《有難い よしあし抜きで 選ぶまで》

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 今年の干支はネズミということです。昔からの流れのようですが,はじめは誰がなぜ決めたのでしょうか? 調べてみようという積極的な気運ではないので,疑問のままで据え置いておくことにしています。干支の順序はどうして決まったのか,ネズミがトップになっているのはなぜか,そういう疑問も出てきます。仏教の世界のことで,お釈迦様が動物たちを招き寄せたときに,馳せ参じた順序が干支の順序だそうです。その一番の場面で,ちょっとした出来事がありました。牛がトップで到着しようとした一瞬,牛の背中に乗ってきたネズミが,ひょいと前に飛び出して,一番になったということです。ゲゲゲの鬼太郎の話に登場するネズミ男がしでかしそうなことです。
 ネズミがしたことは,普通にはずるいことです。到着した順番ということで言えば確かに1番ではありますが,それまでの行動が牛におんぶされているということで,馳せ参じるという基本的な自発的行動をしていません。ネズミがしたことは,牛の目の前に飛び降りて見せただけです。このネズミの行動になぞらえられる振る舞いは,普通の人間社会でも見られます。人に汗をかかして,自分はちゃっかり最後のうまみだけを頂くというずる賢さです。
 かつては,労働者と資本家という対比がありましたが,そこでは賃金を支払うという一応の了解が持ち込まれました。モノ作りの世界では,値段がつけられて,売買という了解が実現されています。ところで,最近の情報社会では,情報作品が価値を持ちます。そこで,誰もが情報を手軽に処理できるので,著作権を保護確保することが難しくなりました。パクりという事態が茶飯事になりました。対価なしに成果を頂いてしまうというネズミ行為です。
 ねずみ色という色があります。灰色ですが,物事をはっきりさせるとき,白黒を問います。どちらともいえない場合,灰色といわざるを得ません。ねずみ色とは,良くも悪くも決められない,決着できない色です。灰色だから良くないというのか,灰色だから悪くはないというのか,それぞれが自らの常識に従って選択することになります。ときおり,何らかの不祥事が起こった際に,悪くはないけど望ましくもないといった歯に物が挟まったような物言いがされます。この曖昧さが人間社会の選択です。

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(2020年01月19日:No.1034)