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〜「名探偵クライス」犯人当てクイズ当選プレゼント小説<kozue様へ>〜

国王陛下のメイド探偵エリー

甘い誘惑 [事件篇] Vol.3


誘惑−3:実りの秋

完成したチーズケーキをクーゲルに引き渡して、1週間が経った。
ケーキを見たクーゲルは目を見張り、満足げにうなずくと、2000枚の約束だった報酬の銀貨を1000枚も余計に支払ってくれた。
そして、再び『飛翔亭』を訪れたエリーに、ブレドルフ国王からチーズケーキをはじめ各種お菓子の追加注文が来た、と伝えたのだ。
エリーはさらに張り切った。妖精たちの超過勤務は続き、ピコの嘆きは止むことがなかった。
何度目かの修羅場の中、工房のドアが軽くノックされた。
「は〜い、開いてま〜す」
「でも、仕事はたてこんでます・・・。くすん」
テンションが上がりっ放しで無闇に明るいエリーの声と、すべてを諦めきったようなピコのつぶやきが交錯する。
「やあ、エリー・・・。なんか、すごいことになってるね、この工房」
「あ、ノルディス。久しぶりだね」
アカデミーでエリーの同級だったノルディス・フーパーは、マイスターランクを卒業後もザールブルグ・アカデミーに残って研究を続け、特に薬草と医術の方面で画期的な論文も何本も発表している。ノルディスは懐かしそうに、そしてなかばあきれたように、お菓子工場と化した工房を見回す。
「どうしたの、今日は? アイゼルは元気?」
「ああ、元気だよ。食欲も旺盛だし。ふたり分を食べなくちゃならないからって、もう大変だよ」
ノルディスは照れくさそうに笑う。同じくアカデミーの同期生で、エリーの親友でもあったアイゼル・ワイマールとノルディスがフローベル教会で結婚式を挙げたのは、ブレドルフとリューネの婚礼が盛大に行われたひと月後だった。そして今、アイゼルのお腹には、ふたりの愛の結晶が宿っている。
「そうか、今度、時間が出来たら遊びに行くね」
だが、今のエリーには、親友を見舞う時間すら作れそうな状況ではないようだ。ノルディスはすまなそうに言う。
「うん・・・。それで、忙しいとは思うんだけど、エリーにお願いがあって」
「うん、何?」
「実は、『宝石草のタネ』がほしいんだけど、手に入らないかな」
「へ?」
『宝石草』とは、東の台地にごくまれに見つかる植物だ。秋に実るその種は、一見すると芸術的にカットされた色鮮やかな宝石のように見える。そのため、錬金術では宝石の代わりにアクセサリーに埋め込む材料として使われることもある。
「今、手許にはないけど・・・」
上目遣いに考えていたエリーが、残念そうに答える。
「そうか」
ノルディスは顔をくもらせた。ないとなれば、遠い東の台地まで採取に行くしかない。
「でも、どうして必要なの?」
「うん、実はアイゼルが、生まれてくる子供のために、お守りを作りたいって言うんだ。どうしても『ヴァッサリング』を作りたいって。他の材料はすぐに手に入るけど、『宝石草のタネ』だけは、ぼくにもどうしようもなくて。研究が忙しいから、採取に行くわけにもいかないしね。エリーなら、なんとかしてくれるかと思ったんだけど、無理みたいだね」
「ううん、無理じゃないよ!」
エリーが強くさえぎる。高揚している今のエリーには、怖いものなどない。
「今の依頼が一段落したら、東の台地に『幸福のブドウ』を採りに行こうと思っていたんだよ。だから、ついでに『宝石草のタネ』も探してきてあげるよ!」
「でも、エリー、疲れてるんじゃないのかい。無理はいけないよ」
「だって、アイゼルとノルディスと、赤ちゃんのためだもん」
こうなっては、エリーを止められるものはない。ノルディスは感謝しながらも、いささか心配そうな顔で帰って行った。
「よぉし、ひと月は留守にすることになるから、王様の依頼には保存の効くお菓子を用意しておかなくちゃ。――ピコ、ウアラップとクランツをたっぷりと作るから、準備しといてね! あと、それが終わったらカステラも作っておいて」
「ええっ!? ・・・・・・はい、わかりました」
もはや悟りの境地に達したピコは、淡々と作業にかかる。

