《つながりを 持たない心 トゲだらけ》

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 セクハラ,ドメスティック・バイオレンス,幼児虐待,それぞれの防止法が相次いで成立しています。法とは弱きを助け強きを挫く目的を持ちますが,その意味では弱者保護が進んだと喜ぶべきです。ただ,手放しという感じがしません。
 確かにこれまで見過ごされてきた弱者が認知されてはきましたが,一方で新しい弱者が生まれてきたのではないかという危惧です。弱い立場にあるものを庇うという心根が弱くなったのではないか,という疑問を消し去ることができません。
 この強者側の変質について,もう一つの気がかりがあります。いずれの場合もそうなのですが,自分の思い通りに相手が応対してくれないときに暴力を発揮するという短絡性が見えます。力ずくという手段を何のためらいもなく行使する浅はかさを感じます。古い言い方ですが,男気や侠気,情けといった我慢を発揮する力が衰えています。かつても我慢は我慢でもやせ我慢ではありましたが,それをどこかしら自負できる心の余裕があったものです。
 豊かになった暮らしぶりから,不可能はないという増長が蔓延ってきています。社会全体がお互いを甘やかしているうちに,市井の人が暴君になっています。周りのものに無理難題を押しつけ,人を人と思わない愚かな美酒に酔いしれています。暴君だから意のままにならない相手にキレてしまいます。
 豊かな社会は体型を肥満化します。余計な贅肉が付くからです。若い女性が太ることを忌避しているのは,見た目の美しさが痩せていることにあると思っているせいでしょう。おそらく意識はしていないと思いますが,本能的に健康美に向かうためのブレーキをかけようとしています。美しさにはバランスという要素がありますが,バランスは行き過ぎを抑えることで成立します。
 体型の肥満化に逆行するのと同じように,心根の肥満化にもブレーキをかけなければなりません。ブレーキは他者との摩擦によるものです。痩せることで美しく見られたいという,他者の目を意識するときにブレーキがかかります。優しくあることで雅に見られたいというムードが漂ってほしいものです。
 心の佇まいを整えるには,他者の目を畏れる気持ちがなければなりません。それが強すぎて萎縮するようでは逆効果ですが,無さ過ぎるのも暴走を引き起こします。今の世情から零れてくる涙を見ていると,畏怖する対象を失ったことで,人の心が無軌道な動きに陥っているような肌寒さを感じます。

(2002年03月17日号:No.103)