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〜「名探偵クライス」犯人当てクイズ当選プレゼント小説<kozue様へ>〜

国王陛下のメイド探偵エリー

甘い誘惑 [捜査篇] Vol.9


誘惑−12:奈落の対決

すれ違った聖騎士ですらびっくりして振り返るほどの足取りでずんずんと歩き、城の自室へ戻ったエリーは、心を落ち着かせるようにメイド服に着替える。
ひとつひとつゆっくりとボタンを留め、エプロンのしわを伸ばし、袖口を整える。襟元のリボンをきつく結び過ぎてせき込んだのはご愛嬌として、あらためてきりりとリボンを結び、髪をとかしてヘッドドレスを着ける。いつものように大鏡を覗き込むと、凛とした顔つきの完全無欠の(少なくとも見かけは)メイドがこちらを見返してくる。
これから、すべてを決するかも知れない対決に臨まなければならない。ここで足をすくませ、立ち止まってはならないのだ。そんなことでは、自分を信頼してくれたブレドルフに申し訳が立たない。事件を解決することもできないだろう。
あらゆる情報を書きつけてまとめたノートをポケットに入れ、「頼りにしてるわよ」というふうに、ぽんと叩く。
大きく息を吸い込み、吐き出す。何度も繰り返すと、心が落ち着いてきた。怯えてはならない。だからといって、意気込み過ぎて気合が空回りしてもならない。
国王の控えの間へ行くと、ブレドルフは昼の謁見を終えて休んでいるところだった。
「やあ、エリー、帰ってたのか。ヘートヴィッヒの招待は楽しかったかい」
気軽に声をかけるブレドルフに、エリーは真剣極まりない表情で迫る。
「陛下! お願いがあります。秘密情報部の場所を教えてください!」
「え? ああ、構わないけど」
「今すぐゲマイナーさんに会いたいんです! お願いします」
「ああ、うん、わかったよ」
ブレドルフは簡単な地図を描いて、渡してくれる。
「ありがとうございます! では――」
スカートの裾をひるがえしてきびすを返すエリーを、ブレドルフの声が追いかける。
「そういえば、僕の部屋のネズミ捕りになにかかかっているようなんだけど・・・」
「後で処理いたします!」
「あ・・・はい」
有無を言わせぬ迫力で言い返すと、ブレドルフはぽかんとしてうなずく。エリーは地図をたどって、シグザール城の最奥部に位置するゲマイナーの本拠――秘密情報部へ向かった。
通廊をずんずんと進んで行くと、曲がり角に立っていた聖騎士が呼び止める。
「こら、そっちはメイドが出入りするような場所ではない。戻りたまえ」
「ブレドルフ陛下の特命です! お疑いなら、陛下に直接お尋ねください!」
「あ・・・了解」
小柄なメイドの大きな栗色の瞳に燃える炎に、さしもの聖騎士もたじたじとなる。
角を曲がり、狭くなった薄暗い廊下を進んで行くと、なにやら子供が大勢で騒いでいるような声がかすかに聞こえてきた。
「へ?」
エリーの足が止まった。この声は、エリーにとってはとても馴染み深い。エリーの工房でも、よく仕事が終わった妖精たちが歌ったり回転ダンスをしたり、大騒ぎをしていたものだ。「友だちを呼びたい」と言うので許可したら、足の踏み場もないほど大勢の妖精が押しかけてきてお祭り騒ぎとなり、耐えられなくなったエリーは工房を逃げ出し、アカデミー寮のアイゼルの部屋に泊めてもらったこともある。 なぜシグザール城のこのような場所から、妖精の声が――それもひとりやふたりではない――聞こえてくるのだろう。
足音をしのばせ、エリーは廊下の端のドアに近付く。そこは確かに、ブレドルフが地図に描いてくれたシグザール秘密情報部のはずだった。
ドアをそっと押す。鍵はかかっていなかった。
