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名探偵クライス 番外編

危険なお茶会:模索の章


やや西に傾いた日差しが、『職人通り』を照らしている。
余裕を取り戻したクライスは窓辺にもたれ、口調も滑らかなものに戻っていた。
「私は犯罪捜査の玄人ではありません。しかし、過去にやむをえず関係したいくつかの事件を解決した経験や、書物から得た知識があります。それらから言えるのは、ごくわずかな例外を除いては、犯行を構成する重要な要素は『動機』と『機会』の二点だということです。このふたつが両立しない限り、その人は犯人ではありえません」
落ち着き払って一同を見回し、
「たとえば、目の前に高価な宝石があったとしても、それをほしいと思わなければ、盗んだりするはずがありません。これが動機の問題です。一方、宝石がほしくて盗みたいと思っていたとしても、その宝石が騎士隊の精鋭に四六時中守られていたならば、盗むことはできないでしょう。これが機会の問題です。つまり、犯人にはヘルミーナ先生の調合したアイテムを持ち去る動機があり、その上で犯行を実行する機会にも恵まれていた――。このふたつの視点に基づいて状況を分析していけば、おのずと真相は明らかになるはずです」
全員の視線が、窓辺に立つクライスに注がれている。
「まず、機会の問題から考えていきたいと思います。動機にはいろいろと複雑な心理的要素がからんできますが、こちらはあくまで純粋に物理的な問題ですからね。午後の鐘が鳴って、ヘルミーナ先生が問題のアイテムを会場へ持ち込み、それがなくなったことに気付くまで、およそ一刻です。その間、会場となるロビーにはマルローネさんを含め、何人かの人が出たり入ったりしていますが、最初から最後まで会場を離れなかった人がひとりだけいます。まず、その人の証言を聞きましょう。――ルイーゼさん」
「はい?」
お茶とマシュマロにも飽きて、テーブルクロスのレース模様を指でなぞるのに熱中していたルイーゼは、きょとんと顔を上げた。
「午後の鐘が鳴ってから、ヘルミーナ先生が騒ぎ始めるまでの間に、お気づきになったことを教えてください。変わったことも、そうでないこともです」
「は、はあ・・・」
ルイーゼは指をくちびるに当て、上目遣いで考え込む。
「その前に、ひとつ質問があります。アカデミーは試験休みですから、ショップもお休みのはずですね。それなのに、なぜルイーゼさんはショップにいらっしゃったのですか?」
「はい・・・。発表会の準備中に、道具やアイテムが必要になる人がいるかも知れないと思って、イングリド先生の許可を得て、ショップを開いていたんです。本を読むなら、部屋にいてもショップにいても同じですから」
「なるほど。では、午後の鐘が鳴ってからのことを話してください」
「はい・・・。お昼を済ませて、午後の鐘が鳴る前にショップに戻りました。ちょうど、校長先生が散歩にお出かけになるところだったので、ご挨拶をして、カウンターの中で準備をしました。それから本を読み始めて――。しばらくすると、エルフィールさんが立ち寄られて、挨拶をしました。そのあと、20ページほど読み進んだころに、アイゼルさんとノルディスさんが連れ立って来られて、大判の『ゼッテル』はないかと聞かれました。一般の生徒には販売していないのですけれど、棚を探すといくらか在庫があったので、お渡ししました」
「ちょっと待ってください。エリーさんがショップに寄ったのは、会場に来てすぐですか?」
クライスがエリーを見やる。
「あ、はい、ロビーに着いて、自分のブースへ行く前に、いつものようにルイーゼさんに声をかけました」
「つまり、ヘルミーナ先生がロビーに上がって来られる前ですね」
「はい、そうだと思います」
「わかりました。それから、アイゼルさんとノルディス君がショップへ行ったのは、ヘルミーナ先生がアイテムをブースに置いた前ですか、後ですか?」
