《喜びは 時代の変わり 見えてきて》

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 世間における高齢者の立場は気になる状況です。○○詐欺という収奪に会い続けています。なけなしの蓄えをごっそりと持ち去られています。キャッシュレスが進んで,カードをだまし取るという手法が現れています。詐欺の犯罪が起こっているという知識が行き渡っている中で,詐欺グループを捕まえたら,あなたのカードが危険になっているようだと,正義の味方が教えてくれます。信用して,カードを安全化する詐欺に遭っています。何かおかしいと思ったら警察にと言う啓発がされていますが,おかしいと思わせないのが詐欺です。
 高齢者の運転が危険というイメージが醸し出されています。高齢者は免許を返納しなさいという世間の要請が湧き上がっています。身体能力の衰退があるので,個々の状況に応じて,運転を止めるということはそれぞれで判断されてきたのですが,手放せない状況が高齢者に被さっているようです。運転しなくても生活状況がそれほど不便にならないのであればいいのですが,現状は生活に困るということに直結します。便利な暮らしは,運転することで支えられているという危ういものでしかないのです。多様性が失われた便利さなのです。
 高齢者の養護が必要になると,核家族という世間の中では,施設に行かざるを得ません。一人の人間の生きる生活を支えるのは寄り添いが必然ですが,それだけの養護体制を世間は持ち合わせていません。結果として,不適切な養護による不十分な生活状況になります。養護する人も養護される高齢者も,不都合な状況に追い込まれかねません。核家族という脆弱な暮らし方を選んできた高齢者が辿り着いた今の世間です。地域社会という人が暮らす基盤であった生活世間を消滅させた付けが巡ってきたのです。
 社会の姿を現すデータとして人口というものが扱われます。社会の特徴を表す処理がされると,高齢化率という指標が出てきます。その指標は増加する一方です。長寿化という喜ばしいはずの傾向と,少子化という心配される傾向が重なったことによります。年寄りを支える若者世代の憂鬱が指摘されています。動き出した世間の傾向は,止まりそうもありません。
 社会とは多様性を包括し機能するシステムです。大事な多様性は,多様な人の多様なつながりによって維持されます。ところが,情報社会になって,人としてのつながりが情報記号に縮小し,世代という属性が削除されて,人は個人という細胞化した存在でしかなくなりました。ディジタル化した個人という人間観では,子どもや高齢者という属性はそぎ落とされて扱われます。子どもや高齢者は福祉という領域に押し込められ,世間からは排除されているのが現状です。子どももお年寄りも一緒に暮らしているという多様な世間は,消されてしまったのです。
 若者の選挙の投票率が低いということが言われています。選挙に行っても何も変わらないというしらけかもしれません。大人も似たようなものかもしれません。空気は伝染するものです。社会とのつながりという意識が持てなくなっているようです。自分が個人として情報を通してのみつながっている世間は,人の温もりが満ちている社会とは違います。すれ違う人は皆壁でしかなく,自分と何の関わりのない人たち,その個人が社会の一員であるという意識を持つことはできないでしょう。社会を捨てた個人たち,社会はどこに行くのでしょう。

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(2019年08月11日:No.1011)