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〜「名探偵クライス」犯人当てクイズ当選プレゼント小説<kozue様へ>〜

国王陛下のメイド探偵エリー

甘い誘惑 [事件篇] Vol.1


誘惑−1:おいしい依頼

「こんにちは〜」
錬金術士エルフィール・トラウム(愛称エリー)は、いつものように元気に挨拶をして酒場『飛翔亭』へ足を踏み入れた。
まだ昼前なので、酒場はさほど混み合ってはいない。とはいえ、テーブル席やカウンターにはちらほらと人影が見える。昼間から飲んだくれている老人もいるが、壁の張り紙などを見ている、仕事を探す冒険者の方が多い。向かって右側のカウンターの中から、そろって口ひげをたくわえた、顔立ちがよく似たふたりの男が視線を向けてくる。奥にいる眼鏡をかけているのが店主のディオ、手前のいかめしい表情の男が弟のクーゲルだ。かつては些細なことから仲違いをしていたという兄弟だが、今は協力して店を繁盛させている。もっとも、もはや酒場では古株になってしまったエリーも、ふたりがいさかいをしていた時代を知らない。看板娘のフレアが「あの時は本当に大変だったのよ」と懐かしそうに話すのを聞いたことがあるだけだ。
15歳で、ここシグザール王国の首都ザールブルグへやって来て、錬金術を教える王立魔法学院アカデミーになんとか補欠で入学した頃のことが思い出される。命の恩人である錬金術士マルローネに憧れてアカデミーを受験したものの、ぎりぎりの補欠合格だったために寮には入れず、工房での自活を余儀なくされた。師のイングリドに「仕事がほしければ酒場へ行ってみなさい」と言われ、不安な気持ちを抱えておずおずと『飛翔亭』に入っていったのだ。ディオには不審な目を向けられ、クーゲルには「この店はお嬢さんのような人が来る場所ではない」と諭された。だが、エリーは事情を説明し、小さな仕事を紹介してもらうことができた。できることからこつこつと依頼をこなし、そうするうちにだんだんと錬金術の腕を上げていったエリーには、次第に信用もついてきた。アカデミーでも限られた成績優秀者しか行けないというマイスターランクに進学できたのも、『飛翔亭』で数々の依頼をこなし、実践的な錬金術の腕を磨くことができたからだろう。
エリーは数年前にマイスターランクを卒業して、海を越えた西の大陸にある錬金術の総本山ケントニスに留学していた。そしてザールブルグへ戻ってきて『職人通り』に新たな工房を開いたエリーは、現在では錬金術士として高い評価を得て、街の人々から頼りにされている。薬や爆弾、魔法の道具の調合から怪物退治まで、依頼のためにエリーの工房を訪れる人は引きもきらない。仕事を探しにわざわざ酒場に来る必要はないわけだが、それでもエリーは暇さえあれば『飛翔亭』へ顔を出す。工房へこもっていたのでは耳にできない、貴重な情報が手に入るからだ。もちろん、ディオとクーゲルが紹介してくれる依頼物件をチェックすることも怠らない。
クーゲルに軽く会釈して、まずエリーはディオの元へ歩み寄り、依頼されていた『コメート』の完成品を手渡す。眼鏡の奥から鋭い眼光で鑑定したディオは、満足げに笑った。
「うむ、相変わらずいい出来だな。これなら依頼人も満足するだろう」
そして、報酬の銀貨をかなり上乗せして払ってくれた。
「今ある依頼はこんなところだが・・・」
リストを見せてくれたが、興味を引かれるような依頼はない。
「なにか噂話はありますか?」
古今東西、人の出入りが多い酒場には、常に最新の情報が集まってくる。『飛翔亭』も例外ではなく、それなりの銀貨を支払えば、ディオは重要と思われる情報を話してくれる。もちろん、そのような情報がいつもあるわけではないが。
だが、今日のディオは指を立てて見せた。エリーはうなずいて銀貨を支払う。
「ドムハイトの国王が、狩りの最中に落馬して、けがをしたらしい。リューネ王妃が国許に呼び戻されたくらいだから、かなり悪いのかも知れんな。せっかく改善された両国の関係に影響がなければいいのだが」
シグザール王国の南方に位置する大国ドムハイトは、シグザールに匹敵する国力を持ち、かつては国境付近で発見された銀鉱脈の帰属をめぐって小競り合いを繰り返してきた。シグザール聖騎士隊は隊長を喪い、うち続く戦乱の中で消えた村もあった。だが、シグザール先代国王ヴィントとドムハイト国王フリッツ・シュタットとの間で水面下で関係融和が進められ、その動きは現シグザール国王ブレドルフとドムハイトの王女リューネとの結婚という形で実を結んだ。1年半ほど前、盛大に挙行された結婚式にはエリーも招待され、幸福そうなふたりを心から祝福したのだった。政略結婚だと揶揄する貴族もいたようだが、あの時のブレドルフとリューネの笑顔は心からのものだったとエリーは思う。
「もしかすると、あんたのところにも薬を調合してくれと言ってくるかも知れんな」
「そうですね」
ディオはなかば冗談で言ったようだったが、エリーは真剣にうなずいた。数年前、王位を継ぐことを渋っていたブレドルフが即位を決意した陰に、エリーの活躍があったことはディオも知らない。
ローブをひるがえすと、エリーは次にクーゲルのところへ行った。エリーが着ている鮮やかなオレンジ色の錬金術服と輪の形の帽子は、地味な服装の者が多い酒場の中では目立つ。
クーゲルは、黙って依頼のリストをエリーに見せた。
ディオが紹介する依頼は具体的で、『ズフタフ槍の草×7』や『燃える砂×4』など、具体的な内容が明示されている。ところが、クーゲルが管理している依頼は『滋養強壮の薬×8』とか『珍品・貴重品×2』とか、おおまかなカテゴリーが指定されているだけで、それに該当するアイテムを自分で判断して用意しなければならない。独自のルートを持っているクーゲルだけに、依頼者も貴族や豪商など有力者が多く、その分、報酬は高いが、アイテムの選択を誤ると人気や名声がひどく落ちてしまう可能性もある。逆に、依頼者が満足する品物を提供し続けていると、名指しで特別な依頼が入ることもある。ザールブルグでも指折りの画家アイオロスに、絵のモデルを頼まれたこともあった。
「あれ? これって――」
リストをながめていたエリーは、これまで見たことのない依頼があるのに気付いた。
「ああ、それは、さる上流階級の方からの依頼でね。お嬢さんになら、安心して任せられるだろう。どうするね?」
「はい! 喜んでやらせてもらいます!」
「かなり急いでいるようなので、納期は短いが、よろしく頼むよ」
「わかりました!」
エリーは張り切って答え、何を作ろうか頭の中であれこれ考えながら家路を急いだ。途中、雑貨屋に立ち寄って、小麦粉やザラメ、ランドーの実といった食材や調味料を買い込む。
クーゲルから受けた依頼は、『美味しいお菓子×5』というものだった。