「後でした」
アイゼルが即答する。
「ヘルミーナ先生がいったん実験室へ戻られた後、自分のブースで準備している時に、『ゼッテル』が足りないことに気付いて、分けてもらえないかノルディスとエルフィールに聞いたんです。でも、ふたりとも余分には持っていなかったので、ルイーゼさんのところに――」
「ぼくが、ルイーゼさんのところにならあるかも知れないと言ったんです」
ノルディスが言い添えた。クライスはうなずき、ルイーゼをうながす。
「その後は、なにかありましたか?」
「はい、ええと、また5ページほど読んだところで、エルフィールさんとアイゼルさんが来られて、雑談をしました」
「特に用事があったわけではなかったのですね」
「あ、そうです。ちょうど作業が一段落したので、アイゼルを誘って、ちょっと息抜きに。えへへ」
エリーが答える。
「ノルディス君は仲間に入れなかったのですか」
「ノルディスはその時、確認したいことがあると言って、図書室へ行っていました」
「なるほど。ところで、雑談と言いましたが、どんな話題だったのですか」
「それは、ええと・・・」
エリーが口ごもる。アイゼルも困ったような顔をしていたが、ルイーゼがあっさりと答えた。
「ヘルミーナ先生の発表される『究極の錬金術アイテム』は、いったいどんなものなんだろうと、みんなでお話ししました。アイゼルさんは、『近くで見たけど、ただの黒いガラス瓶で、中に何が入ってるのかは全然わからないわ』とおっしゃっていました」
「そうですか、みなさん、ヘルミーナ先生のアイテムに興味しんしんだったわけですね。しかも、アイゼルさんの言葉から、そのアイテムがどのような形状のものかもわかっていた、と」
「何をおっしゃりたいんですか!?」
アイゼルがきつい口調で言い、クライスをにらむ。
「錬金術士なら、興味を持たない方がおかしいんじゃなくって?」
「私は、何も言うつもりはありませんよ」
クライスはすまして答える。
「ルイーゼさん、他になにかありますか」
「いえ・・・。そのあとは、ヘルミーナ先生が大声を出されるまではずっと、本を読んでいましたので・・・」
「わかりました。最後にひとつだけ質問させてください。ルイーゼさん、あなたは午後の鐘が鳴ってからヘルミーナ先生が騒ぎ出すまでの間に、ショップのカウンターから外に出ましたか?」
「いいえ、一度も出ていません」
クライスは、エリーやノルディス、アイゼルの方を見やる。
「みなさんにお聞きします。みなさんの中に、ルイーゼさんがショップから出るのを目撃した方はいらっしゃいますか?」
「へ?」
3人とも驚いた顔をしたが、揃ってかぶりを振り、否定した。クライスはかすかに笑みを浮かべ、念を押すように尋ねる。
「それでは、お三方とも、ずっとルイーゼさんの方を見ていたのですね?」
「そうじゃありません。でも――」
「みなさんも、ご自分のブースで準備作業をしている時には、それに集中していて、周囲で誰が何をしているのかには注意が向かなかったのではありませんか?」
「そ、それは、そうですけど・・・」
優秀な錬金術士であればあるほど、集中力には並々ならぬものがある。エリーもノルディスもアイゼルも、思い当たることがあるのか、黙り込んでしまった。
「ならば、ルイーゼさんがそっとショップを抜け出して、ヘルミーナ先生のブースからガラス瓶を持ち去ったとしても、それに気付かなかった可能性はあるわけですね」
「そんな、まさか!?」
「ルイーゼさんは、そんなことをする人じゃありません!」
抗議の声にも、クライスは平然と、
「私は、物理的な可能性の問題を論じているだけです。ここで得られる結論はただひとつ、ルイーゼさんには犯行の機会がなかったわけではない、ということです」
「あ、あの・・・」
うつむいて黙っていたルイーゼが、すまなそうにおずおずと口を開く。場はさっと緊張に包まれた。
まさか、真犯人の告白が始まるのだろうか・・・?
