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〜ふかしぎアンケート感謝プレゼント小説<なかじまゆら様へ>〜

名探偵クライス 第2話

彼女が創り出したもの [解明篇] Vol.2


薄暗い実験室の中、怪しいアイテムに囲まれて、俺たちは彫像のように固まり、身動きが取れないでいた。
どれくらい、時間が経ったろうか。
背後で、ガチャリと音がした。ドアが開いたのだ。
「ふうん、ねずみが掛かったようね。それも、2匹も。ふふふふふ」
ヘルミーナ先生は、正面に回りこむと、腕組みをして、俺たちを上から下まで興味深そうにながめた。イングリド先生と同じ、左右の色が異なる瞳で見つめられると、それだけで居心地が悪くなる。漆黒の錬金術服に、濃紺のローブをまとい、口元には冷ややかな笑みが浮かんでいる。
「ふふふ、なかなか面白い取り合わせね。マイスターランクの優等生と、酒場にたむろしている冒険者が、一緒に空き巣をはたらくなんて。もしかしたら、あの女の差し金かしら?」
低いがよく通る声でつぶやくように言いながら、ヘルミーナ先生は『講師用』と書かれた棚からガラスびんを取り出した。
「このトラップに使ったガスは、なかなか便利なものでね。運動神経を一時的に完全にマヒさせてしまうのさ。もちろん、成分を変えれば、呼吸筋や心臓を止めてしまうこともできるんだけどね、ふふふふふ」
俺たちに言い聞かせるようにしながら、びんのふたを取り、中の液体に指先をひたす。不気味な笑みを浮かべながら、ぬれた指先で、動かない俺のくちびるに触れ、なまめかしい動きでなぞる。まるで、ヘビの舌でなめられているような気がした。クライスにも同じことをすると、ヘルミーナ先生は一歩下がって、再び腕組みをした。
「選択的に作用する解毒剤を使ったわ。首から上は自由になったでしょう。しゃべってもいいわよ。・・・いいえ、どうしてもしゃべってもらわなくてはね、ふふふふ」
「あ・・・」
俺は声を出した。口がきけるようになっている。目も動かせるし、首も回せる。しかし、首から下は相変わらず、凍りついたように動けないままだ。
クライスは黙ったまま、じっとヘルミーナ先生を見つめる。本来なら、眼鏡の位置を整えたいところだろうが、手は動かせない。
「さあ、白状なさい。誰に頼まれたのか、ここへ何をしに来たのか、一切をね」
わずかの温かみも感じられない口調で、ヘルミーナ先生は俺とクライスを交互ににらむ。
自分でも思うが、正直言って、俺は嘘がへただ。ここは黙って、口達者なクライスに任せよう。そう思って、俺はクライスを見やった。
一瞬、俺の視線を受けとめたクライスは、初めて口を開く。
「黙秘権を行使します」
ぽつりと言って、口をつぐむ。いつもの冷静な口調だ。
ヘルミーナ先生の笑みが広がった。しかし、その表情は獲物をいたぶる猫を思わせた。
「そう・・・わかったわ。わたしも、あまり手荒な真似はしたくないんだけれどね、ふふふふ」
くるりと背を向け、再び棚から別の薬びんを取り出す。
目の高さにかざして、軽くびんを振りながら、
「この薬を使ってもいいのよ。ふふふ。これを使うとね、心で思っていること、隠したいと思っていることを、洗いざらい、ぺらぺらとしゃべりたくなってしまうの・・・。ただ、後遺症については、保証できないけどね。後遺症といっても、大したことではないわ。記憶を一部失うとか、寿命が少し縮むとか、その程度のことよ。ふふふふ」
単なる脅しかもしれない。しかし、この先生のことだ。何をされても不思議ではない。
クライスがひとつため息をつき、口を開く。
「その前に、質問させてください」
「ふふふ、そんなことを言える権利があると思っているの? でも、まあいいわ、言ってごらんなさい」
「ザールブルグ近郊の森で、武器屋の親父さんが何物かに襲われた事件・・・。この事件には、錬金術によって創り出されたなんらかの新種の生命体が関与しているのではないかと、私は推測しています。そして、その生命体は、他ならぬここ、アカデミー地下実験室で生み出されたのではないか、と」
「ふうん・・・」
ヘルミーナ先生は、あらためてクライスを見やった。その瞳に、面白がっているような光が浮かんでいる。
「さすがは首席、ばかではないようね、ふふふ。・・・それで、その証拠を調べに来たというわけかしら?」
クライスは黙っている。ヘルミーナ先生は続ける。
「で、どう? 証拠とやらは見つかったかしら?」
「いいえ、残念ながら、直接証拠となるものは、発見できませんでした。しかし、この部屋に並べられた禁忌の書物、そして危険極まりないアイテムや薬品を見ると、疑念は増すばかりです。それに加えて、昨夜、ここにいるルーウェンくんが、近くの森で異様な儀式を執り行うヘルミーナ先生を目撃しています」
ヘルミーナ先生が、じろりと鋭い視線で俺を見た。俺は思わず首を縮めた。
クライスは、いったん言葉を切ると、覚悟を決めたようにきっぱりと言った。
「ヘルミーナ先生・・・あなたは、恐るべき怪物を、この世に解き放ってしまったのですか?」
しばらくの間、実験室はしんと静まり返っていた。クライスの言葉の残響だけが、俺の心の中に響いていた。
ヘルミーナ先生は、ゆっくりと腕組みを解き、口を開いた。
「ふふふふ、ひとつだけ忠告しておくわ。イングリドに何を吹きこまれたのか知らないけれどね。・・・いいこと、余計なことには首を突っ込まない方が、身のためよ」
「答になっていません」
クライスの言葉には答えず、ヘルミーナ先生は俺の方をにらむ。
「変な邪魔さえ入らなければ、昨夜のうちに片がついていたはずなのにね、ふふふ」
そして、別の薬びんを取ると、中身を少しずつビーカーに注ぎ、俺とクライスに飲ませた。
あっという間に、身体の自由が戻ってくる。
手足の動きを確かめるように曲げ伸ばししている俺たちを見やり、ヘルミーナ先生はつぶやくように言った。
「ふふふ、今回のことは、わたしが自分の手でけりをつけるわ。たとえ、どんな手段を使ってもね。ふふふふふ。誰にも、邪魔はさせない・・・」
その氷のような視線は、あやゆる言葉を拒絶して、出て行けと俺たちに告げていた。