錬金術を極めれば、何でも創り出すことができる――。
厳密に言えば、この言葉は必ずしも正しいわけではない。しかし、一流の錬金術士の書棚にあるアイテム図鑑や参考書、アカデミーの図書室に収められた無数の書籍をながめていれば、そんな気になることも確かだ。
薬に毒薬、爆弾に武器、金属に香料、指輪や首飾りのような装飾品、楽器に日用品、酒をはじめとする飲み物、料理にお菓子、天候を左右するアイテムや幸運を与える魔法の品など、ありとあらゆるものが錬金術によって創り出され、場合によってはゴミすらも貴重品となる。そして、かりそめのものではあっても生命すら創造し、禁断の術の中には死者をよみがえらせるものさえあるという。
エリーは工房へ戻ると、書棚から食品――特にお菓子類のレシピをまとめて記したノートを取り出した。
かつて、ケントニスから一緒に戻って来た先輩錬金術士のマルローネと、この工房でしばらく共同生活をしたことがある。そのとき、マルローネの親友シアの勧めで工房の2階をティールームにして、親しい人たちを呼んでは頻繁にお茶会を開いた。招待客に美味しい飲み物とお茶菓子を提供しようと、自らの食い意地も手伝って、暇さえあればマルローネとふたりでお菓子の研究に没頭したものだ。
その際に開発した様々なレシピが、今、役立とうとしている。
お手伝い妖精のピコとピーポー、プリチェに声をかけ、ハチミツに星砂糖、ランドージャムを調合するよう指示する。
エリーは机に向かい、ノートを開いた。
最も労力と情熱を傾けたチーズケーキをはじめ、イングリドから指導を受けたショコラーデにペンデル、スイートパイにアップルパイ、マルローネが好んでこしらえていたマシュマロもある。クランツ、ワッフルといった焼き菓子に、ウアラップやガラクトース。夏に美味しいアイスクリームやシャーベットといった氷菓に、シャオムやヨーグルリンクなどの甘い飲み物まで、レシピがぎっしりと書き込んである。
「う〜ん、どうしようかなあ」
片手で頬杖をついてレシピを覗き込みながら、エリーはつぶやいた。ノートに添えられた絵をながめるだけで、口の中につばがわいてくる。
今回の依頼は納期が短いため、手がかかるチーズケーキやペンデルは作れない。かといって、初めての相手から受けた依頼である。シンプル過ぎるものを提出して手抜きと思われるのも困る。
「よし、スイートパイにしよう!」
アップルパイにしたいところだが、材料のモカパウダーが間に合わない。シュミッツ平原に妖精を派遣して、原料のカリカリの実を採取させること、と心の中にメモする。最初に提供したものの評判がよければ、おそらく今後もこの依頼は続くだろう。用意しておくに越したことはない。
「よぉし、やるぞ〜!」
エリーは両手を打ち合わせると、調合の準備にかかった。