ドアが開くと同時に、妖精たちの声がはっきりと聞こえてくる。
「待ってよ〜、まだ板を切っちゃダメだよ〜。ちゃんと寸法を測ってないんだから」
「オゥ、そんなことはどうでもいいじゃないか。ボクに任せておきたまえ」
「あ〜、釘を打つのはボクなんだから、トンカチ返してよ〜」
「ダメだよ〜。ピッケルが釘を打ったら、全部曲がっちゃうじゃないか〜」
「ヘイヘイ、設計図はバッチリだぜ、ベイベ」
「こんなの設計図じゃないよ〜、落書きだよ〜」
黒、茶、赤、橙、黄、緑、青、紺・・・と、あらゆる色の服を着た妖精が、部屋の片隅に集まって大騒ぎをしている。まるで妖精の森に来てしまったような雰囲気だ。
「どうして、こんなところに、妖精さんが・・・」
ゲシュペンストにつままれたような気分で、エリーはつぶやいた。
「オゥ、マドモアゼルじゃないか。手伝いに来てくれたのかい?」
茫然と見つめていると、紺妖精がエリーに気付いて、声をかけてきた。初日にシスカの執務室から案内してくれた、気障な語り口が特徴のピエールだった。
「あなたたち、こんなところで何をしているの?」
「フッ、聞きたいかい」
気取って胸を張るピエールの後ろから、カラフルな服の妖精たちがわらわらと集まってくる。
「あ、お姉さん、いらっしゃ〜い」
「メイドさんが来るなんて、珍しいね〜」
「ヘイヘイ、オイラと同じ色の服だな、ベイベ!」
「え〜? じゃあ、いちばんレベルが低いメイドさんなの〜?」
「バカだな〜、メイドさんのレベルは、リボンの色で決まるんだよ〜」
「そんなの嘘だよね〜。パコったら、知ったかぶりしちゃダメだよ〜」
「ねえねえ、なにかお話を聞かせてよ〜」
「いっしょに遊ばない〜?」
「え、ええと・・・」
張り詰めていた気持ちが、妖精との出会いでいきなり和んでしまい、エリーは口ごもる。もちろん、心の中は新たな疑問でいっぱいだ。ここが秘密情報部だとしたら、妖精がこんなにたくさんいるのはなぜなのか。ゲマイナーは妖精を使って何をしようとしているのか。
「まさか――!?」
妖精ならば、一瞬でどこにでも移動できる。壁があろうと物の数ではない。
「あなたたち、もしかして――」
ごくりとつばをのみ込んで、尋ねようとした時、背後から落ち着いた声がかかる。
「どうしたね。ベルを鳴らしてメイドを呼んだ記憶はないのだがね」
エリーは振り向く。もちろん、音もなく現れてそこに立っていたのは、杖をついた猫背で眼鏡の初老の男、秘密情報部長官ゲマイナーだった。
ゲマイナーはエリーを無視して妖精たちに向き直り、いらいらした声で言う。
「おまえたち、騒がしいぞ。まだ終わらんのか。言い出したのはおまえたちなんだから、早く作業を済ませてしまったらどうなんだ」
「は〜い」
「りょ〜か〜い」
「オゥ、わかっているさ。任せてくれたまえ」
「合点承知だぜ、ベイベ」
妖精たちは口々に答え、部屋の隅に戻っていく。そこには、何枚かの板や角材、釘、ロープに大工道具などが散乱していた。
ふんと鼻を鳴らし、ゲマイナーは言う。
「まったく、あいつらときたら・・・。自分たちが寝るための三段ベッドを作りたいと言うから、許可してやったんだが、騒ぐばかりでまったく進展が見られやしない。だが、まあ、仕事がない時の退屈しのぎにはちょうどいい。お互いにね」
「あの・・・仕事って?」
「部外者に、秘密情報部の任務を話すと思うかね?」
エリーに向き直り、ゲマイナーは眼鏡の奥から鋭い視線を向けた。
「あ、いえ・・・」
たじろいだエリーだが、ここで気圧されては肝心の質問ができないと思い直す。
「わたしは、そんなことを聞きに来たのではありません! ゲマイナーさん――」
「あいつらの仕事は、密偵さ」
ゲマイナーがぽつりと言う。
「へ?」