小首をかしげて、ゆっくりとルイーゼは言った。
「チーズケーキをもう一切れ、いただいてよろしいでしょうか・・・?」

続いて、クライスの質問は、エリー、アイゼル、ノルディスへと移った。
その結果わかったのは、ヘルミーナがアイテムを置いて実験室へ去った後、誰にも見られずひとりだけになる機会が、3人ともあったという事実だった。しかも、こまごまとした用を足すために、少なくとも1回はロビーから外へ出て行っている。
アイゼルはヘルミーナのブースのすぐ隣にいたわけなので、ノルディスやエリーが自分の準備作業に取り組んでいる間、隙を見てアイテムを持ち去ろうと思えば、いくらでもできたことになる。もちろん、アイゼルは、そんなことはしていないと目をつり上げて否定したが。
エリーについて言えば、ノルディスとアイゼルがルイーゼのところへ『ゼッテル』を取りに行っている間、ひとりだけになっていた。黒いガラス瓶を持ち去って隠す時間は十分にある。
ノルディスは、エリーがアイゼルを誘ってルイーゼのところで雑談をしていた際、図書室へ行っていた。しかし、ノルディスが戻ってくるところをエリーもアイゼルも確認していない。
「ルイーゼさんと話に夢中になっていて、ふと顔を上げたら、ノルディスはもう自分のブースに戻ってきていて、作業をしていました」
エリーの証言だ。図書室からこっそりと戻って来たノルディスが、女性3人が会話に熱中している隙に、ヘルミーナのアイテムを持ち去ることは十分に可能だ。
ルイーゼはそれ以外の時間は読書に熱中していたし、いずれにせよ、極度の近視なので、ロビーで起こっていたことをきちんと観察できる立場にはない。
一方、マルローネは、もっとも重要な時間帯にはイングリドのブースの陰で居眠りしていたという。もちろん、これは本人の証言だけであり、その証言を疑うならば、『ルフトリング』で姿を隠したまま、アイテムを盗む機会は十分にあったことになる。
「ふん、これじゃあ、いつまで経っても犯人を絞れないじゃないの」
腕組みをして、険しい表情のヘルミーナに、クライスは落ち着いて答える。
「まだ検証は半分も済んではいませんよ」
クライスは、今度はイングリドに目を向けた。
「イングリド先生の当日の行動について、お聞かせください」
「そうね、わかったわ」
テーブルの反対側のヘルミーナに挑発的な目を向け、イングリドは落ち着いて口を開く。
「昨日は午前中から自室で論文を執筆していました。研究発表の準備はとうに整っていましたからね、ヘルミーナとは違って」
「ふん、ありきたりの発表内容なら、早く準備ができて当然だね」
「ほほほほ、日々の地道な努力の結果よ。見ている人は見ているし、あなたみたいなスタンドプレイは必要ないわ」
挑発的なヘルミーナの言葉をやんわりと受け流したが、目は笑っていない。
「発表に必要な道具類は前の日にブースに運んであったので、あとは直前に材料を運び込むだけでした。ですから、あの時ロビーへ行ったのも、主な理由は他の人たちの準備状況がどうなのか様子を見るためだったわ」
「特に、ヘルミーナ先生の様子を・・・ですか?」
クライスの質問に、イングリドは苦笑して答える。
「誘導尋問は感心できないわね。・・・でも、まあ、そういう気持ちがあったことは否定しません」
「イングリド先生が来られた時の、ロビーの様子を聞かせてください」
「そうね・・・。真っ先にヘルミーナのブースに目が行ったわ。ヘルミーナはアイゼルと一緒にばたばた準備をしていました。なにげなく見ていると、ヘルミーナがわたくしに気付いて、勝ち誇ったような顔をしたわ」
「その時、ヘルミーナ先生のテーブルに置いてあった黒いガラス瓶には、気付かれましたか?」
「ええ、がらんとしたテーブルの上に、ひとつだけぽつんと置いてありましたから、遠くから見ても、ひどく目立っていたわ。もっとも、それがヘルミーナの言っていた『究極アイテム』とかいう代物なのかどうかは、その時はわからなかったけれど」
「ヘルミーナ先生と、会話はされましたか」
「いいえ、ヘルミーナの挑発的な態度はいつものことだから無視することにして、自分のブースに行ったわ。同じ並びにエルフィールとノルディスのブースがそれぞれあるのだけれど、ふたりとも一心に準備を進めているようだったので、声をかけずにおきました。その後しばらく、ブースに置いた道具類を整えていましたが、ガラスの筒にヒビが入っているのを思い出したので、代わりの品を研究室に取りに戻ろうと思ったのよ」
「それで、いったんロビーから出られたわけですね。その時、ヘルミーナ先生が何をしていたか、覚えていらっしゃいますか」
「ちらっと目を向けると、ヘルミーナはいませんでした。たしか、アイゼルも自分のブースに戻っていたと思うわ」