そして、約束の期日――。
「こんにちは〜」
エリーは上機嫌で『飛翔亭』のドアを押し開けた。
今日の酒場はいつになくにぎやかだ。壁際に陣取った楽隊がテンポのいい音楽を奏で、それに合わせて、薄物をまとった肌も露わな踊り子が舞っている。5日に一度、南から来た踊り子ロマージュが舞いを披露する日に当たっていたのだ。
ロマージュの踊りに口笛を吹き、拍手する冒険者や酔漢の間を器用に抜け、エリーは持参したスイートパイが載った皿をクーゲルに差し出す。
「はい、依頼の品『美味しいお菓子』です」
「・・・・・・。うむ、助かったよ。ありがとう」
改めるようにスイートパイをながめたクーゲルの顔がかすかにほころぶ。当たりだ、とエリーは思った。アイテムを評価する時のクーゲルの表情のわずかな変化も、今のエリーには見分けられるようになっている。最初のうちは、クーゲルが眉をひそめているのに気付かず、ピントの外れたアイテムを渡してしまって、何度も痛い目に遭ったりしたものだが。
クーゲルが差し出す報酬の銀貨を、ありがたく受け取る。その時、背後からやや舌足らずな色っぽい声がした。
「あらぁ、おいしそうなパイね」
ひと踊り終えたロマージュが、そばに寄ってきたのだ。
「ほんと、食べちゃいたいくらいだわ」
「だめですよ。これは依頼の品なんですから」
エリーがあわてて言う。
「あらぁ、大丈夫よ、つまみ食いしたりはしないから」
しなだれかかるようにして、ロマージュが微笑む。
「それにね、こんな高カロリーの甘いものを食べたら、太ってスタイルが崩れちゃうわ」
「へ? そんなものですか?」
「そうよ、エリーちゃんも、調合しながら味見ばかりしていると、そのうちに、コロコロしたかわいいブタさんになっちゃうかもね、うふふ」
「ひええ・・・。怖いこと言わないでくださいよ」
身に覚えのあるエリーは、真剣な表情でロマージュを見た。ロマージュはなにかを思い出すかのように、
「錬金術士には、スタイルはあまり関係がないかもしれないけれど、踊り子は大変なのよ。あたしの生まれた南の国では、王室付きの踊り子に選ばれるのは最高の名誉なの。でもね、月に一度は体重とスリーサイズを測られて、少しでもスタイルが崩れていると、すぐに宮殿を追い出されてしまうのよ。あたしは、そういう堅苦しい生活が嫌で、国を出てしまったのだけれど」
「え、本当ですか」
「うふふ。さあ、どうかしらね。――あら、時間だわ。それじゃね」
新しい曲が始まり、再びロマージュは酒場の真ん中に出て踊り始めた。
クーゲルが新たなリストを示す。そこにまたも『美味しいお菓子』という依頼があるのを見て、エリーはにんまりと笑みを浮かべた。

