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〜「名探偵クライス」犯人当てクイズ当選プレゼント小説<kozue様へ>〜

国王陛下のメイド探偵エリー

甘い誘惑 [捜査篇] Vol.8


誘惑−11:優雅なティータイム

「うわあ、すごいなあ・・・」
きょろきょろ見回すのは無作法だと思いつつも、エリーはわれ知らず、室内のあちこちに目を向けていた。
テーブルクロスやティーセット、自分がかけている椅子、マントルピースに置かれた小さな彫像や壁にかけられた風景画に肖像画、豪奢なタペストリー、天井から下がったクリスタルのシャンデリア――どれを取っても、ザールブルグで手に入る最高級のものだろう。しかも、ごてごてと飾り立てたようなおしつけがましさは微塵も感じられない。洗練された美的感覚の持ち主が細心の注意を払って選りすぐり、計算しつくして配置したように見える。装飾のひとつひとつが確固たる自己主張をしながらも、部屋全体に高貴なる美をもたらす一部として機能し、完璧な調和をかもし出している。
これこそが、まやかしやまがい物が入り込む余地のない、真に贅を凝らした貴族のティールームなのだろう。
自分ひとりが場違いなような気がして、エリーは落ち着かない気分だった。
「お茶の用意をしますから、楽にしてお待ちになっていてね」
緊張して玄関のノッカーを叩いたエリーを自ら出迎えたヘートヴィッヒは、ティールームに案内すると、そのまま奥へ消えていた。
ここは、シグザール城から街路をひとつ隔てただけの敷地に建つ、こじんまりとした屋敷である。城塞都市ザールブルグは、北部に王城があり、中央広場を隔てて東側はアカデミーやフローベル教会、『職人通り』といった産業の中心地となっている。反対に西側は貴族の邸宅が並ぶ高級住宅街だ。エリーが招待された屋敷は、その西側の屋敷町の最北端にあった。ローネンハイム家やワイマール家など、築百年以上という大邸宅に比べると、まだ建ってからさほどの年数は経ていないように見える。
昨夜の講義『貴族に好感を抱かせる話題と話し方』を受けている間も、エリーは沈んでいた。盗難事件の思わぬ展開に悩み、講義にも身が入らない。そんなエリーの様子を見かねて、慰めようとお茶に招待してくれたのが、この日の講師を務めたヘートヴィッヒだった。高貴な血筋と育ちを感じさせる、この初老の女性貴族は、ザールブルグ屈指の家柄を誇るマクスハイム家の出身だという。しかも、若い頃には錬金術士と親しく付き合っていたそうで、錬金術にも理解が深かった。エリーの本業が錬金術士で、アカデミーの実地研修でメイド修行をしているのだと知ると、久しぶりに錬金術の珍しい話を聞きたいと思ったのだそうだ。
「あまり気を遣わず、普段着でいらしてくださいね」
ヘートヴィッヒはそう言っていたが、エリーにはほとんど選択の余地はない。貴族の屋敷を訪問するのにふさわしいドレスなど持っていないし、メイド服で行くのは失礼だ。第一、そこの屋敷で働いているメイドと区別がつかなくなってしまうだろう。となれば、選択肢はひとつだけ――錬金術士としての正装しかない。
そんなわけで、エリーは久しぶりに、着慣れたオレンジ色の錬金術服に輪っかの帽子をかぶって、ヘートヴィッヒのお気に入りというティールームに座っていた。
「お待たせしてしまって、ごめんなさいね」
ヘートヴィッヒが現れた。湯気の立つティーポットを手ずから持っている。
「あ、そんなこと、わたしが――」
自分でティーカップにお茶を注ごうとするヘートヴィッヒに、エリーが腰を浮かせる。だが、ヘートヴィッヒは穏やかに微笑んでやんわりと断った。
「いいのよ。今日のあなたはお客様なのですもの」
「はあ、でも・・・」
ふと、エリーはいぶかしむ。まだ、この屋敷に足を踏み入れてから、メイドや使用人の姿をひとりも目にしていない。貴族の屋敷だというのに、使用人は誰もいないのだろうか。普通ならば、メイドがお茶の用意をして運んでくるのではないか。
「あの、失礼なことをお尋ねするかもしれませんが――」
おそるおそる、そのことを口に出すと、ヘートヴィッヒは気を悪くした素振りも見せず、微笑む。
「まあ、正直な方ね。もちろん、使用人はいますよ。夫の方針で、あまり多くは置かないようにしていますけれど。もちろん、お屋敷としては小さいとは言っても、これだけの建物ですから、維持するためにはそれなりの使用人は必要です。でも、家事でも何でも、自分でできることは、なるべく自分でやるようにしているの。これも、夫の考え方なのですけれどね。頭と身体を適度に動かして生活していれば、歳を取ってもボケなくて済むそうなのよ」