「その時に黒いガラス瓶があったかどうかは、覚えていらっしゃいますか?」
「さあ・・・。あったような気もするけれど、確信は持てないわ。最初に見たときの印象が強かったから、その記憶とごっちゃになっているのかも知れないし・・・。なにしろ、その時はちらっと見ただけですから、よく覚えていないのよ」
「他の人たちの様子は、いかがでしたか?」
「そうね、研究室へ向かおうとした時、エルフィールがアイゼルに声をかけたような気がします。ノルディスは、どうしていたのか、覚えていないわね。ルイーゼさんは、ショップのカウンターにいたのだろうと思うけれど、確かめたわけではありませんから」
「それから、新しいガラスの筒を持って、研究室から戻って来られたわけですね」
「そうよ」
「その時のロビーの様子は、いかがでしたか」
「ヘルミーナとアイゼルが、あわただしい様子で、ブースの周囲をなにやら探し回っていました。そのうちに、ヘルミーナが大声をあげてわめき始めて――。あとは、先ほどからみんなが話している通りよ」
クライスが考え深げにうなずく。
「なるほど、他の人の証言と平仄は合いますね。ポイントは、イングリド先生が研究室へガラスの筒を取りに行こうとされた時でしょう。その前に、ヘルミーナ先生はご自分の実験室へ戻り、アイゼルさんも自分の発表の準備にかかっていて、ヘルミーナ先生のブースはからっぽになっていた・・・。マルローネさんは『ルフトリング』で姿を見えなくしたまま、イングリド先生のブースの陰で居眠りをしており、ノルディス君は図書室へ行っていた。そして、エリーさんがアイゼルさんを誘ってルイーゼさんのところへおしゃべりをしに行ってしまった・・・」
眼鏡のフレームに触れ、イングリドを見る。
「イングリド先生にとっては、ヘルミーナ先生のアイテムを盗み出す絶好の機会があったことになりますね」
イングリドは動じる風もなく、片手で髪の毛をかき上げる。
「そうね・・・。確かに、可能性としては、ありうるわね」
「イングリド・・・、あんたなのかい?」
ヘルミーナの瞳に剣呑な光が浮かんだが、イングリドは冷ややかな視線を向けただけだ。クライスも冷静に付け加える。
「そう・・・。あくまで論理的可能性というだけのことです」
「ふん、結局、誰一人として疑いが晴れたやつはいないじゃないか」
「その通りですね。これまでのみなさんの証言を総合してみたところ、可能性という点で考えれば、全員にアイテムを盗み出す機会がありました。付け加えれば――」
不満そうなヘルミーナを見やり、クライスはさらに冷徹な声で言った。
「ヘルミーナ先生、あなたにも機会はありましたね」
左右の色が異なるヘルミーナの目が、大きく見開かれた。他の者も息を呑む。
「・・・どういうことかしら?」
質問するヘルミーナの声も、氷のように冷たい。
「言葉どおりです。ヘルミーナ先生が、ご自身のアイテムをご自分の手で持ち去り、盗難事件だと騒ぎ立てた可能性も、論理的には存在します」
ヘルミーナのくちびるの端がつりあがった。
「ふふふふ、あなた、なかなか面白いことを考えるわね・・・。そんなことをして、あたしに何の得があると言うんだい?」
「それには、動機の問題がからんできますので、後ほど詳しくご説明します。ここでは、関係者全員に、ヘルミーナ先生の究極アイテムを盗み出す機会があったということだけを、確認しておきたいと思います」
クライスは落ち着き払って一同を見渡した。
「おや、お茶が切れてしまっているようですね。代わりのポットを用意させましょう」
部屋の隅にぽつんと控えていたピコに合図をする。
「同じお茶をお願いします。特製ブレンドは、もう少し後にしましょう」
「は、はい、わかりました」
ピコはよちよちと準備にかかる。
「特製ブレンド? そんなお茶、あったっけ?」
普段、ここでお茶会を主催しているマルローネとエリーは、いぶかしげに顔を見合わせた。


ピコが、湯気の立つ新しいポットを運んできた。
香り高いお茶がいきわたると、あらためてクライスが口を開く。
「次に、動機の点を考えていきたいと思います。ここで注目しなければならないのは、もちろん盗難に遭ったヘルミーナ先生の出品物――『究極の錬金術アイテム』です。犯人が、なぜそれを持ち去らねばならなかったのか、その理由を明らかにする必要があります」
鋭くヘルミーナを見て、
「ヘルミーナ先生。『究極の錬金術アイテム』とは、具体的にはどのようなものなのですか」
ヘルミーナは、ふんと鼻を鳴らした。
「だから、さっきから言っているだろう。無から有を創り出すという錬金術の本質――そこから必然的に導き出される逆説的帰結となる究極の物質だよ、ふふふふ」