それから1ヶ月、エリーはまるでパティシエになったかのように、お菓子作りに精を出した。
南のシュミッツ平原に派遣した妖精ピーポーがカリカリの実をたっぷりと採取してきたため、貴重なモカパウダーも常備できるようになり、調合の幅も広がった。森の食材を行商に来た妖精のパテットからはシャリオミルクとハチの巣を買占め、妖精のピコとプリチェはミルクまみれになりながら、お菓子作りのベースとなる粉ミルクやシャリオチーズを量産している。
マシュマロにクランツといった比較的あっさりしたものから、アップルパイやガラクトースなど手の込んだお菓子まで、変化がつくようにいろいろ織り交ぜて、エリーは毎週のように『飛翔亭』へ届けた。クーゲルも上機嫌で、依頼人はたいへん満足しているようだと話してくれた。
今日もエリーは、じっくりと焼き上げたイングリド直伝のペンデルを持って、『飛翔亭』を訪れた。
いつものように品物を受け取り、銀貨を手渡したクーゲルは、重々しく口を開く。
「実は、今日はお嬢さんに特別な依頼が入っているのだよ。この『美味しいお菓子』の依頼人から、お嬢さんを名指ししてきたのだ。これまで渡してきたお菓子がたいへん気に入ったようでね、お嬢さんがいちばん得意にしていると評判のお菓子、つまりチーズケーキを作ってほしいとのことだ。報酬は銀貨2000枚」
「ほ――ほんとですか?」
エリーは目を丸くした。チーズケーキを依頼されたことにではなく、その報酬の多さにである。依頼人はよほどの金持ちなのだろう。
「もちろん、引き受けるかどうかは、お嬢さんの自由だ。わしとしては、店の評判にも関わることだし、ぜひ引き受けてもらいたいと思う。お嬢さんにとっても、悪い話ではないと思うのだが」
「は、はい、やります! ぜひ、やらせてください」
エリーは勢い込んで叫んだ。クーゲルはかすかにうなずいたが、相変わらずのいかめしい様子で、言葉を継ぐ。
「ただし――」
「ただし・・・?」
「十分にわかっているとは思うが、失敗は許されない。特に、今回の依頼人は特別だからな。心して取り組んでもらいたい」
「依頼人が特別・・・って?」
エリーはいぶかしむ。そもそも、クーゲルが相手にしている依頼人は、上流貴族や芸術家、好事家など、全員が特別な人々ではなかったか。クーゲルは低く笑った。
「依頼人は、お嬢さんのこともよく知っていたよ。昔から、いろいろとお世話になっている、とも言っていた。いささか意外な気がしたがね」
「はあ・・・」
わけがわからないでいるエリーに、クーゲルは重々しく告げた。
「依頼人の名はブレドルフ・シグザール陛下だ。つまり、現国王陛下じきじきのご指名ということなのだよ、お嬢さん」


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