地下実験室を出た俺たちは、そのまま『職人通り』へ向かった。
というより、俺自身はどうしてよいかわからず、何事か考え込んですたすたと歩くクライスの後をついていっただけなのだが。
実験室で過ごした時間はものすごく長く感じられたが、実際にはそれほどでもなかったらしい。日は傾きつつあったが、夕方までにはまだ数刻あるだろう。
「な、なあ、クライス」
口の中でぶつぶつつぶやいていたクライスが、足を止めて振り向く。
「何ですか、ルーウェンくん」
「放っておいていいのか、あの先生」
「私たちに何ができるというのです?」
取り付く島もないように、クライスが言う。
「でも、ヘルミーナ先生の最後のセリフ・・・。あれは、自白したも同然じゃないのか。イングリド先生に報告しないと」
クライスは首を横に振った。ひとりごとを言うようにつぶやく。
「どうも釈然としないのですよ。何ひとつとして、収まるべき所に収まっていない・・・」
「そうか? 俺にははっきりしているように思えるがな。あの先生が、怪しい術を使って怪物を創り出した。その怪物が逃げちまったんで、あわてて自分で退治しようとしてるのさ。闇から闇へ葬るためにな」
「そんな単純なことでしょうか? では、怪物を創った動機は何なのです?」
「それは・・・ほら、よくあるじゃないか。世の中を騒がせたかったとか」
「彼女は、そんなに底の浅い人物ではありませんよ」
クライスは、再び目を伏せ、つぶやき始める。
「彼女ほどの経験を積んだ錬金術師が、危機管理を徹底しないはずがない。実行するなら、あらゆる事態を想定して準備していたはず・・・」
早足で歩き出す。あわてて俺は後を追う。
「彼女は、嘘を言ってはいない・・・しかし、すべてを口にしたわけではない。それとも、彼女も知らないことがあるのか・・・。何か事実を見落としている・・・パズルの最後のピースが足りない・・・」
ぶつぶつ言いながら、クライスは歩き続ける。『職人通り』が近付き、人通りが多くなって、道行く人にぶつかりそうになっても、足を緩めることもない。俺は、クライスに代わって謝りながら、急ぎ足で石畳の道を進むクライスを追った。