「その説明では、さっぱりわかりませんね」
「ふふふふ、わからないってことは、あんたが錬金術士として未熟だってことさ」
ヘルミーナが冷笑する。
「あの・・・。錬金術で創り出せる究極の物質って、『賢者の石』のことではなかったんですか」
教室にいるかのように、エリーが手を挙げて質問する。ヘルミーナは口元をつり上げ、
「ふふふ、あなたたちのレベルの錬金術では、それが関の山かも知れないね。しかし、錬金術は、あなたたちが考えているよりも、ずっとずっと奥が深いんだよ。あたしの研究は、その可能性を大きく広げるものなのさ」
「それでは、そのアイテムを創り出すのには、大変な労力がかかったのでしょうね」
「それはそうよ。慎重な準備と、細心の作業が必要なのさ。そう簡単にできることじゃないよ」
「なるほど。では、もしも盗まれたりしてしまったら、短期間のうちに創り直すのは難しい・・・そういうことですね」
「そうだね。今回の発表会で、イングリドの錬金術などあたしの足元にも及ばないってことを思い知らせてやろうと思っていたのにね。あたしの研究をねたんだ誰かが、邪魔をしようとしてアイテムを盗んでいったに違いない。まあ、盗み出したところで、あれの本当の価値がわかるとは思えないけれどね、ふふふ」
「そこです」
クライスがさえぎった。
「今のヘルミーナ先生の言葉に、動機を形成すると思われる大きな背景が示されています。犯人は、なぜヘルミーナ先生のアイテムを持ち去ったのか――。いくつかの理由が考えられます」
クライスは指を折って数え上げ始めた。
「ひとつは、今ヘルミーナ先生がおっしゃったように、ヘルミーナ先生の研究発表を妨害するためです。それを突き詰めると、さらにいくつかの理由に分かれます。まずは単純に、怨恨に基づく嫌がらせ、または復讐――」
ヘルミーナがぎろりとイングリドをにらんだ。
「・・・またはヘルミーナ先生の発表を妨害することで、犯人が利益を得る場合です」
ヘルミーナの表情がさらに険しくなる。イングリドは真っ向から視線を受け、傲然とあごを上げてにらみ返す。
「ふたつめは、こちらは動機としてはいくぶんか弱いのですが、研究者としての知識欲といいますか、独占欲です。皆さんから話をお聞きしたところでは、発表会が近付くにつれ、ヘルミーナ先生がとてつもないアイテムを出品するという噂が、アカデミー内に広まっていたそうですね」
「ふふふふ、そのようだね」
「何を言ってるの。あなたが思わせぶりに、あっちこっちで触れ回っていたからじゃないの」
「そうだったかねえ」
「みなさんも、その噂はご存知だったのですね」
言い合っているイングリドとヘルミーナを無視して、クライスが残りの面々に尋ねる。
「ええと、実験準備を手伝っている時に、ヘルミーナ先生本人から何度も聞かされていました。でも、いろいろと意味ありげなことはおっしゃるのに、先生は具体的なことは少しも教えてくださいませんでした。ですから、発表の日を待っていたんです」
アイゼルがためらいがちに答えた。
「ぼくも、アイゼルから聞いて、どんなアイテムなのか興味を持っていました」
ノルディスが言葉少なに言い、エリーも続ける。
「わたしも、ノルディスやアイゼルから聞いていたので、どんなすごいアイテムなんだろうと、発表会を楽しみにしていました」
「はい・・・。あたしも、アイゼルさんたちからお話を聞いて、楽しみにしていました。どんな本を読んでも、『究極の錬金術アイテム』なんて、書いてありませんでしたから」
ルイーゼもうっとりとして答える。
「マルローネさんは?」
クライスの問いに、マルローネはびくっとして座り直した。
「え? ええと、あたしは知らなかったよ。自分の研究発表の準備で一生懸命だったから。あはは」
「ふうん、そうかい? 信じられないねえ。あれほど前評判を高めておいたのに、知らなかったとは不思議だねえ」
とげのあるヘルミーナの言葉に、マルローネは小さくなった。
「でも、ほんとなんですぅ」
「それは、考えられるわ。マルローネは、ひとつのことに集中すると、周囲のことがまったく見えなくなってしまうところがありますからね」
「イングリド先生・・・」
マルローネは師匠に感謝の視線を向ける。
「ともかく、本人の証言を信じれば、マルローネさん以外の人はヘルミーナ先生が『究極の錬金術アイテム』を出品することを知っていたわけです。そして、その正体に並々ならぬ関心を抱いていたということになります」
「まあ、そういうことになるかしらね」
イングリドが代表して答えた。
「そのうちの誰かが、好奇心を抑えきれず、発表前に『究極の錬金術アイテム』の正体を知りたくなって、こっそり持ち去ってしまったということも考えられます」
