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〜「名探偵クライス」犯人当てクイズ当選プレゼント小説<kozue様へ>〜

国王陛下のメイド探偵エリー

甘い誘惑 [捜査篇] Vol.1


誘惑−4:王宮への誘い

ブレドルフ国王の思いがけない訪問から数日後――。
「いったい何なんだろう?」
エリーは首をかしげてひとりごとを言いながら、せかせかとアカデミーへの道を急いでいた。
この日もいつものように『飛翔亭』へ情報収集に出かけたが、工房へ帰ってみると、留守番のピコが怯えた様子で待っていたのだ。
「ひっく・・・。左と右の目の色が違う怖いおばさんが来て、『大至急アカデミーに来るように』って言ってました・・・。笑ってましたけど・・・くすん、怖かったよぉ」
だが、この伝言だけでは、エリーを呼び出したのがイングリドなのかヘルミーナなのかわからない。エリーの質問は簡潔だった。
「ねえ、ピコ。その人の笑い声は、『ほほほほ』だった? それとも『ふふふふ』だった?」
「え、ええと、『ほほほほ』でした・・・」
「あ、わかった。イングリド先生だね」
シグザール城内に滞在して、連続盗難事件の謎を解いてほしい――と唐突にブレドルフから依頼されたものの、エリーは具体的にどう行動を起こしたらよいのか、考えあぐねていた。いきなり城へ出かけていって「盗難事件の捜査に来ました」と言っても、門前払いをくらうだけだろう。しかも、国王の希望では、城にいる他の人々には事件の捜査をしていることを秘密にして、隠密裏に行動しなければならないという。あの日、ブレドルフは「詳しいことは後で」と言い残してさっさと帰ってしまい、それ以降は何の連絡もない。
それにしても、警戒厳重なシグザール城内で盗難事件とは、どういうことなのだろうか。しかも、盗まれたものは宝石でも国家機密でもなく、エリーがブレドルフの依頼で作ったお菓子だという。それだけでも常識を外れていて、まったく信じられない。まさか、茶目っ気のある国王にかつがれているのだろうか。しかし、あの時のブレドルフの表情は真剣で、冗談や悪ふざけのような雰囲気はなかった。
(だいたい、わたしがシグザール城で生活するなんて、ありえないよね。それだけでも、エンデルク様やダグラスに怪しまれちゃうよ。それに、素人のわたしに、探偵なんて・・・)
たしかに以前、エリーは先輩のマルローネやクライスと協力して、当時ザールブルグを騒がせた、怪盗デア・ヒメルの再来と言われた連続盗難事件を解決したことがある。しかし、あの時はクライスの指示に従って動いていただけだった。
(やっぱり、断ろうかなあ。でも、国王陛下が困っているのに、放っておくことなんかできないし)
思い悩んでいるうちに、ザールブルグ・アカデミーの堂々とした白亜の建物が正面に見えてきた。

