《ふつつかが ふつつか育て 嫁に出す》

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 夕方のある番組で,片づけられない主婦というコーナーが取材され,家の中の片づける前と後の様子が放映されています。足の踏み場もないほど物が山積みに散乱している様子は,嘘だろうというほどの代物です。片づけなくても苦にならない感覚は信じられません。ご亭主は「何とかしろよ」と言うそうですが,一向に聞く耳を持たないようです。子どもがいる家庭では散らかるのも仕方がないと諦める向きもありますが,子どもの机周りがきちんと片づいているのが,皮肉です。
 昔の姑の目から見れば,何というだらしなさと叱られることでしょう。こんな娘を育てた親の顔が見たいものと思われたはずです。今の姑の立場は微妙です。自分が嫁の時に言われて辛い思いをしたから,嫁には言わないようにしようと遠慮しています。ところが,ご同輩の親が育てた娘さんを嫁に迎えると,まるでしつけられていません。いくら何でもという気持ちからアドバイスをしてみても,親にも言われたことがないと開き直られてしまいます。仕方なく息子のためにと手出しをしようものなら,当てつけがましいと実家にご注進されてしまいます。こんなはずではと辛い立場を嘆くだけです。
 嫁の立場からはそれなりの反論も出てきます。昔と違って女性も社会参加をしており,自分の生き方を貫くことがいいことだと育ってきました。専業主婦ではない以上,家庭のことは二の次になっていかざるをえません。家庭に精力を使うより,仕事に情熱を傾けた方が自己実現につながりますし,何より自分の財産を殖やすことができます。
 このようなステレオタイプな論戦が繰り広げられているでしょう。そして結論は,生き方の違いであり,本人が選ぶことだから,好きにしたらいいんでは,とお手上げ状態になるはずです。もっとも,「いまどきの若い者は」という繰り言は,有史以来の人類の宿題ですから,そう簡単には解けないはずです。先送りするしか手はないでしょう。忘れていました。夫が片づけ上手になればいいのですよね。
 フロイトが「文明が進むほど家庭は崩壊するだろう」と予言していますが,家庭の有用性は消えていき,人にとって家庭は重荷に変貌しているのかもしれません。愛する者が共に暮らしたいという欲望が家庭を産み出しましたが,愛するからこそ暮らしの雑用など無用という恋人感覚が重みを持ち始め,好きなときに会えればそれが一番という形になりつつあります。夫婦であるよりは愛人関係です。離婚が増えている背景には,愛人であることには必ず飽きが来るという本性が見え隠れしています。
 権兵衛が種まきゃカラスがほじくるという構図を面白がる生活は,廃れてしまったのでしょうか?

(2002年03月03日号:No.101)