「で――でも、わたしたち、そんなことは・・・」
アイゼル、エリー、ノルディスが、とまどったように顔を見合わせる。ルイーゼは、なにかに思いを馳せるように、何個目かのマシュマロを口に運んでいる。
「それ以外にも、私はいくつかの仮説を持っています。それをみなさんと一緒に検討していきたいと思いますが、よろしいでしょうか」
「ふん・・・。嫌だといっても始まらない。さっさとおやりよ。とにかく、あたしは早く犯人を捕まえて締め上げてやりたいんだ、ふふふ」
ヘルミーナが浮かべた笑みは、真犯人が見たならば背筋がぞっとしたに違いない、悪魔的で酷薄なものだった。
「それでは、ひとつめの仮説です。この場合、犯人はイングリド先生――」
腕組みをしたイングリドが、きつい目でクライスをにらむ。その正面では、ヘルミーナがぞっとするような表情を浮かべる。
「――または、ヘルミーナ先生です」
クライスは効果を高めるかのように言葉を切り、眼鏡の位置を整える。
「まず、背後関係を明らかにしておきましょう。アカデミー創立25周年を記念して、このたび開催されることになった『特別研究発表会』――。一般学生のいない休み中に、しかも講師と研究員、優秀な卒業生だけを対象に開催されるこの発表会は、私たちには知らされていませんが、単なる記念イベントではなく、ある特別な目的をもったものなのではないのでしょうか?」
ゆっくりと、テーブルを囲んだひとりひとりを見回す。マルローネをはじめ若手の錬金術士は、全員がきょとんとしてクライスを見つめている。腕組みをしたヘルミーナは意味ありげな笑みを浮かべ、イングリドはやや目を見張り、ドルニエはしわの目立つ顔の中で、小さな目をしばたたいた。
「ねえ、どういうこと? 今回の発表会は、優秀な錬金術士がみんなで研究の成果を発表して、お互いに知識を高めて、もっともっと錬金術を普及させるためだって、アカデミーの広報に書いてあったじゃない。他にどんな目的があるっていうの?」
マルローネが尋ねる。
「まあ、お人よしで単純なマルローネさんなら、素直にそう信じてしまうかも知れませんね」
「むっか〜!! 何よ、その言い方! 単純で悪かったわね! ひねくれ者のあんたに言われたくないわよ」
(ようやく、いつもの元気が戻ってきましたね。良かった・・・)
クライスは心の中で笑みを浮かべたが、表情にはおくびにも出さず、冷静に言葉を継ぐ。
「その隠された目的とは、将来ザールブルグ・アカデミーを担う優秀な人材の選抜――。より具体的に言えば、次期校長を誰にするかということだと、私は考えています」
「ええっ!?」
マルローネがすっとんきょうな声を上げた。エリーやアイゼルも、びっくりしてイングリドとヘルミーナの顔を見比べた。アカデミーの次期校長と言えば、このふたり以外には考えられない。
「ふふふふ、イングリドの弟子にしちゃ、なかなか切れるじゃないか」
ヘルミーナがつぶやく。イングリドもふっと肩の力を抜いた。
「さすがだわね、クライス・・・」
「いかがでしょうか、ドルニエ先生」
クライスはテーブルを挟んで正面に座っているドルニエを見やった。ドルニエはとまどったようにうなずく。
「あ、ああ、その通りだよ。しかし、なぜわかったのかね」
「ドルニエ先生が第一線からの引退をお考えになっているという噂は、何年も前から流れていました。そして、ザールブルグ・アカデミー創立25周年という節目は、世代交代のタイミングとしても絶好です。また、より優れた研究成果をもたらした人を後継者に指名するというのも、錬金術学校として理にかなっています。それに――」
ヘルミーナをちらりと見る。
「普段は徹底的な秘密主義で、ぎりぎりまで何もおっしゃらないヘルミーナ先生が、珍しくご自分の研究発表内容をあちこちでほのめかして、前評判を高めているようでしたからね。それだけ一生懸命になるには、特別な理由があると思ったのですよ。ヘルミーナ先生にとって、イングリド先生と校長の座を争う以上は、絶対に負けられない戦いでしょうからね」
「ふふふふ、その通りさ。だから、とっておきの研究成果、『究極の錬金術アイテム』を発表しようと考えたのよ。あたしとイングリドの決定的な差を見せ付けてやろうと思ってね」
ヘルミーナが自信ありげに笑う。
「イングリド先生も、ドルニエ先生の意向はご存知だったのですね」
クライスの問いに、イングリドは軽くうなずいた。
「ええ、そうよ。ヘルミーナと一緒に校長室へ呼ばれて、そう言われました」
「今回の発表会の内容で、どちらが次期校長になるか決まることになっていたのですか」
「いいえ、それで即座に決定ということではありません。でも、発表内容が決定に大きく影響するということは言われたわね」
