顔を上げると、ひとりの若い男がたたずんでいた。
皮の軽鎧を身に着け、額にはバンダナを巻き、緑色のマントをはおっている。背中には長剣を背負い、典型的な冒険者の格好だが、年はまだ20歳まではいっていないだろう。まだあどけなさが残る顔立ちの中で、緑色の瞳がひとなつっこそうな笑みを浮かべている。
テオは、昔の自分を見ているような思いがした。
立ち上がり、冒険者を差し招く。
「どうだ、食っていくかい? うち自慢のベルグラド芋のシチューだ」
冒険者は、きまり悪そうな笑みを浮かべた。
「いいのかい? 俺、お金持ってないけど」
テオは豪快に笑い飛ばした。
「ああ、いいってことよ。どうせその様子じゃ、ここのところ水っ腹だったんだろう。気にするな。シチューはいくらでもあるんだ」
そして、もう一度、家の中に声をかけた。
冒険者は、運ばれてきたシチュー皿に顔を突っ込むようにして、がつがつとシチューを腹に詰め込んでいる。隣でノルディスが、あきれたように口をぽかんとあけて見つめている。
その様子を見ながら、テオは自分も昔、空腹で死にそうになってリリーの工房に転がり込んだことがあるのを思い出していた。
「あんた、名前は?」
ふと、冒険者の名前を聞いていなかったことに気付いて、テオは尋ねた。
「ルーウェン・・・。ルーウェン・フィルニールっていうんだ」
シチューをほおばりながら、くぐもった声で冒険者は答えた。
結局、ルーウェンは大皿に3杯のシチューをたいらげて、やっと人心地がついたようだった。
「ごちそうさま! ふあああ、生き返ったぜ!」
心からの叫び、という感じのルーウェンの声に、思わずテオも笑い出してしまう。テオは、初めて会ったこの冒険者が好きになりかけていた。何から何まで、駆け出しの頃の自分とそっくりだ。
「あんた、ザールブルグで冒険者をやってるのかい?」
「ああ・・・。だけど、全然仕事がなくってさ。正直なところ、3日ほど何にも食べてなかったんだ。ほんと、助かったよ」
「まあ、困った時はお互い様だ。・・・そうだ!」
テオは思いついて、言った。
「仕事なら、あるぜ。今日1日、このノルディスぼうやの護衛をしてやってくれないか。少し遠くの森へ行くっていうんでな。引き受けてくれたら、今夜の夕食は食い放題で、それに銀貨も払う。どうだ、悪い話じゃないだろう」
「え? 子供の護衛かい・・・」
ルーウェンはあっけにとられたようだが、すぐにひとなつっこい笑みを浮かべてノルディスを見やる。
「いいとも、ぼうやさえよければ」
ノルディスもびっくりしたようだったが、ルーウェンの笑顔に、こっくりとうなずいた。
「決まりだな。それじゃ、気をつけて行けよ」
ルーウェンとノルディスを畑の端まで送っていったテオは、ついでにケシの実の熟し加減を見て回ることにした。
畑から先は森になっており、くねくねとした道が奥まで続いている。
すぐに実の兄弟のように打ち解けたルーウェンが、あれこれとノルディスに話しかけ、笑わせているのがかすかに聞こえる。
テオは、微笑を抑えられなかった。
ところが、すぐにその微笑を凍りつかせる出来事が起こった。
森の中から、子供の悲鳴と男の叫び声が聞こえてきたのだ。
テオは、ためらわなかった。
すぐに身を翻し、悲鳴のもとへ走る。
木の切り株を飛び越え、下生えをかきわけて、一直線に進む。
ノルディスの採取かごが地面に放り出され、転がっているのが見えた。
そして、その向こうに、テオは信じられないものを見た。
巨大な黒いコウモリ・・・最初の印象は、そのように見えた。
だが、すぐにそれが、鋭い鉤爪と大きなくちばしを持った空飛ぶトカゲのような怪物であるとわかる。
テオは、その姿に見覚えがあった。もっとも、それを目にしたのははるか昔、それもここからずっと離れた場所でだったが。
アポステルというのが、その怪物の名だ。
ノルディスは、木の影に隠れ、丸くうずくまって震えているようだ。気を失っているのかも知れない。ルーウェンは長剣を抜き放ち、魔物に対峙しているが、その身体は小刻みに震えている。恐怖のためなのか、武者震いなのかはわからない。
奇声を発し、鉤爪を振り上げて、ルーウェンの頭上からアポステルが襲いかかる。
ルーウェンは長剣を振り回して応戦するが、どうにも分が悪いようだ。
(まずいな・・・。あいつの実力じゃ、あの化け物には敵いそうもない・・・)
テオは、手早く地面を探り、目的のものを集めはじめた。
「てやあっ!!」
悲鳴に近い叫びとともに、ルーウェンが切りかかる。アポステルの前肢が振り下ろされ、ルーウェンの剣の切っ先をなぎ払う。
「うわあっ!」
金属的な音とともにルーウェンの長剣がもぎとられ、宙を飛んで薮影に落ちる。
丸腰になったルーウェンは、一瞬、無防備な状態でアポステルの攻撃にさらされるかと思われた。
そこに、テオが介入した。
「うに!」
テオの手から投げられた、刺だらけの丸い実が、アポステルの頭部に当たる。
「うに! うに! うに!」
気合をこめた叫びとともに、矢継ぎ早にうにが投げつけられる。
子供の頃、テオは村の仲間とよく“うに合戦”をして遊んだものだった。ひと勝負が終わると、みんな傷だらけになったが、その中でも、テオは常にいちばんうにを投げるのが上手だった。カーブをかけて、物陰に隠れた相手にぶつけたり、木と木の間のわずかな隙間を狙って投げるのも得意だった。