数日後、エリーは大きな紙袋をいくつも抱えて『飛翔亭』へ向かった。袋の中身は、焼き菓子を中心とした、保存の効くお菓子類だった。いずれも砂糖とハチミツ、小麦粉や粉ミルクをふんだんに使い、風味に変化をつけてある。今やエリーはザールブルグ一のお菓子職人と言ってもよかった。
エリーは、いぶかしげに見つめるクーゲルに言った。
「ひと月ほど留守にしますから、その間の『美味しいお菓子』の依頼には、これを渡しておいてください」
その足で、エリーはシグザール城の正門へ向かう。門番の騎士に通行許可証を見せ、慣れた足取りで城内を進んだ。聖騎士の詰め所で、ダグラスを呼んでもらう。手が空いていたのか、ダグラスはすぐに姿を見せた。
「よう、どうした、こんなところまで」
ぶっきらぼうに言うダグラスに、エリーは両手を合わせて頼んだ。
「ねえ、ダグラス、お願い。東の台地まで採取に付き合って」
ダグラスが目をむく。
「何だと? あんな遠くまで行ったら、ひと月は城を留守にすることになっちまうじゃねえか。そんな暇あるかよ」
「でも、アイゼルのためなんだよ。どうしても『宝石草のタネ』を手に入れなくちゃならなくて。それに、『幸福のブドウ』も採って来られるから、レーズン入りチーズケーキだって作れるよ」
「いや、それにしてもな・・・」
ダグラスは口ごもる。
「俺は今、隊長から極秘の特別命令を受けているんだ。国王陛下の――」
「ダグラス・・・」
不意に、低いが迫力のある声がダグラスの言葉をさえぎった。ダグラスははっとして背筋を伸ばす。
「隊長!」
「あ、エンデルク様」
シグザール王室聖騎士隊の隊長にして“ザールブルグの剣聖”の異名をとるエンデルク・ヤードが、長い漆黒の髪をなびかせ、厳しい色を宿した黒い瞳で視線を向けている。
「ダグラス・・・。極秘命令は、他言無用をもって極秘というのだ・・・」
「はい! 申し訳ありません!」
エンデルクは口元にかすかな笑みを浮かべ、ダグラスと同様に硬直しているエリーを見やる。
「済まぬ。話が聞こえてしまった・・・。東の台地へ行くために、護衛が必要なのだな」
「は、はい」
「よかろう・・・。ダグラス、エルフィール嬢の護衛として、東の台地への同行を許可する」
「へ?」
エリーが目を丸くする。ダグラスも叫んだ。
「隊長!? それじゃあ、例の任務は――」
「極秘任務については、一時的に任を解く。帰還次第、再度、任務に就け」
「はい! 了解いたしました!」
そんなわけで、エリーとダグラスは、ひと月ばかりザールブルグを留守にすることになった。
だが、エリーが指示を変更するのを忘れたおかげで、ピコはその間、延々とカステラを作り続ける羽目になったのだった。