「ということは、イングリド先生も、ヘルミーナ先生がどんな発表をするか、非常に気になっていたのではありませんか?」
「ええ、否定はしないわ」
「そんな中、ヘルミーナ先生が究極の錬金術アイテムを出品するという噂が広がり、前評判が次第に高まっていった――。ご自分の不利を感じ、焦ったのではありませんか?」
「・・・何が言いたいのかしら?」
落ち着いた表情のまま、イングリドは冷ややかににらむ。
「今回、イングリド先生がどのような研究発表をなさろうとしていたのか、私は知りません。しかし、イングリド先生は、口では何と言っているにせよ、ヘルミーナ先生の実力を最もご存知のはずです。このまま発表会が行われたら、次期校長レースに不利になることは目に見えている・・・。ならば、ヘルミーナ先生のアイテムを隠してしまえば、勝てはしないまでも、負けることはない――そう考えたとしても不思議はありません」
「そ、それじゃあ・・・」
エリーが不安げにつぶやき、おどおどとイングリドを見る。
クライスは淡々と続ける。
「――とはいえ、これは仮説です。イングリド先生、いかがですか?」
「確かに、よく考えられているわね。でも、わたくしは否定します」
「わかりました。それから、先ほど申し上げたように、この仮説に基づけば、ヘルミーナ先生にも犯行の動機があることになります」
「ふふふ、どういうことだい?」
「ヘルミーナ先生にとって、イングリド先生に勝つことは至上命題です。そのためには手段を選ばない・・・そうではありませんか?」
「さあ、どうだかね」
ヘルミーナはとぼける。
「発表会で絶対的に有利に立ちたいヘルミーナ先生は、念には念を入れることにした・・・。『究極の錬金術アイテム』について噂を流すことで前評判を高め、さらに話題づくりのために盗難事件を起こす。場合によってはイングリド先生に罪を着せることまで考えていたかも知れません」
「そんな――!?」
アイゼルが悲鳴に近い声をあげる。
「ふふふふ、あんた、あたしよりもあくどいことを考えるんだねえ」
ヘルミーナは腹を立てるどころか、面白がっているように見える。
「もちろん、これも仮説です。ひとつの可能性に過ぎません」
クライスは肩をすくめた。
「次の仮説にいきましょう」

お茶のお代わりをしたクライスは、疲れも見せずに話し続ける。
「今度の仮説では、犯人と目されるのはエリーさん、アイゼルさん、ノルディス君です。誰かの単独犯行か、あるいはふたり、または3人全員の共犯ということも考えられます」
「へ?」
「何ですって?」
「待ってください!」
異口同音に3人から声が漏れる。エリーは当惑し、アイゼルは腹立たしそうで、ノルディスは不安げだ。
「そうだよ、この子たちがそんなことするわけないよ」
言い募ろうとするマルローネを手で制し、クライスは落ち着いた調子で、
「アイゼルさん、あなたはヘルミーナ先生に最も近い立場にいらっしゃいました。『究極アイテム』について話を聞く機会も多かったと思います。どのような話を聞かされたのか、詳しく話していただけませんか」
アイゼルはエメラルド色の瞳で怒ったようにクライスをにらんだが、諦めたように話し始める。
「ええと・・・。実験室で準備のお手伝いをしている時に、ヘルミーナ先生が何度も楽しそうに話していらっしゃるのを聞きました。『これは、今まで誰もやったことのない素晴らしい実験なんだ』とか、『これこそ真の究極アイテムなのよ』とか・・・」
ちらりとイングリドを見て、
「『この実験が成功したら、イングリドもぐうの音も出ないだろう』とか・・・」
「究極のアイテムの正体について、なにかほのめかすような発言はなかったですか」
「そうですね・・・」
眉をひそめたアイゼルは、今度は不安そうにヘルミーナを見やった。ヘルミーナはそ知らぬ顔をしている。
「こんなこともおっしゃっていました・・・。『これが完成したら、世界がひっくり返ってしまうかもしれない』とか、『世界征服だって、夢じゃないよ』とか」
「なるほど、それを聞いて、どう感じましたか」
「はい・・・。先生は、なにかとんでもないものに手を出されているんじゃないかしらって、少し心配になりました」
「それは、どういう意味ですか」
「ええと、イングリド先生が機会あるごとにおっしゃっていることが、気になったんです。錬金術を使えば、様々なことができるようになる、でも、人間が手を出してはならない禁断の領域に属することもある、その一線を越えてはならない・・・と。ヘルミーナ先生の今回の実験は、その一線を越えてしまったものなんじゃないかと――」
「ヘルミーナ先生に尋ねて、確かめなかったのですか」