入れ直した気合をすかされ、エリーは一瞬、ぽかんとする。ゲマイナーは続けた。
「エルフィール、きみも錬金術士なら、妖精との付き合いは長いだろう。知っての通り、妖精はどんな長距離でも一瞬で行って帰って来ることができる。だから、シグザール王室では妖精の長老と長期契約を結び、偵察任務や緊急連絡に妖精を使っているのさ。かれらは雇用主の命令には絶対的に従うし、正直者だ。しかも目立たないし、愛らしい妖精には誰でも気を許す。密偵にはうってつけだ」
「そんな――!? そんなことに妖精さんを使うなんて――」
「密偵も、錬金術士の手伝いも、人間に仕え手伝いをするという妖精のビジネスに変わりはない。それに、かれらのもたらしてくれた極秘情報や迅速な連絡行動が、何度シグザール国民の命を救ってきたか、きみは知るまい」
「・・・・・・」
エリーは黙り込む。確かにゲマイナーの言葉には一理ある。
だが、ここで論じたいのはそんなことではない。肝心なのは、ブレドルフのお菓子盗難事件である。なぜ、ゲマイナーはエリーの特製クランツを自宅へ持ち帰ることができたのかということだ。
「ゲマイナーさん! わたしの質問に――」
「今も、シグザールの存亡に関わる密命を帯びて、紺妖精のペーターがグラッケンブルグに潜伏している。ドムハイトの状況は日々刻々と変化し、予断を許さないからな」
再び質問をはぐらかされ、エリーはいらつく。だが、ゲマイナーの言葉に気になる点もあった。
「シグザールの存亡ですか? ドムハイトで何が――?」
エリーは『飛翔亭』でディオから聞いた情報を思い出す。ドムハイトの現国王でリューネ王妃の実父にあたるフリッツ・シュタットが、狩りで落馬してけがをし、リューネも国許に呼び戻されたということだった。だとすれば、ゲマイナーが気にしているのはドムハイト国王の容態に違いない。国王にもしものことがあれば、大国ドムハイトだけに、国際関係にも大きな影響があるだろう。
「ドムハイトの王様は、そんなにお悪いのですか」
エリーが尋ねる。ゲマイナーは鼻で笑い、腹に一物あるような凄みのある笑みを浮かべた。
「ふん、フリッツ・シュタット王はぴんぴんしているよ。狩りでは大物を仕留めてご満悦だったそうだ」
「へ? それじゃ、けがをしたという話は?」
「『情報操作』という言葉を知っているかね」
ゲマイナーは淡々と語る。エリーは無言だ。
「われわれとしては、リューネ王妃がドムハイトへ帰ってしまったことに、もっともらしい理由をつけなければならなかったものだからね。ザールブルグの民衆には、ドムハイト国王がけがをしたという偽情報を流したのさ」
エリーははっと息をのんだ。ブレドルフと話をした際、リューネ王妃が帰郷したことに関して「街のみんなには、そういうふうに伝わっているのか・・・」と言っていたのを思い出したのだ。
「では、いったいなぜ・・・」
「言ったろう。シグザールの存亡――、いや、シグザールの未来に関わることなんだ。王妃が国許へ帰った真の理由を、絶対に、潜在的な敵対勢力に知られるわけにはいかない。陛下もストレスが溜まるのはわかるんだが・・・」
ゲマイナーは真剣そのものだった。他のことはどうあれ、彼の愛国心は疑いようがない。
「シグザールの存亡・・・、シグザールの未来・・・」
ぼんやりと考えていたエリーは、はっと顔を上げた。つい先日、工房の向かいの雑貨屋で一騒ぎあったことが思い出されたのだ。ほんの些細なことから、そこの主人とおかみさんが大喧嘩を繰り広げ、さんざんののしりあったあげく、おかみさんは荷物をまとめてザールブルグ近郊の村にある実家へ帰ってしまったのだ。主人は寂しそうに独りで店番をしている。
まさか、それと同じことが、国王夫妻に――!?
