《喜びは 我が振りの先 見えるとき》

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 人の振り見て我が振り直せ,という言葉があります。直せというのですから,人のいけない振る舞いを見て,そのいけないことに気付いて,自分もしているいけない振る舞いを直す契機にしてはということでしょう。人は誰でも至らなさを抱えているけど,自分の至らなさには気付かないという弱さを持っています。ところが,人は他人の至らなさにはよく気が付きます。そこで止まって,他人を誹謗するのが凡人です。名人になるような人は,その気付きを自分に向けて,至らない自分を直します。
 自らが虐待を受けた経験がある人は,親になったときに虐待をしてしまう傾向があると言われます。虐待の連鎖です。自分が受けた虐待の辛さを,我が子には与えないという経験の直しが難しいことなのでしょう。しつけといいながら,子どもの至らないところに気づき,直すようにしつけをします。子どもに至らないところ探しをしつけているので,大人になっても他人の至らないところ探しを,普通にするようになります。ネットでの至らない人捜しにつながっていきます。
 子どもの至らなさは,巡り巡っての親の真似です。そこに気付けば,親が直せば子どもの至らなさは解消します。子の振り見て親の振り直せ,なのです。結果として,親が振りを直せば子の振りも直るのです。
 人の振りには,至らない振りばかりではありません。素敵な振る舞いもあります。人がしている素敵な振りを見て,自分も素敵な振りに直すということもありです。ところが,人には他人の素敵な振りを認めたくないという劣情があります。素敵な振る舞いをする人のあるはずもない下心を見透かそうとします。その嫌らしさに気付かないふりをして,自分は人間通であると自賛をすることもありそうです。本当に嫌らしい人は,素敵な振りをしてみせるという偽りもできるでしょう。詐欺師のように。
 人はつきあう人によって,影響を受けます。意識しないままに,人の振りを見て我が振りを直しているから,類は友をよぶ,朱に交われば赤くなるなどと言われています。今のような情報社会では,身近につきあう人はいなくなり,不特定多数の人とつなっがっているような感じになっています。そのつながりの中の人の振りはどのようなものになっているのでしょう。人の振りを見て我が振りを直せているのか,ただ人を責め立てているだけで終わっているのか,まずは我が振りを見えるようになりたいものです。

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(2019年07月07号:No.1006)