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リリーの同窓会


第6章 緑の目の肖像

初夏の柔らかな日差しが、街並みに優しく降り注いでいる。
そこここの屋敷の中庭の芝生はみずみずしく緑にあふれ、庭木のこずえからは小鳥が鳴き交わす声が聞こえてくる。
石畳の道を軽やかに歩きながら、男は口笛を吹いていた。
ザールブルグの西側に広がる、落ち着いたたたずまいの屋敷町。ここには、町を代表する貴族や豪商の邸宅が立ち並んでいる。ローネンハイム家、エンバッハ家、マクスハイム家、ドナースターク家など、どの屋敷も贅をつくされ、洗練されたデザインの彫刻やステンドグラスに彩られている。毎夜、どこかの屋敷で舞踏会やパーティが催され、にぎやかな音楽や人々のさんざめく声が、街路にまで響いてくる。
だが、今は昼前で、屋敷町は通る人も少なく、眠っているかのように見える。 男ははずむ足取りで、屋敷の間を縫って延びている舗道を端から端まで歩いた。中央広場に戻ってくると、男はベンチにかけ、ポケットから1通の手紙を取り出す。
封筒の表には、大きなユリの花が鮮やかに描き出され、ほのかな花の香りもただよっている。
男は手紙に目を走らせると、大きく息をつき、目を閉じる。そして、再び目を開き、文面を追う。
今朝早くに手紙が届けられてから、何度も繰り返してきた動作だ。
(そうか、帰って来るのか・・・)
男の心に、しばらくの間忘れていた衝動が、よみがえってきていた。じっとしていられずに家を飛び出し、男は揺れ動く心のままに、街をさまよい歩いていたのだ。
しかし、歩きまわっているだけでは、心を大きく突き動かしている衝動を抑えきれなくなってきていた。
(よし! 久しぶりに、やるか!)
ベンチに座ったまま、男は青い空を見上げ、上空を流れ過ぎる綿菓子のような雲を目で追いながら、思いをめぐらした。
頭の中にある、長い依頼のリストを思い浮かべる。
今の自分の気持ちにもっとも合致する内容は、どれだろう。
やがて、男はひとつの結論に行きついた。
(よし、決まった)
男は、勢い良く立ち上がると、再び屋敷町の方へ向かった。
その屋敷は、ザールブルグを代表する名家マクスハイム家や、金にあかしたローネンハイム家の屋敷に比べると、ややこじんまりとしていた。しかし、刈り揃えられた庭園の木々や、屋敷の造りには、持ち主の趣味の良さが感じられる。
男は、玄関のドアに近づくと、幻獣をかたどった金属製のノッカーを軽く叩いた。
しばらくすると、ドアが開き、メイドが顔をのぞかせる。
「やあ」
男は、にこやかに挨拶をした。
メイドは目を丸くし、息をのんだ。意外な訪問客に、びっくりしてしまったのだろう。
「ワイマールの大奥様は、おいでですかな」
男は重ねてきいた。メイドは、ごくりとつばを飲みこむと、かすれた声で言った。
「は・・・、はい、アイオロス様・・・。大奥様は、ご在宅です。す、すぐにご案内いたします」