「はあ・・・」
先夜の夜中に見たヴィント前国王の姿を思い出して、エリーは顔をくもらせた。ヘートヴィッヒが心配そうにエリーを見る。
「あら、大丈夫? 顔色がすぐれないわ。気分が悪いのなら、ベッドで休んでも構いませんのよ」
「い、いえ、大丈夫です。お気遣い、ありがとうございます」
「さあ、召し上がって。気分がすっきりして、元気が出る薬効のあるハーブティーよ」
「はい、いただきます」
エリーは、参考書に出ていたことやシスカに特訓されたテーブルマナーを思い出しながら、カップのお茶をすする。ミスティカのようなさわやかな香りとほのかな甘み、心まで温めてくれるようなぬくもりが胸に広がった。
「美味しい・・・。こんな美味しいお茶、始めてです!」
「ふふふ、お気に召して良かったわ。夫があちこちから手に入れたお茶の葉を、わたくしがいろいろと試してブレンドしたのよ」
「そうなんですか!? あの・・・ぜひ、レシピを教えてください!」
「まあ、あなたはやっぱり錬金術士なのね。いいわ、後でメモを差し上げるわ」
ティーテーブルに向かい合って椅子にかけたヘートヴィッヒは、楽しそうに微笑んだ。緑色を主調としたゆったりしたドレスをまとい、アクセサリーらしいものはネックレスだけしか身につけていない。だが、ネックレスにあしらわれた宝石は、一粒あれば何年も遊んで暮らせる価値があるものに違いない。豊かな金髪はしっとりと落ち着いた感じで束ねられ、整った気品ある顔立ちの中で、エメラルド色の瞳が生き生きと輝いている。
「このお茶は、ヴィント陛下やカーテローゼ様もお好きなので、よくお城へお持ちして、一緒にお茶会をしたりしているのよ」
「へえ、そうなんですか」
エリーはふと、好奇心を抱く。なにか情報が得られるかもしれない。
「ヘートヴィッヒ様は、王室の方々と親しくしていらっしゃるのですか」
「ええ、そうね」
遠くを見るように、ヘートヴィッヒは窓の外に目をやった。そこからは、シグザール城の一部が秋の澄んだ青空を背景にそびえているのが見える。
「若い頃は、ただ貴族の一員としての形式的なお付き合いしかしていませんでした。でも、結婚して、夫がお城で働くようになってからは、やはりヴィント陛下やカーテローゼ様と接する機会も多くなったの。特にヴィント陛下が退位されてからは、おふたりの話し相手になりに、よくお邪魔しているわ」
「最近も・・・ですか?」
「そうね。先月の初旬は、天気が良くて秋の月がきれいでしたから、日が暮れると、毎日のようにこのお茶を持って、おふたりの私室にうかがっていたわ。テラスへ出て、名月を愛でながらお茶を飲んで、夜遅くまで話をしていたものよ。10日くらい続けてお邪魔して、夫からはいい加減にしろと叱られてしまったけれど、ヴィント様やカーテローゼ様がぜひにとおっしゃるのですもの、仕方がないわよね」
「そうなんですか・・・」
「あら、ごめんなさい。わたくしばかりおしゃべりしてしまって」
考え込むエリーの姿に、気を悪くさせたと思ったのか、ヘートヴィッヒは申し訳なさそうに謝る。そして、
「ねえ、あなたはいろいろな場所へ旅をしたり、珍しいものを作り出したりして来られたのでしょう? よろしかったら、お話を聞かせてくださらない?」
「あ、はい、もちろんです!」
まだ尋ねたいことはあったが、ヘートヴィッヒの気遣いを無にするわけにはいかない。
エリーは思いつくままに、錬金術士としての体験談を話していった。工房の手伝いをする妖精のかわいらしさ、ヘウレンの森で吸血鬼と対決した怖ろしい思い出、ヘルミーナの幻覚剤のせいで親友のアイゼルがしっぽと猫耳のある赤ん坊になってしまった夢を見たこと、アイゼルと訪れたケントニスで先輩のマルローネに本当に猫耳になる薬をかけられてしまったこと、ザールブルグを騒がせた偽デア・ヒメル事件のこと、遠い東の国からやって来たちょっと変わった幽霊のこと――。
少女のように目を輝かせて耳を傾けるヘートヴィッヒに、エリーの話も興が乗る。胸の奥にわだかまっている盗難事件のことも忘れ、何杯もハーブティーをお代わりしながら、身振り手振りに声色まで交えて話し続けるうちに、いつの間にやら正午となり、フローベル教会の鐘の音が響き渡った。
「あら、もうこんな時間?」
ヘートヴィッヒが立ち上がる。
「お腹が空いたでしょう。ちょっと待っていらしてね。お茶菓子を用意してありますから」
「あ、どうぞお構いなく」
とはいえ、熱を込めて独演会を演じていたエリーは、そろそろエネルギー切れになりそうだった。
