《喜びは やるべきことが 見えるとき》

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 十年一日のように続いている活動について,その構成内容の割合を年毎に並べてみました。グラフにすると,右上がりや右下がり,平坦な推移が浮かび上がってきます。その変化が活動の趣旨に照らして望ましいかどうかという判断が必要になります。そこで,自分たちがしている活動の目的は何であったのかと問われることになります。目先のことに追い回されていると,自分が何をしているのかを置き忘れてしまいます。そのためにも,長い時間での振り返りが必至です。
 変化を判断するための視点はもう一つあります。活動は,ある事柄に対する対応という形になっています。類型化すれば,ある入力に応じた出力をするということです。つまり,変化が入力の変化によるものか,出力の仕方に変化が出ているのか,見極めることが初めにすべきことになります。社会的な活動であれば,世の中が変わったからか,自分の対応に変化が生じたのか,という見極めです。おそらく事柄に応じて違うのでしょうが,他の情報を参照することによって,変動要因の軽重を推察することができるでしょう。
 個人的な事柄でいえば,状況の変化は,他人を含めた環境のせいか,自分の対応力の変化によるものか,ということです。ことが起こった理由を,人のせいにするか,自分のせいにするか,という葛藤が起こるのと同じです。責任を問われる場合には,人のせいにしたくなりますが,それは通らないでしょう。社会活動にはついて回る考察指標です。
 自らの対応を改めて社会の変化に追随した方がよいのか,対応する価値を見限って撤退した方がいいのかという選択をしなければなりません。通常は,活動の目的に拠りますが,活動の継続に価値があるなら,自らの対応を社会変化に沿わせるしかない方が多いでしょう。その際には,社会がどのように変わったのかを見極め,その部分への対応を改める方策を考えることになります。
 このようなコメントはいくら申し立てても,ことは進みません。具体的な活動を設定し実践することが必要です。そのためにグラフが役に立ちます。あるべき変化と比べて外れている部分が,今何をすべきかを示唆しているからです。闇雲に考えていては,ああでもないこうでもないと,迷走するばかりです。船頭多くして船山に登るという事態を招きます。今どこにいるかという状況把握をしなければ,踏み出す一歩の向きは決まりません。目的に向かって歩き出すには,現在地を把握することが必至なのです。
 地道な活動に関する数字を並べていくと,向き合うべき道筋が現れてきます。何かが見えてくる,そのときに明日が明瞭なイメージとして現れてくる喜びがあります。

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(2019年06月30号:No.1005)