エリーが事情聴取した時も、ブレドルフはリューネ王妃の帰郷に関しては、あまり話したがらず、話題になるのを避けているように感じられた。なんらかの理由で国王夫妻にいさかいが起こり、激怒したリューネが国許に帰ってしまったのかも知れない。万一、ふたりの婚姻が破綻するような事態になったら、シグザールとドムハイトの関係は最悪の状態になってしまうだろう。そこにつけ込んで、他国がよからぬ陰謀を張り巡らさないとも限らない。
それを考えたら、ブレドルフのお菓子が盗まれたことなど、些細な問題かも知れない。ゲマイナーが満足な報告をよこさなかったのは、このような事情があったからではないか。
しかし――と、エリーは自分がここにいる理由をあらためて思い起こす。自分が国王に依頼されたのは、お菓子連続盗難事件の謎を解くことだ。
どうしても、ゲマイナーに問いたださなければならないことがある。
「ゲマイナーさん! どうしても答えていただきたいことがあります!」
エリーはきっとゲマイナーを見すえた。ゲマイナーの眼鏡の奥の瞳は、何の表情も浮かべていない。
「いいだろう。言ってみたまえ」
「今日、わたしはヘートヴィッヒさんの――あなたの奥様のところへお邪魔しました。その時、奥様が出してくれたお茶菓子は、間違いなくわたしのオリジナルレシピに基づいて作られた特製クランツでした。奥様は、旦那様――つまり、ゲマイナーさんがお城からお土産に持ち帰ってくれたクランツを手本にして、こしらえたとおっしゃいました。そのクランツは、わたしがブレドルフ陛下のために作ったものです。――なぜ、ゲマイナーさんが、陛下のお菓子を持ち帰ることができたんですか?」
エリーはノートを開き、事件の一覧表をゲマイナーに突きつける。
「わたしの調査によると、陛下のクランツが盗まれたのは4回です。そのうち3回は、ゲマイナーさんにはアリバイがありません。特に、今月17日の事件では、はっきりしています。お菓子が盗まれた時刻、ウルリッヒ様とエンデルク様はブレドルフ陛下ご自身と打合せ中、ダグラスは北の荒地で分隊を指揮して夜間訓練、シスカさんはわたしにテーブルマナーの特訓をしていました。全員、疑いようのないアリバイがあります。わたしの容疑者リストに載っている人で、この日の事件にアリバイがないのは、ゲマイナーさん、あなただけです。もしかしたら、お菓子泥棒の正体は――」
言い募るエリーに、ゲマイナーは右手を上げて制した。
「ああ、そのことか。あのお菓子は、俺が陛下からいただいたものだ。それを家内への土産にしただけのことさ」
「へ?」
「クランツと言うのだったかな? あのお菓子は、間違いなく、陛下から俺がいただいたんだ。きみが何を疑っているのかは知らないがね、こんなことで俺は絶対に嘘はつかないよ」
エリーはじっとゲマイナーの目を見つめる。「目を見れば、その人が本当のことを言っているのかどうかわかる」と、イングリドが言っていた。イングリドほどの眼力はないかも知れないが、エリーにもそれなりの経験はある。
エリーを見返すゲマイナーの視線は、微動だにしなかった。嘲りも、怯えも、怒りも、感情の動きは微塵も感じられない、静かな湖面のような瞳――。
エリーはいったん、折れた。
「わかりました。では、陛下に確認してみることにします」
「そうだね、俺もそれを勧めるよ」
ゲマイナーは口元にかすかな笑みを浮かべる。
「ですが――!」
相手が一瞬、気を抜いたと見てエリーは反撃に出た。
「この事件の場合、アリバイに意味はないのかも知れません。どなたかの指示で、あそこにいる――」
エリーは部屋の向こう側で相変わらずの大騒ぎを演じている妖精たちを指した。
「妖精さんの誰かが、陛下の留守を狙って部屋に入り込み、お菓子を持ち去ったとすれば――」
再び、エリーはゲマイナーを見すえた。だが、ゲマイナーの表情は変わらない。
「なるほど、面白いことを考えるね、きみは・・・。では、あの妖精たちに訊いて、確かめてみてはどうかね。グラッケンブルグにいるペーターを除いて、秘密情報部が雇用している妖精は全員揃っている」
「いいんですね」
「ああ、構わんよ。きみも知っているはずだが、妖精は嘘がつけない。質問してみれば、はっきりするはずだ」
自信たっぷりのゲマイナーの態度が気になったが、エリーは意を決して妖精たちのところへ歩み寄った。
「ねえ、ちょっと教えてくれる?」
「うん、いいよ〜」
「あなたたちの誰か、ブレドルフ陛下のお部屋から、お菓子を黙って持ち出したりしたことはある?」
「え、知らない〜」
「うん、そんなことしないよ〜」
「ヘイヘイ、お菓子があるなら、そう言ってくれよ、ベイベ!」
「フッ、そんな泥棒みたいな真似を、ボクたちがするはずがないだろう」
妖精たちの答えは様々だったが、全員がきっぱりとお菓子泥棒を否定した。妖精という種族をよく知っているだけに、エリーは信じざるを得なかった。