「とにかく、落ち着いて考えを整理してみなければなりません。私はこれから少し自室にこもるつもりですが、邪魔をしないようにしてください」
下宿に着くと、クライスは言った。
「ああ、わかったよ」
落ち着かない気分のまま、俺は答えた。
だが、2階への階段を上がる前に、1階奥のキッチンから、やかましい音が聞こえてきた。なにかが砕ける音。そして叫び声もする。
「何事でしょうか。あのように騒がれては、考えがまとまりません」
クライスが怒ったように言い、キッチンへ向かう。俺も続く。

「何だい、こりゃあ?」
キッチンの入り口で、俺は口をあんぐりと開けた。クライスも言葉もなく、立ち尽くしている。
そこは、まるで戦争の跡だった。
壁には真新しい染みがこびりつき、天井はすすで黒くなっている。床には小麦粉やら調味料やら野菜クズやらが散らばり、キッチン全体に、焦げ臭いような、甘ったるいような、異様な臭いがたちこめている。
「どうして!? また焦げちゃったよぉ!」
「どうしましょう・・・また落としてしまったわ」
そして、コンロの脇ではマリーが煙をあげるフライパンと格闘し、ルイーゼは、床に這いつくばって、割れた食器のかけらを拾い集めている。腰に手を当てて、それをあきれたようにながめているのはハドソン夫人だ。
「ああ、あんたたちかい」
俺たちに気付くと、ハドソン夫人は大げさに肩をすくめて見せた。
「いやね、このふたりが、料理を教えてくれって頼みにきたもんでね。あたしも教えるのは嫌いじゃないから、さっそく手ほどきしてやったんだけど・・・」
大きくため息をつく。
「お話にならないね、このふたりは。一人前に料理しようなんて、10年早いよ。マリーさんは大雑把過ぎるし、うちのルイーゼはとろとろだし。なんだかねえ・・・金髪の娘ってのは、みんな料理が苦手なのかね」
マリーが俺たちに気付いて、
「あ、あははは、あんたたちが留守の間に、こっそりハドソンさんに教わって、ちゃんとした料理を作ってクライスを見返してやろうと思ったんだけど・・・。ダメだったみたい。あはは」
まったく、俺たちの苦労も知らず、能天気なことだ。いや、マリーにすれば、一生懸命やったことなのかも知れないが。
ルイーゼも立ち上がって、エプロンのごみを払う。
「また、ちょっと失敗してしまいました・・・」
「ちょっとじゃないだろう、ひとの台所を、これだけ引っかき回してくれてさ。ちゃんと片付けないと、承知しないよ」
ハドソン夫人は、テーブルの上に置いたびんを見やり、もう一度ため息をついた。
「せっかく、あたしの秘伝のソースまで使わせてやろうと思ってたのにさ」
その大きなガラスびんには、どろりと濁った濃厚な黒い液体が詰まっていた。
「何なんですか、その“秘伝のソース”って?」
マリーが尋ねる。
ハドソン夫人が、やや得意そうに答える。
「そら、料理に使うソースを、その度にいちいち最初から作っていたんじゃ効率が悪いだろう? だから、まとめて作り溜めしておくのさ。野菜やら果物やらスパイスやらを大鍋に全部ぶちこんで、煮込んだ後、エキスを漉し取るんだ。それを更に一昼夜煮詰めて、思いっきり濃くするのさ。そうして蓄えておいて、料理に使う時にはぬるま湯で10倍に薄めて戻してやれば、おいしいソースのできあがりだ。なに、作る時は手間がかかるけど、いったん作れば、当分は楽ができるからね。手際よくやるための、主婦の知恵ってやつかね」
マリーもルイーゼも、圧倒されたようにうなずいている。
俺は、隣にいるクライスが息をのむのを感じた。
振り向くと、眼鏡の奥のクライスの目が、輝いている。
「そうか!」
クライスが小さく叫んだ。

その時、大声でマリーの名を呼びながら、赤妖精のピッコロが、転がるように駆け込んで来た。『生きてるうに』にやられた右の頬に貼られた大きな絆創膏が痛々しい。
「お姉さ〜ん、大変だよ! 武器屋のおじさんが、まだけがも治ってないのに、怪物に仕返しをしてやるって言って、森へ行っちゃったんだって〜!!」


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