《喜びは 中途半端に 安らぎを》

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 アナログ世代なのかもしれませんが,今のディジタル風潮が窮屈に感じます。数字で表すと,大まかに四捨五入をしていたものが,今は0でなければすべて1と見做すかと思えば,1に近いのに0と強弁しています。些細な不都合を寄ってたかって糾弾します。改めることで繰り返さないようにすれば済むこともあります。一方で,無謀な不始末を問題としないで放置します。手遅れにならないように用心することが忘れられています。
 0か1しか無い思考世界では,言葉が2択に縮小します。在るか無いか,良いか悪いか,するかしないか,続けるか止めるか,好きか嫌いか,それぞれに2択にすればまだましです。何でもかんでもヤバいと言っている言語世界は,単語がバラバラに重なる積み木の世界でしょう。言葉がつながって文章となる構造は受け入れ不能であり理解不能になります。いわゆる読解力が不要であり,思考と直結する行動も乱雑になるでしょう。
 名古屋で小学生が同級生にたかられて,母親の500円玉貯金から20万円を抜き出して,ゲームに使っていたといういじめが発覚しています。このいじめを重大事案と認定していなかったという教育委員会の対応が責められています。いじめとしては軽微であるとして0認定にしていますが,金銭を強要したことを重大と見做す1認定にすべきであったという状況です。0か1かという判断を無理にしようとするから,こじれてしまいます。せめて四捨五入という判断を持ち込めば,それなりの具体的な対応ができたはずです。
 世の中はシロでもなくクロでもなく,グレーが大部分であり,その中途半端さにつきあっていくしかありません。別の言い方をすれば,良くもなく悪くもない「フツウ」の状態があります。暑くも寒くもない「フツウ」が丁度いいとなります。フツウは感覚的には不感です。高くもなく低くもない中肉中背の人が印象に残らないのは,フツウの不感帯に入るからです。このフツウの存在を無視して,0か1かと分けてしまうところが、現実を無視する誤謬になります。アナログ世界が人間的な現実なのです。

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(2019年12月08日:No.1028)