家庭の窓
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かつて,オアシス運動というものがありました。あいさつの実践を奨励する活動で,「おはよう」「ありがとう」「失礼します」「すみません」というあいさつのそれぞれの最初の一文字をつなげたものでした。インターネットの時代になって,責任転嫁や言い逃れを表すスラングとして,おあしす運動と呼ばれるものがあるそうです。「俺じゃない」「あいつじゃないの?」「知らない」「すんだこと」ということのようです。二番煎じは品質低下をするようです。
一連の言葉の最初の一文字をつなぐというメッセージは,いろんな場で使われています。特に,何かを啓発する場合に覚えやすいというメリットが利用されます。先日のテレビ放送で目にしたのは,ひまわりに準えてものでした。通学路の危険箇所を意識させるメッセージです。「ひとりになる」「周りから見えない」「分かれ道になる」「利用されていない空き家や公園」でひまわりということです。
から衣きつつなれにし妻しあれば はるばる来ぬる旅をしぞ思ふ という句では「かきつばた=杜若」となります。和歌の、初句、二句、三句、四句、結句の頭の音を続けて読むと、意味のある五音の言葉になっている歌を、「折句(おりく)」と言うそうです。その目線でみると,古池や蛙飛び込む水の音では,句の頭を拾って読むとフカミとなるというのです。芭蕉がそんなことを考えて詠んだのではありませんが、結果としてはそうなっています。
『笑点』の大喜利で「あいうえお作文」というのをやっているのを観たことがあります。言葉は「あいうえお」だったり「ありがとう」だったりしますが,用意した単語の頭文字を一文字ずつ取って内容のある文を作るというあそびです。日本語の文章では,助詞が後ろに付くので,頭の字を揃えることになります。探偵小説では,旧いですね,隠されたメッセージとしての暗号によく使われていました。
何らかのメッセージを覚える際,いくつかの内容を覚えることが必要なものがあります。例えば4つの内容があるということは覚えているのですが,どうしても一つを思い出せないことがあります。そのとき,頭文字をつないだ言葉があると,最初の一文字が記憶を引き出す助けになります。最近聞いた通学路の危険箇所を思い出そうとしたとき,やはり一つを思い出せなくなりました。ひまわり,という誘導が役に立ちました。記憶の引き出しには連想が利用されますが,意味のある頭文字も,一種の連想の道具です。
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