《喜びは まだまだいける 確かめて》

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 最近好奇心が反応を示さなくなってきたように感じています。仕事や暮らしの中で見聞きする外界に対して,あれっとかどうしてという驚きや疑問がありません。一つには,見たくないものに関心を向けないということがあります。見ていてもつまらないとか,見るだけ無駄といった拒否反応があります。例えば,テレビ番組はほとんどが関心の対象になりません。暇つぶしにもならない内容に飽き飽きさせられてしまっています。
 新聞紙面やネット画面などからさまざまな情報が迫ってきますが,酷い事件や悲しい事故,感心な振る舞いやお役立ち知らせなど,特に止まることなく流れ去っていきます。良くも悪くも驚きを感じません。そういうこともあるだろうという想定内に収まってしまいます。もちろん,実際に経験したことのないことがほとんどですが,疑似体験というか,見聞きしてきたことと同じということです。
 好奇心の検知は,聞いたことがない,見たことがないという違いに反応するものであり,驚いたという反応が伴います。その驚きを収めようとして、どうしてという疑問が続きます。何らかの解凍が得られると,気持ちが落ち着きます。知的好奇心という楽しみになります。ただ,その体験にはかなりのエネルギーを必要とするので,若さが必須の要件になります。好奇心の衰退は,若さの衰退というのであれば,納得しなくてはなりません。
 好奇心が反応しなくなったというささやかな驚きに、若さの衰退という落ちを見つけたことで,好奇心の名残を経験してしまいました。まだまだ現役でいけると一安心です。

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(2019年10月13日:No.1020)