「おかげんは、いかがですか、大奥様」
応接間に通されたアイオロスは、メイドに支えられるように入ってきた上品な顔立ちの老婦人に、気遣わしげに声をかけた。
「お久しぶりね、アイオロス」
老婦人はアイオロスの手を取って挨拶をすると、メイドの手を借りてソファーに腰を下ろした。アイオロスも、それにならう。
メイドが茶器を用意し、香り高いハーブティを注ぐと、そっと部屋を出ていく。アイオロスと老婦人はふたりだけになった。
「先日は、大変なことでしたね」
アイオロスが口を開く。老婦人はティーカップを口に運びながら、ゆっくりとした口調で答える。
「ええ、あの事件以来、ずっと気が滅入ってしまってねえ・・・。ようやく、こうして起きられるようになったのだけれど、孫には申し訳なくて」
「盗まれたのは、宝石でしたね」
「そう・・・。先祖代々伝わってきた、珍しい宝石よ。錬金術で作られたという、不思議な宝石・・・」
「錬金術、ですか」
アイオロスは、深く考え込むような表情になった。彼も、錬金術との関わりは深い。錬金術師との出会いがなかったら、彼の画家としての成功もなかったかも知れないのだ。
「とり返すすべはないのですか」
アイオロスの問いに、老婦人は弱々しく微笑んでみせた。
「そんなことを言ってもねえ。相手は、あのデア・ヒメルですもの。騎士隊の人たちも、打つ手がないと言っていたし・・・。運が悪かったとあきらめるしかないのかしらね」
老婦人はため息をついた。
ザールブルグの巷を騒がす怪盗デア・ヒメルがワイマール家を襲ったのは、今年の早春のことだった。そして、老婦人が孫娘に贈ろうとしていた宝石が盗まれてしまったのだ。
アイオロスも、慰める言葉が見つからなかった。老婦人が話題を変えてくれたので、アイオロスもほっとした。
「ところで、アイオロス。今日は、どんなご用で来たの? 気難しいあなたが、わざわざ来るなんて、こんなおばあちゃんのお見舞いに来たというだけではないのでしょう?」
「気難しいですって? 私が? いったいどこの誰ですか、そんな根も葉もない噂を立てているのは」
アイオロスはわざと憤慨したように言う。だが、アイオロス自身、その噂を最大限に利用していることは間違いなかった。
「ほほほほほ、貴族の間でも有名よ。画家のアイオロスは、本当に自分の気に入ったものしか描かない。いくら脅しても、金を積んでも首を縦には振らない・・・ってね。ローネンハイム家の当主が、嘆いていましたよ」
「彼は、芸術というものを理解していません」
アイオロスは低い声で言った。
「金さえ積めば、何でも手に入ると思っている・・・。金で、絵は買えても、画家の魂まで買うことはできませんよ」
「ほほほほ、あなたのそういうところは、ずっと変わっていないわね」
老婦人は、壁に掛かった一幅の肖像画に目をやった。そこに描かれているのは、まだ若い頃の、彼女の姿だった。今と同じ上品な顔立ちで、エメラルドのよな緑色の瞳が印象的だ。
田舎出身の貧乏画家だったアイオロスが、シグザール王室主催の展覧会で入賞し、その芸術的手腕を認められたのは、二十年前のことだった。その時、いちばん最初に仕事を依頼してきたのが、ワイマール家だったのだ。
二十年前の自分の作品をながめ、アイオロスは老婦人に視線を戻した。
「今日、お邪魔したのは、昨年、依頼を受けた肖像画の仕事を、お受けするためです」
「まあ・・・、なんて珍しいこと。あなたが自分の方からわざわざそう言いに来るなんて。わたしはとっくの昔にあきらめていたのよ。いったいどういう風の吹き回しなのかしら。それに、先ほどから見ていると、ずいぶんとうきうきしているようね」
「そう見えますか」
アイオロスは、上着のポケットに入っているユリの花をあしらった手紙を無意識に手で探りながら、答えた。
「今朝、いい知らせが届いたんですよ。それで、急に人物画を描きたくなったというわけです」
「そう・・・。何にせよ、わたしにとっては嬉しい知らせだわ」
老婦人は、テーブルの上に置いてあった鈴を鳴らす。
すぐにメイドが姿を現わした。
「お呼びですか、大奥様」
「ああ、悪いけど、アイゼルを連れて来てちょうだい」
老婦人は言った。

