《喜びは 言葉の背なの 思い触れ》

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 今号は情報の流布と備忘録のつもりで書き留めておくことにします。
 「ぞうさん ぞうさん おはながながいのね そうよ かあさんも ながいのよ」
 この歌詞に秘められた作者の思いをきちんと受け止めておきたいと思いました。

 歌詞を前後半の二つに分けてみます。前半は人間の子どもが子象に語りかけています。この地球上に,象さんのように鼻が長い動物はいません。「お前は鼻が長いな」と言われたら,「お前だけ変わっているな」「お前はかっこ悪いな」と言われていることにもなります。つまり子象は差別的な悪口を言われているのです。わざわざ鼻が長いと言っているのは,いじめになります。子象はいじめと受け止め,反発をするしかありません。
 ところが,歌詞の後半で,子象は「そうだよ」とごく自然に受け止めて「母さんも長いのよ」としっかりと言い切っています。一番好きな母親と同じ体型であることを喜び,誇りさえ持っているようです。作者である詩人のまどみちおさんは「このゾウがかねがね,ゾウとして生かされていることを幸せに思いありがたがっているから」と語っていたそうです。ゾウに限らず全ての動物や植物,自然のものは全て,特徴としての個性を持ち合わせ,命を持たされているという考え方です。
《参照=西日本新聞:2019.6.7:風向計》


 いじめに対する自己抑制を促すきっかけになる言葉を探していて,以前に出会った言葉も象さんが登場します。「象さんはキリンを笑わない」という言葉です。鼻が長い象さんは,首の長いキリンさんを変だと言って笑ったりしないという気付きへの誘導です。自分が持ち合わせていない特徴をどう受け止めるかということが問題です。象さんが首の長さを備える必要はなく,かえって不都合になるでしょう。もちろん鼻の長さは必須です。それぞれに相応しい特徴はそれぞれに大事なものであり,それぞれに尊重し合うことで,同じ命の共感を保つことができます。
 象さんは鼻が長い,そういう認識はごく普通でしょう。ただ,暗黙の了解にしておけばいいのに,わざわざ象さんに向かってそれを突きつけることは,どこか不自然です。それが差別的なニュアンスを醸し出してしまいます。自分のことはいいのですが,相手のことについて触れるときには,配慮した方がよいようです。

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(2019年06月09号:No.1002)