「どうかね、納得したかね」
「・・・・・・」
しぶしぶ、エリーはうなずいた。ゲマイナーは勝ち誇った素振りも見せず、
「きみと話をするのは、なかなか面白い。また、気が向いたら遊びに来たまえ。歓迎するよ」
それは、要するに「用が済んだのなら帰れ」という意味だった。
ゲマイナーはくるりと背を向け、妖精たちに向かって怒鳴る。
「こら、おまえたち、めいめい自分勝手なことばかりやっていたら、いつまでたっても三段ベッドなどできんぞ! みんなで協力してやらんか!」
自分の推理を打ち砕かれ、悄然と部屋を後にするエリーの背後から、ゲマイナーの怒鳴り声がかすかに響いてくる。まるで、自分の無能さを怒鳴られているような気分だった。

エリーはすごすごと部屋へ戻る。
いつの間にか、日は傾いており、ブレドルフは午後の謁見を終えて控えの間に戻ってきていた。エリーの様子を見て、心配そうに声をかける。
「エリー、大丈夫かい? なんか、すごく疲れているみたいだけど」
「いえ、大丈夫です」
エリーは、ゲマイナーの言葉を確認しようと、口を開く。
「陛下、わたしが作ってお届けしたお菓子を、ゲマイナーさんにあげたことがありますか?」
ブレドルフは軽く首をかしげる。
「ええと、どうだったかな・・・。たぶん、あったと思うよ。余ったお菓子をシスカやゲマイナーに分けてあげたことはある。エンデルクやモルゲン卿は甘いものは食べたがらないからね。ゲマイナーも本人はお菓子嫌いだが、奥方のヘートヴィッヒが好きだから――」
「その中に、クランツはありましたか?」
「ああ、たぶん、あったんじゃないかな。よく覚えていないけれど。クランツやマシュマロは数が多かったから、分けてあげやすかったんだよ。チーズケーキだけは、貴重品だから誰にも渡さなかったけれどね」
ブレドルフは軽く笑った。
「そうですか・・・」
エリーは肩を落とした。確証が得られたとは言えないが、ゲマイナーがブレドルフからクランツを分けてもらって家へ持ち帰ったことは事実のようだ。
「あの、エリー・・・。本当に大丈夫かい」
「陛下、申し訳ありません。今日は、休ませていただいてもよろしいでしょうか」
「あ、ああ、もちろんだよ。顔色が良くない。誰かに言って、薬を持って来させようか?」
「いえ、その必要はありません。一晩寝れば、良くなると思います」
ブレドルフを心配させないようにそうは言ったものの、エリー自身は絶望の淵に沈んでいた。
部屋へ戻り、のろのろと着替えると、ベッドに倒れ込む。
何もかも投げ出して、帰ってしまいたかった。ブレドルフの期待を裏切ることになってしまうが、いつまでも期待をさせておくのは、もっと悪いことだろう。
とにかく眠ってすべてを忘れてしまいたかったが、事件のことが頭の中をぐるぐる回り、まったく眠りにつけない。輾転反側しているうちに、日はとっぷりと暮れ、昼番と夜番の騎士隊は交代し、月が昇り、城の人々も寝室へ引き取って、明日に備えて眠りにつく。
だが、エリーはいまだに眠れずにいた。
城へ来てから体験した様々な場面が、断片のように心に去来する。
シスカとの面接、ブレドルフからの事情聴取、メイドとしての日常、エンデルクとの会話、クランツの盗難、金髪の聖騎士の奇妙な行動、ゲマイナーとの出会い、チーズケーキを味見するダグラス、深夜に現れたヴィント前国王、ヘートヴィッヒとのお茶会、秘密情報部でのゲマイナーとの対決・・・。
何度も同じ場面が脳裏によみがえっては、ぼんやりと消えていく。まるで、いつまでも完成することのないジグソーパズルのピースのように・・・。
疲れ果てたエリーは、ついにうとうととまどろみ始めた。
その時、あるひとつの言葉が、空白になった脳裏にくっきりと浮かび上がる。
「――えっ!?」
エリーは布団をはねのけ、身を起こした。
「まさか――!?」
浮かび上がったピースがかちりとはまりこむ。すると、次から次へと、情報をはめこむ正しい位置がわかり、パズルの全貌が明瞭に見えてくる。
エリーは夢中でランプに火を入れ、ノートを取り出して、書かれた情報をなめるように確認していく。たった今、浮かんだ推理に、矛盾する点は出てこない。
(でも、こんなことって・・・)
そのようなことが、ありうるのだろうか。
しかし、あらゆる矛盾を排除して最後に残ったものこそ、どんなに信じられないようなものでも、それが真実であると、誰かが言っていたではないか。
エリーは、考え続けた。

翌朝、ブレドルフが起きてくると、凛とした表情で、完全無欠なメイド姿のエリーが待っていた。
「陛下――。謎が解けました。・・・いえ、解けたような気がします」


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