ヘートヴィッヒは皿を載せたトレイをいそいそと運んでくる。
「さあ、どうぞ。お口に合うかどうかわかりませんけれど」
「あれ? これって――?」
「お客様がみえるから、今日は早起きして作ってみたのよ」
「へ? これ、ヘートヴィッヒさんのお手製ですか?」
「そうなの。若い頃、なにか面白いことはないかと思って、暇つぶしに料理を始めたの。最初はミルクパンとフライパンの区別も付かなかったけれど、続けるうちにどんどん面白くなっていったわ。料理長に教わったり、自分でいろいろ研究したりしてね。中でもいちばん熱中したのはお菓子作りだったわ。夫はあまり甘いものが好きでないものだから、作りすぎてしまうと、妹に渡して、フローベル教会の孤児院の子供たちに食べてもらっているの」
「はあ、妹さんって・・・?」
「末の妹のエリザベートが、エルザという名前でフローベル教会でシスターをしているのよ」
「ええっ、エルザさんとヘートヴィッヒさんって、姉妹だったんですか」
エリーが目を丸くする。フローベル教会にも出入りしているエリーは、気風がよく面倒見のいいシスターのエルザをよく知っていた。ちゃきちゃきの下町言葉のエルザと、見るからに上品なヘートヴィッヒとが姉妹だとは、にわかには信じられない。
だが、もっと信じられないことがあった。目の前の皿に載っている、ヘートヴィッヒの手作りだというお菓子である。ふっくらとキツネ色に揚がったお菓子には、粉砂糖とモカパウダーがたっぷりとふりかけてある。しかも、どうやら中になにか入っているようだ。
「あの・・・。いただきます」
内心の動揺を抑えつつ、シスカに教わった上品な仕草で、ナイフを入れる。すると、カスタードクリームがあふれ出した。
切り取った一切れをゆっくりと口に運び、かみしめる。
微妙な違いはあるが、この口当たりと味付けは、間違いない。
これは、エリー自身が開発したレシピだ。なぜ、エリーのオリジナルの特製クランツが、ここにあるのだろうか。
「ええと・・・。このお菓子、クランツですよね」
エリーは慎重に探りを入れる。もしかしたら、思いもかけぬところで、重大な手掛かりにぶつかったのかもしれない。ヘートヴィッヒは嬉しそうにうなずく。
「ええ、そうよ。普通のクランツと違って、中にクリームを入れてみたの」
「あの、それって、ご自分で思いついたんですか」
「いいえ、違うわ。先日、夫がお土産に持って帰ってくれたクランツの真似をして、作ってみたの。時々、夫はお城からお菓子を持ち帰ってくれるのよ」
お城――この言葉に、エリーの背筋に電流が走った。ここからが核心だ。
「あの・・・、失礼ですけれども、ヘートヴィッヒさんのご主人って・・・」
「ええ、さっきも言ったように、シグザール城に勤めているのよ。でも、あなたがたメイドの前には、なかなか姿を見せないかも知れないわね。もっとも、本人は『俺はシグザール城に勤めているメイドの顔と名前は全部知っているんだ』といばっていますけれど。本当に、子供みたいなところがあるんだから」
頬を赤らめ、恥ずかしそうにヘートヴィッヒは微笑む。
今の言葉で、エリーにはヘートヴィッヒの夫が誰なのかわかった。つい先日、同じ言葉を初対面のエリーの前で豪語した男――。シグザール秘密情報部長官ゲマイナーその人だ。
シグザール城内に特製クランツがあれば、それはエリーがブレドルフのために作ったものだけだ。少なくとも、エリーの特製クランツをゲマイナーが自宅へ持ち帰ったことは確かだ。では、ゲマイナーはそれをどこから入手したのだろうか。
湧き上がる興奮と疑念を押し殺し、クランツを食べ終わると、エリーは歓待を感謝していとまごいをする。
「あら、もう帰ってしまうの? もっといろいろなお話を聞かせていただきたいわ」
「いえ、あまり帰りが遅くなると、陛下やレディ・シスカに叱られてしまいますから。また今度、お邪魔させていただきます」
引き止めるヘートヴィッヒに、エリーは礼儀正しく答えた。
「そう、残念ね・・・。でも、とても楽しい時間を過ごさせていただいたわ。どうもありがとう。ぜひ、またいらしてね」
「はい、こちらこそ、美味しいお茶とお菓子をありがとうございました」
エリーは、来た時とはがらりと変わった元気な足取りで帰って行く。
見送ったヘートヴィッヒは、微笑みながら思った。
(良かったわ、あの娘、すっかり元気になってくれて・・・)
エリーが元気を取り戻した本当の理由には、ヘートヴィッヒも思い当たるはずがなかった。


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