数日後。
アイオロスは、画材一式を携えて、ワイマール家のサンルームにいた。
サンルームには色とりどりの花が生けられ、馥郁たる香りがたちこめている。その花々にうずもれるようにして、ピンクのドレスを身にまとった少女が、小さな木の椅子にちょこんと腰を下ろしていた。
頭の両側で束ねられた栗色の髪が、両肩へ流れ落ち、いくつも付けられた小さな赤いリボンがアクセントとなっている。エメラルド色の大きな瞳を見開き、準備をするアイオロスを、子供に特有の遠慮のなさで、じっと見つめている。
(ふうむ・・・)
イーゼルにキャンバスを立てかけながら、アイオロスは思った。
(昨年とは、ずいぶん違う・・・。子供というものは、半年も見ないと、大きく変わるものだな・・・)
昨年、肖像画の依頼をするために、両親に連れられてアイオロスのアトリエを訪れたアイゼルは、まだほんの子供だった。
ところが、今、目の前にいる少女は、その時に比べてひと回りもふた回りも成長したように思える。
「さあ、それじゃ、始めようか」
アイオロスは、気軽に声をかけた。絵のモデルというのは、たいていの場合、緊張している。その緊張を解いてやり、自然な表情を引き出すのも、画家の手腕によるところが大きい。
アイオロスは、会話をすることによって、少女の緊張をほぐしてやろうとしていた。
「お嬢ちゃんの名前は、アイゼルだったかな?」
親しみをこめて、アイオロスは呼びかけた。
だが、返ってきたのは、氷のように冷たい視線だった。
「あたし、もう小さな子供じゃなくってよ。“お嬢ちゃん”なんて、子供扱いしないで」
吸い込まれそうな緑色の瞳でじっと見つめられ、アイオロスは居心地の悪さを味わう。だが、すぐに肩をすくめ、
「ははは、それは悪かった。・・・それじゃ、“お嬢さん”だな」
言いながら、改めて少女を観察する。
(ふうむ、この子は、美人になるな・・・)
まだあどけない顔立ちの中にも、祖母ゆずりの高貴さが見て取れる。大きなエメラルド色の瞳は深みのある色合いで、まっすぐ通った鼻筋とふっくらとしたくちびるに、よく調和している。
ただ、その表情は硬く、まだ画家に心を許していないことがはっきりとわかる。
(さて、どうしたものかな・・・?)
アイオロスは、話の接ぎ穂を探して、画材をがらがらとかき回した。
(そうだ!)
アイオロスは、絵の具が入ったガラス壜を取り出すと、色とりどりのそれを、テーブルに並べ始めた。
「見てごらん。この絵の具で、きみの肖像画を描こうと思うんだ。きれいだろう?」
アイゼルは、ちらっと視線を向けたが、特に関心をそそられた様子もなかった。アイオロスは続ける。
「これはね、錬金術を使って作られたものなんだよ」
「錬金術!?」
とたんに、少女の表情が変わった。身を乗り出すようにして、様々な色の顔料が入ったガラス壜を見つめる。
それらは、アイオロスがアカデミーへ特注して、作ってもらっているのだった。自分が画家として認められ、成功したのも、その絵の具のおかげだったことを、彼は忘れてはいなかった。
「そうだよ。錬金術で作られているんだ。きみは、錬金術に興味があるのかい?」
「うん、あたし、錬金術師になるの」
その言葉は意外だった。貴族が錬金術師になりたがるなんて、聞いたことがない。だが、アイオロスは賢明にも、特に言葉はさしはさまなかった。
アイゼルの瞳がきらきら輝き、赤や青や、緑色の絵の具を見つめている。
「それじゃ、少し、昔話をさせてもらおうかな。あれは、私がザールブルグへ来て間もない頃のことだった・・・」
アイオロスは、自分と錬金術との出会いを語った。今のアイゼルと同じくらいの年頃だったふたりの少女と、その師であったリリーという名の少女の話を・・・。
アイゼルは、食い入るようにして、話を聞いていた。そして、アイオロスが言葉を切るたびに、もっと聞かせてくれというように、熱い視線を向けるのだった。
話が終わる頃には、アイゼルはすっかりリラックスしているようだった。
アイオロスは、改めて筆を手にとり、言った。
「それじゃ、描き始めるよ。普通にしていてくれればいいからね」
「うん!」
アイゼルは、とびきりの笑顔で答えた。少女が見せてくれた本当の表情は、アイオロスにとって宝石のように感じられた。
(この笑顔だ。貴族の肖像画にありがちの、つんとすました表情なんかより、よほど意味がある・・・)
忙しく手を動かしながら、アイオロスは、この絵がいい出来になるだろうと確信していた。
アイゼルもまた、錬金術を学びたいという自分の夢を、あらためてかみしめていた。
(いつか、きっと、錬金術師になる・・・。そして『精霊のなみだ』を作って、おばあちゃまにプレゼントする・・・)
サンルームのまぶしい光の中、ふたりの思いがこだまし合っていた。
ザールブルグの夏祭りの頃までには、この肖像画は完成しているだろう。
次に描く作品を、アイオロスはもう心に決めていた。
(もう一度、描こう、リリーの肖像画を・・・)

<ひとこと>
えっと、予定をちょっと変更しました。仮題で「上機嫌の理由」としていたのが、今回の話です。誰が“上機嫌”だったのかは、もうおわかりですよね。このお話は、『少女の決意』『かつてザールブルグで・・・』につながっていますので、合わせてお読みいただければ、と。


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