開校してから既に30年近くなるザールブルグ・アカデミーは、今やシグザール王国を支える基幹となっていると言ってもいい。現校長のドルニエや、南の国のアカデミーで活躍しているという伝説の錬金術士リリー、そしてまだ子供だったイングリドやヘルミーナが種をまいた錬金術は、ザールブルグ市民の間にしっかりと根付き、大輪の花を咲かせている。
今日も、錬金術士を目指す数百人の生徒が、アカデミーで学んでいるはずだ。
エリーは前庭を突っ切り、正面玄関からロビーに入る。午後の講義が行われている時間なので、ロビーには生徒の姿はなく、がらんとしていた。右側にあるショップのカウンターでは、店員のルイーゼが熱心になにかの本を読みふけっている。
「ルイーゼさん、こんにちは!」
エリーの声に、ルイーゼははっと顔を上げたが、すぐににっこりと笑みを浮かべる。
「あ、エルフィールさん。イングリド先生が、探していらっしゃいましたよ」
「はい、そう聞いたので、急いで来ました」
「そうですか。イングリド先生は研究室にいらっしゃるはずです」
「はい、わかりました」
ここにアイゼルがいれば、「あなた、またなにかやらかしたの? 身に覚えがあるんじゃなくて?」と毒舌を吐くところだろう。昔を思い出して、エリーはくすっと笑った。
だが、すぐに気を引き締める。ルイーゼまでが知っているということは、今回のイングリドの呼び出しは重要なものに違いない。
エリーは研究棟へ通じる渡り廊下を通って、軽い足音をたてて階段を上る。イングリドの研究室のドアをノックすると、待ちかねていたように師が迎えた。
「来たわね、エルフィール」
にこりともせずに、イングリドは言った。だが、怒っているような雰囲気ではない。どちらかと言えば、説明のつかない状況に置かれて当惑しているかのようだ。
「お呼びですか、イングリド先生」
身に覚えはなかったものの、気付かぬうちにイングリドの逆鱗に触れるような不始末をしでかしていて、そのためにお説教をされるのではないかと不安を抱いていたエリーは、ほっと息をつく。
「エルフィール。突然ですが、あなたに長期研修を命じます」
「へ?」
エリーはぽかんと口を開けた。何を言われているのか、理解できない。
「期間は少なくとも一ヶ月。その間は他のことはできなくなりますから、承知しておいてちょうだい。今あなたが受けている依頼については、心配は要らないわ。わたくしの方で責任をもって誰かに代行してもらうようにします」
「でも・・・」
エリーは口ごもった。この指示は、あまりにも唐突だ。まさか、特定の研究のためにケントニスへ行けとでも言われるのだろうか。師のイングリドの命令とあらば、従うことはやぶさかではないが、ブレドルフからじきじきの頼まれごとがある。こればかりは他の誰かに肩代わりしてもらうわけにはいかないし、事情をイングリドに説明するのもはばかられる。
「あ、あの・・・」
「ふう。まったく困ったものね」
イングリドはため息をついた。心中を言い当てられたのかと思い、エリーはひくりと身を震わせたが、イングリドの思いは別のところにあるようだった。
「ドルニエ先生も、ひとの都合もお構いなしに、すぐ引き受けてしまうのだから。まあ、今回は、国王陛下の強い要望もあったということですから、仕方がないのかも知れないけれどね」
「あの・・・、どういうことでしょう。わたし、なんだかさっぱり――」
「あ、そうね。詳しく説明しなくてはいけないわね、ほほほほ」
笑みを浮かべると、イングリドは説明を始めた。
「実は、アカデミーのカリキュラムに、新たな科目を追加しようという話があるのよ。アカデミーも卒業生が増えて、貴族お抱えの錬金術士となる生徒もいます。ですが、礼儀作法がしっかり身についていないという苦情の声も、雇い主からちらほらと上がってきているの。いずれは、宮廷魔術師として王室に召し抱えられる卒業生も出るでしょう。そういう場合に備えて、貴族や王室の礼儀作法を実地に学ぶ科目を新設しようというわけなの。名付けて『宮廷の礼儀作法:実践篇』ね」
「はあ」
エリーはうなずいた。彼女自身、マイスターランクへ進学する際、宮廷魔術師にならないかという誘いを受けたことがある。結局、考えた末に自分には合わないと思って断ってしまったわけだが。イングリドは続ける。
「この件は以前から検討していたのですが、いろいろと制約があって、具体化してはいなかったの。ところが、今朝のことなのですけれど、いきなりドルニエ先生から、誰かを使って試験的にその科目の実地研修を行いたいという話があったのよ」
イングリドは首をかしげた。
「もちろん、シグザール城内で実際に生活して王室の礼儀作法を学ぶわけですから、いいかげんな生徒を行かせることはできません。でも、ドルニエ先生は心当たりがあるとおっしゃったわ。それが――」
