《父の言う 誰のお陰が 胸を刺す》

 親の心子知らずと言われていますが,そのことをしみじみと実感することがあります。落ち着いて考えると無理もないことで,子どもは親になったことがないので,親のことが分かるはずがありません。私たちにお年寄りのことが分からないのと同じです。
 親は子どもに「誰のお陰で」という言葉を投げつけることがあります。そんなとき子どもからは「頼んではいない」という言葉が返ってきます。父親が辛い仕事を我慢できるのは,連れ合いや子どものためと思えばこそでしょう。その辛さを分かってくれないとつい情けなくなり,また腹立たしくなるのもうなずけます。ところが,子どもの身になれば事情は変わります。親が自分のために苦労していると言われたら,そこに自分が親には重荷になっている,自分が親の邪魔ものになっているということを感じ取ります。ですから,重荷になることに忍びなくて,頼んでいないとわざと親を突き放そうとします。苦労とは人に押し付けるものではなく,自分の中にさりげなく抱え込むものです。親の後ろ姿を見せるということは,苦労を見せることとは違います。
 親に苦労をかけたくないとか,心配をかけたくないと子どもに思わせようとしては,どちらが親か分からなくなります。いじめられても親に心配をかけまいと胸の奥に抱え込むことになります。子どものことは親には何の苦にもならないと信じさせることが親の務めでしょう。ただそこにつけこむような甘えん坊が育つのは頂けませんが・・・。
(リビング北九州掲載用原稿:96年9月)