「そんなこと――」
アイゼルは言葉を切った。怖くて聞けませんでした、とはさすがに口に出せなかった。
「それで――? 不安になって、アイゼルさんはどうしたのですか?」
「あ、はい・・・。エルフィールとノルディスに話しました」
「わかりました。つまり、3人とも、ヘルミーナ先生の究極アイテムが、世の中に危険をもたらすようなものかもしれないと、懸念を抱いていたわけですね」
「あ、でも、必ずしもそういうわけじゃ・・・」
エリーが口ごもる。ノルディスも何か言いたそうに口を開いたが、そのまま黙り込んだ。
「ここからは、仮説です。ヘルミーナ先生は、これまでにも何回か、錬金術の倫理規範すれすれの実験をしたり、アイテムを創り出したりしたことがあります。エリーさんもノルディス君も、そのことはよく知っていました。ヘルミーナ先生の教え子であるアイゼルさんは、なおさらのことです」
クライスは、相変わらず淡々と続ける。
「錬金術が一線を越えてしまったら、それはもはや人々に幸福をもたらすものではありえません。逆に、人々を苦しめ、世界に破滅をもたらすものにもなりうるのです。そうなったら、錬金術そのものが否定されてしまうことにもなりかねません。ヘルミーナ先生の思わせぶりな発言から、今回の『究極アイテム』に危惧を抱いた誰かが、危険な研究を止めさせようとして、完成したアイテムを盗み出したとしても、私は驚きませんね」
ノルディスを見やる。
「例えば、こんなケースはどうでしょう。アイゼルさんに相談されたノルディス君は、ヘルミーナ先生のアイテムを持ち去ることを計画する・・・。しかし、アイゼルさんを事件に巻き込みたくはないので、エリーさんと共謀する。ノルディス君は図書室へ行くと称していったん現場を離れ、その間にエリーさんがアイゼルさんを誘い出してルイーゼさんも会話に巻き込み、注意をそらすと共にアリバイ作りをする。その隙に、こっそり戻ったノルディス君がガラス瓶を持ち去る――」
「嘘です! そんなはずありません!」
アイゼルが叫んだ。
「逆のケースも考えられますね。アイゼルさんとエリーさんが共謀して、アイゼルさんが『ゼッテル』がないと言ってノルディス君とルイーゼさんの注意をそらし、その隙にエリーさんが犯行を行うといった具合です」
「そんな・・・、ひどい」
エリーが情けない声を出す。
「まあ、これも仮説に過ぎません」
クライスはあっさりと言って、テーブルを見渡した。
「おや、またお茶が切れてしまったようですね」
再び、ピコに合図をする。
「新しいお茶を入れてください。そうですね・・・」
しばらく考えて、指示する。
「青、赤、黄色の虹妖精ブレンドでお願いします」
「ええっ!?」
ピコがびっくりしたように身を震わせる。つぶらな目はうるみ、今にも大粒の涙がこぼれそうだ。
「どうしました? 何か問題でも?」
「い、いえ・・・。わかりました・・・」
ピコは不安げな表情を隠しもせず、すっ飛んでいく。
「ねえ、虹妖精ブレンドって何? そんなお茶、聞いたことないんだけど」
マルローネの質問に、クライスはすまして答えた。
「わがキュール家に伝わる、秘伝のブレンドですよ。ぜひ、みなさんに味わっていただきたいと思いましてね」
ピコがお茶を用意している間に、クライスはさらにいくつかの仮説を提示した。
『究極の錬金術アイテム』に興味しんしんだったルイーゼが、つい持ち去ってしまったという説。
イングリドの命令で、『デア・ヒメル装備』をつけたマルローネがアイテムを盗み出したという師弟共犯説。
挙句の果ては、ヘルミーナ以外の全員共謀説まで飛び出す始末だ。
部屋には、次第にしらけたような雰囲気が漂い始めている。
ピコが、湯気の立つポットと新しいティーカップをよちよちと持って来た。お茶を注いだカップを、ひとりひとりに手渡していく。
「へえ、これが特製ブレンド? どこが特製なのかよくわからないわね。特別に美味しいというわけでもないし」
ひと口すすったマルローネが言い、つられるように全員が口をつけた。
しばらく、誰もが黙り込んでいた。長々と議論がされてきたが、決定的な証拠はなにひとつ得られていない。ヘルミーナは不機嫌な表情を隠さず、イングリドも苛々しているようだ。エリーもアイゼルもノルディスも疲れ切った様子で椅子にもたれ、落ち着かなげに身じろぎする。ルイーゼは、うっとりと宙に目をやり、なにやら物思いにふけっているようだ。
カップを置いたクライスが、おもむろに口を開く。その口から、意外な言葉が発せられた。
「みなさん、私には真犯人がわかっています」


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