「ただいま〜! はああ、大漁大漁」
大きな採取かごを背負ったエリーは、意気揚々と工房のドアを開く。外門で別れたダグラスは「任務に戻らねえと」と、大急ぎで城へ向かった。
かごにはノルディスに約束した『宝石草のタネ』のほか、『幸福のブドウ』がごっそりと詰まっていた。
「やれやれ、と・・・。あれえ?」
どさりと床にかごを置いたエリーは、工房の一画に目を止め、あんぐりと口を開けた。
作業台の上に焚き木のようにうずたかく積まれた、カステラの山。そして台の下では、原料と精力を使い果たした虹妖精のピコが、丸くなって昼寝をしていた。
「あ、そうか。ピコに止めるように言うのを忘れてたんだ」
ぺろりと舌を出す。そして、常に前向きなエリーはつぶやいた。
「まあ、いいか。カステラの使い道はいくらでもあるしね。例のブドウ入りチーズケーキも作ってみたいし」
そのとき、エリーの帰宅を待ち構えていたかのように、ノックの音が響いた。
「は〜い、開いてま〜す」
ドアが開いた。マントで全身を包み、フードをかぶって顔を隠した、いかにも怪しげないでたちの男が入って来る。
「あ、あの・・・。どちら様でしょう?」
エリーは不安げに尋ねた。
「やあ、ぼくだよ」
フードを取り去ると、整えられた金髪に、穏やかで理知的な光をたたえた青い瞳の青年の顔が現れた。ザールブルグ市民で――いや、シグザール国民で、この顔を知らぬ者はいない。
「こ、国王・・・陛下・・・」
エリーは思わず直立不動の姿勢をとった。即位前、まだブレドルフが王子だった頃には、何度も街中でぶつかり、それが縁でシグザール城への通行許可証ももらった。また、即位直後には、ブレドルフ本人が工房を訪れ、エリーの功績をたたえて王家伝来の杖を賜ったこともある。だが、以降は直に接する機会も少なくなっていた。こんなに近くで顔を見たのは、リューネ姫との婚礼披露パーティー以来のことだ。王としての年輪を重ねたせいか、即位前に比べて一回り貫禄がついたようにも見える。
「いつも美味しいお菓子を作ってくれて、ありがとう。特に、あのチーズケーキは舌がとろけるほどの絶品だったよ」
シグザール王国第9代国王ブレドルフ・シグザールは、優しげな眼差しで、穏やかに言う。エリーはようやく緊張を解くと、あたふたと動き回る。
「あ、すみません、陛下を立たせたままなんて。えっと、この椅子におかけください――ちょっと染みがありますけど、だいじょぶです。それから、今、お茶を用意しますから。――ピコ、起きて!」
「ひえっ!」
飛び起きたピコが、作業台に頭をぶつけ、目を白黒させる。ブレドルフは笑いながら言った。
「いや、どうぞおかまいなく。用事が済んだらすぐに帰るからね。公務を抜け出して来たので、早く戻らないとモルゲン卿に叱られてしまう」
「はい? 用事って?」
「うん、美味しいお菓子のお礼も言いたかったのだけれど、それは本題ではないんだ」
そして、急に真顔になる。
「ぼくがこれから言うことは、絶対に外部に漏らさないでほしい。場合によっては、シグザール王国の存亡に関わる問題になるかもしれないからだ・・・」
「は、はい」
不意のことに、エリーは言葉を失う。
「実はシグザール城内で、ここしばらく、不思議な盗難事件が続いているんだ。犯人の手掛かりはない。騎士隊が捜査したが、すべて徒労に終わっている」
「そんな――!?」
「しかも、ぼくのごく身近でね」
ブレドルフは言葉を切り、くちびるをかんだ。そして、唐突に言う。
「エリー。シグザール城に滞在して、この事件を調査してくれないか?」
「へ!?」
エリーはすっとんきょうな声を上げた。
「でも、どうしてですか? 騎士隊にもお手上げだっていうのに、わたしなんかにわかるわけないですよ」
「いや、きみはもう、この事件に関わってしまっているんだよ」
ブレドルフは謎めいた言葉を口にした。エリーは無言で次の言葉を待つ。国王はひとりごとを言うかのように続ける。
「ぼくの直感なのだが、この謎を解ける者がいるとすれば、それは錬金術士なのではないかと思う。そして、きみはザールブルグでも屈指の錬金術士だ」
「そんな・・・」
「だが、きみが調査のために城へ来ていることが周囲に漏れても困る。自然な形で、きみが城内に入って、長期滞在できるようにしないとね。その段取りはぼくに任せてくれたまえ」
「あ、あの、よくわからないんですけど。盗難事件って、いったい何が盗まれたんですか? それに、わたしがもう事件に関わってしまっているというのは、どういうことなんですか?」
「うん、それはね・・・」
盗まれたものは宝石か、貴重な美術品か。いや、国の存亡に関わるということは、なにかの機密文書なのだろうか。エリーは緊張して言葉を待つ。
ブレドルフは真剣きわまりない表情で、エリーの目をじっと見た。
「盗まれたのは、きみが作ってくれたお菓子なんだよ。ぼくが夜食として楽しみにしているお菓子が、ここのところ、毎晩のように盗まれているんだ」


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