《喜びは 明日に向けては 様変わり》

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 異なる組織が主催する講演の中で,たまたま同じ言葉を耳にしました。これまでなんとかなく聴いていたような気がするのですが,意味が伝わってきません。不勉強ということです。調べてみました。「アドボケイト(Advocate)」「アドボカシー(Advocacy)」とは?

 "advocate"は翻訳すると「擁護者・支持者」、"advocacy"は「擁護・支持」という意味ですが、マーケティング用語では自社のブランドや商品を熱狂的に支持して使ってくれるファンやファン心理のことを指します。支持者を作ることが意識されているようです。

 一方で,虐待を受け,社会的養護が必要な子どもの意思を親権者や児童相談所以外の第三者がくみ取り関係機関などに伝える「アドボケイト(代弁者)制度」構築の活動が行われているそうです。弱い立場にある子どもの意見表明権を確保し,虐待を防ごうということです。アドボカシーは「権利擁護」と訳され、障害者福祉分野などで当事者の権利主張を支援したり、代弁したりするという意味で使われてきましたが,児童虐待が相次ぐ中,子どもを守るシステムとして期待されるようになっています。

 商業上では,単にファンという外にいる存在として位置づけるのではなく,売り手側に寄り添っている内なる位置づけと認知するということです。情報社会における販売戦略上の新たなアイテムの導入です。そこまで考えなければならなくなったということです。
 後段の福祉活動や虐待対応におけるアドボケイトが,講演の中で語られた言葉です。やっと,講演の流れが動き始めました。そういうことであったと,腑に落ちました。困っている人の側に寄り添って,話を聴いてくれて,適切な口利きをしてくれる人は,かつては地域にたくさんいました。近所のお年寄りや知り合いのおじさんやおばさんたちです。地域の再生ということが言われますが,そのキーパーソンのモデルがかつての寄り添ってくれる人たちです。
 昔の地域に戻ることはできません。同じ機能を構築するためには,新しい役割として導入するしかありません。その新しさとして新しい言葉が使われます。アドボケイト,なのです。制度として,役割として導入し,それを意図的に担ってくれる人に託すという,上から目線の活動です。寄り添う役目を果たす人,仕事人を設置しようという流れです。かつての地域の支えとなっていた自発的な寄り添い行動は消滅してしまい,果たすべき責務として誰かが担うべき擁護者の押しつけです。
 制度でしか機能しない地域には,人としての温もりはないでしょう。このような地域を望んではいなかったのですが,地域の末路の悪あがきをするしかないのかもしれません。大切なことを誰かに任せてきた付けが,戻ってきているようです。人としての○○,そのようなものは,もう消滅してしまったとは思いたくないのですが・・・。

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(2019年09月08日:No.1015)