「わたし、ですか?」
「そうなの。しかも、この話はアカデミー側から働きかけたわけではなくて、国王がじきじきにドルニエ先生に相談を持ちかけたらしいのよ。実地研修を受けるのはエルフィールが望ましい、と名指しでね」
イングリドは納得できないという様子で、薄水色の髪をかきあげた。エリーは不安げに見つめる。心の中では、ある確信が形作られてきていた。
「まあ、確かにあなたは庶民の出身で、貴族の礼儀作法をよく知っているわけではないから、教育のしがいはあるでしょう。にもかかわらず、王室関係者ともそれなりにお付き合いもあるわけですから、適任といえば適任なのですけれど・・・」
言葉を切り、机から細かな字が書かれた書類を取り上げて、目を走らせる。
「エルフィール。あなたは速やかに身の回りのものをまとめて、シグザール城内に引っ越す準備をなさい。受け入れ態勢は、数日のうちに整うそうよ。準備ができたら、城のレディ・シスカの許に出頭すること。そこで細かい指示を受けなさい」
「はい」
びっくりしながらも、エリーは来るべきものが来たという安堵感をおぼえていた。これは、ブレドルフ国王が段取りしてくれたに違いない。アカデミーのカリキュラムに基づいた実地研修生としてならば、エリーがシグザール城内に長期滞在してもおかしいことはない。後は、うまく時間を使って事件の捜査をすればよいわけだ。それにしても、礼儀作法の研修とは、どのようなことをするのだろうか。レディ・シスカと言えば、シグザールの歴史上唯一の女性聖騎士として名を馳せ、騎士隊を引退した後も各国との外交の最前線で活躍した伝説の女性だ。その人と共にダンスパーティーや晩餐会に出席したりして、貴族や王族の振る舞いを学ぶのだろうか。きらびやかなドレスや美しいアクセサリーを身につけている自分を想像して、エリーはわれ知らずうっとりと妄想に浸っていた。
書類を読み上げるイングリドの声は続く。
「城内では、王室付きのメイド見習いとして生活し、室内清掃やベッドメイク、お茶の給仕や後片付けなどの雑用を通して、王宮における礼儀作法を学んでもらいます」
「へ?」
夢想を破られ、エリーは声をあげた。イングリドはじろりとにらむ。
「どうしたのです? なにか不審な点でもあるのですか」
「いえ、その・・・」
口ごもるエリーに、イングリドは面白がるような笑みを浮かべた。
「まさか、あなた、貴族や王族の礼儀作法を学ぶつもりでいたの? いいですか、この科目で学ぶのは、貴族や王族らしく振舞う作法ではなくて、貴族や王族と接する際に失礼のないようにするための礼儀作法なのですよ。勘違いしてはいけません」
「はい・・・」
エリーはしゅんとなった。
「それと――。特に注意書きがありますが、あなたは、ブレドルフ陛下が召し上がるお茶菓子をこしらえる仕事も任されるそうです。ですから、必要な材料と調合道具を用意して持ち込むよう指示が出ています」
「はあ、そうですか」
事件の捜査もできるし新しいお菓子も作れるし、国王陛下にとっては一石二鳥なのね、とエリーは妙に納得して心の中でつぶやく。
イングリドは書類を置くと、エリーに向き直った。
「いいですか、エルフィール。あなたはおっちょこちょいのところがあるから、そのことを十分に心得て、注意して行動しなさい。アカデミーの代表として行くのですから、くれぐれも恥をさらすことのないようにね」
「はい、わかりました」
エリーは一礼して、部屋を出ようとする。イングリドが後ろから呼び止めた。
「そうそう、言い忘れていたわ。予習のための礼儀作法の参考書を用意しておいたから、ショップで受け取ってちょうだい。お城へ行く前に、よく読んでおくのよ。アカデミーの名誉のためにもね」
エリーが去った後、イングリドは腕組みをしてつぶやいた。
「エルフィールで本当に大丈夫かしら。でもまあ、マルローネを行かせるよりは、よほど安心ね、ほほほ」

ロビーへ戻ると、エリーはショップのカウンターに歩み寄った。相変わらず、ルイーゼは金髪の頭をページに押し当てるようにして読書に没頭している。
エリーがイングリドからの指示を伝えると、ルイーゼは上目遣いに考えて、
「ああ、そのことなら、聞いています。ええと、参考書として指定されているのは、『シグザール王室儀典大全』全50巻ですね。王室騎士隊特別顧問のウルリッヒ・モルゲン卿が10年の歳月を費やして完成させた大著です。でも、書棚ひとつ分ありますから、持って帰るのが大変ね・・・」
「へ?」
エリーの目が点になる。ルイーゼはくすっと笑って言った。
「あ、でも、必要最小限の内容だけをコンパクトに1冊にまとめたダイジェスト版もありますよ。どちらにしますか?」


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