冒険者になってからも、練習を怠らなかったため、テオのうに投げの腕はさらに上がり、ついには“うに連投”と名づけた必殺技まであみ出すほどだった。
今も、全盛期ほどのスピードはないが、続けざまにテオの手を離れるうには、的確にアポステルをとらえている。
もちろん、こんな攻撃でアポステルを倒せるとは思っていない。しかし、まずは魔物の注意をノルディスやルーウェンから引き離すのが先決だった。
浴びせられるうにの雨に怒ったのか、アポステルはぐるりと身体を回し、テオに正面から向かい合う形になった。
相変わらずうにを投げ続けながら、テオは少しずつ位置を変えていた。
放り出されたルーウェンの長剣に向かって、じりじりと近づいていく。
あと数歩・・・。
「うにっ!!」
最後のうにを投げると、テオは身を投げ出すようにして、ルーウェンの剣をつかみ上げた。
黒い翼をはためかせ、アポステルが突進してくる。
「化け物め! テオ様をなめるな!」
長剣を振りかざし、魔物の鉤爪の一撃を受け止める。しかし、ルーウェンのように正面から力で受け止めようとはせず、鉤爪が振り下ろされる方向に回りこみながら、自然な形で受け流す。
剣を握るのは十数年ぶりだが、当時の感覚は、忘れられてはいなかった。眠っていたものが、今、テオの身体の中でふつふつとたぎり、放出されようとしていた。
勢いあまって後ろ向きになったアポステルに対して、テオは素早く向き直ると、最短距離で剣を突き出した。
もし戦闘経験が浅いルーウェンであったなら、上からけさがけに切り下ろしたことだろう。しかし、それでは間合いがあき過ぎ、急所を狙うことはできない。アポステルの背中は、硬いうろこに覆われているのだ。
代わりに、テオは真下から剣を突き上げた。
長剣は、アポステルの柔らかな腹の皮膚を突き破り、深々と突き刺さった。
悲鳴に近い叫びをあげ、アポステルがよろよろと地面に落ちる。
「たあっ!!」
素早く剣を引き抜いたテオは、空中高く躍り上がり、全体重をかけて魔物の大きな目に剣を突き込んだ。
アポステルの身体が痙攣し、夜の闇のように黒かった皮膚が、灰色に変わってくる。そして、見る間にぼろぼろと崩れたかと思うと、生命のない灰の山に変わっていた。
テオはそれを見下ろし、大きく息をついた。
「ばかめ、エアフォルクの牛悪魔を倒した、このテオ様をなめるなよ!」
それは、自然に口をついて出た叫びだった。
気付くと、あおざめた顔のルーウェンが、よろよろと立ち上がるところだった。ノルディスも、恐怖とショックから覚めてきたのか、大粒の涙を浮かべてしゃくりあげている。
「あ、ありがとう・・・。でも、あんたは、いったい・・・?」
ルーウェンが呆然とした口調でつぶやく。
テオは、どす黒い魔物の血にまみれた剣を下生えでぬぐうと、柄を先にしてルーウェンに差し出した。
「ああ、昔とった何とやらだ・・・。それより、悪いな、剣が刃こぼれしちまったみたいだ・・・」
「いや、そんなこと・・・。武器屋で直してもらえばいいんだけど・・・。それより、あの化け物は?」
「ああ、おまえさんは見たことがなかったのか。あいつは、アポステルという・・・。だが、妙だな。あいつが棲んでいるのは、ヴィラント山の奥地だ。こんな平地まで下りてくるなんてことは、普通では考えられねえ・・・」
テオは顔をしかめて考え込んだ。
傍らでは、泣き止んだノルディスが、転がった採取かごを拾っていた。
「さあ、とにかく、こんな場所に長居は無用だ。帰ろうぜ。・・・心配するな、こんなことになっちまったが、護衛代は払ってやるよ」
その夜、テオはこの奇妙で意外な出来事について詳しい手紙を書いた。
そして、翌朝、カスターニェ街道を通る早馬にその手紙を託した。
手紙は王室騎士隊宛てになっていた。
届けられた手紙は、王室騎士隊特別顧問ウルリッヒ・モルゲン卿の手に渡った。そして、その内容と差出人の名から、重要なものと判断され、シグザール王国秘密情報部の手にゆだねられた。その内容を読んだ秘密情報部長官ゲマイナーは、しばらく考えをめぐらした後、一連の命令を発し、それはすぐに実行に移された。
そして、時は流れた・・・。
<ひとこと>
今回は、大方の予想通り、テオのお話です。今までうちの小説の中で影が薄かった分を補って、めいっぱいテオ(当社比200%アップ)。いや〜、「リリ同」を書く上で、いちばん悩んだのが、テオの“その後”でした。公式設定資料には「冒険者として大成した」と書いてありますが、本当にそれだけでいいのかテオ!? 実家のケシ農家は放っておいていいのか? という思いがありまして。ただ、彼の場合はいろいろな未来が考えられますので、ここに描いたのは、あくまでいろいろな未来の中のひとつだ、ととらえていただければ幸いです。あと、家の中から彼を呼んだ女性は誰かということも、あえてぼかしました(笑)。まあ皆さんでお好きなように想像していただければ、と。
あ、それと。「なんか、いいにおいがするなあ」は、ヘルクルでテオが初登場する時の決めセリフ(?)です。今回はルー兄に言ってもらいましたが(笑)。