《有難い 傲慢押さえ 身の丈で》

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 いま,新型コロナウィルスという厄介なものが暮らしに影響を与えています。マスクがないというのはまだあり得ることと思われますが,トイレットペーパーが店頭からなくなるというのは訳が分かりません。デマですと報道機関が訴えています。今,必要になって店内でトイレットペーパーを購入するために抱えていると,デマに踊らされていると思われるのかもしれません。小中高校が一斉休校にという対処も出されています。不要不急の集まりは自粛といったことも聞こえてきますが,生活は止められません。
 公的な施設の利用が停止されています。小さいながらも組織の代表を務めていると,事業活動の開催と中止の決断を迫られます。会場が使えないという状況については,選択肢は中止や延期にするということしかありません。年度末の時期ということで,組織的には必須の会議を開催しなければなりません。それでも今の状況では,延期という時間の余裕はなく,会議の中止という判断に至ります。代表として,あのとき止めておけばよかったと後悔するより,止めておいてよかったと安堵する選択をせざるを得ません。
 必要な手続は採っておかなければなりません。メンバーに書類を送付して,個別に行う協議の機会を設けて,承認を得るという最低限の手当をします。総会という組織では最重要な会議はまだ先の日程に予定しているので,判断を先送りにしています。内容としては難しい議案などは抱えてはいないので,一か所に同時に皆が参集する形でなくても別途の「提案し承認」という手続は可能でしょう。どういうことになるのでしょうか。
 学校が休校になるということで,子どものいる家庭ではいきなり春休みに入ったという戸惑いがあることでしょう。かつてのように,祖父母が子育てに関わっていた環境であれば難なく受け入れることもできたでしょうが,今の環境では親御さんたちは悩ましいことになります。幼児については休園ではないので変化はなく,安堵されていることと思います。
 社会全体の中で一か所に機能停止が起こると,その影響は思わぬところまで及びます。例えば,小さなトゲだけで,体全体の動きが止まるようなことです。今のように情報と国際の広がりで構築されている社会では,何がどこにどのようにつながっているのか人智では計りかねるはずです。コロナウィルスという危険物の登場に右往左往して後手に回っている社会が実感されますが,社会のどこをどのように動かせばどういう効果があるかを見極める力は,人には備わっていないということが明らかになったようです。個々のことはあれこれ考えることができますが,全体を見通すには,人はあまりに小さくなってしまったということです。昔のように,神様しか見通せないと諦めることが,安穏の道かもしれません。

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(2020年03月01日:No.1040)