《有難い 異常に挑む 人多く》

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 新型コロナウィルスという言葉が情報社会に取り憑いて,視聴覚を襲ってきます。得体の知れないウィルスが発生し,人に向かって侵入をしています。見えない相手に怯えるしかなく,身を守る術として,危うきに近寄らずと構えることになります。ウィルスの近くにいたかもしれないという推論だけで,人をコロナと決めつけて排除しようという行動に出てしまいます。
 たまたま側に居合わせた人が咳をすると,自分から離れていく人がいるでしょう。その一方で,咳=ウィルスという断定にとらわれ,ここから立ち去れと声を荒げる人もいます。人に迷惑をかけるあなたが立ち去るべきであるという考え方です。咳をしたからといって,コロナウィルスのせいとは言い切れない,むしろ可能性は低いと状況判断をすることもできるはずです。その際に出てくる反論が,絶対無関係と言えるか,という絶対思考です。絶対的な有無はあり得ないので,悩ましい選択になります。
 未知の恐れに対しては,かもしれないという可能性に依拠して用心するしかありません。その用心の仕方に細やかな配慮が伴わなければ,混乱という副作用をまき散らすことになります。誰でも弁えていることですが,時期をわきまえ,順序立てて,対応を適正に着実に進めることです。そのためには,情報と権限を一本にした体制が動かなければなりません。
 素人論議は簡単であり明瞭です。現実にはことは単純ではありません。コロナ対応だけをすればいいという状況は存在しません。日常的な普段の生活を維持する中で,特異な行動を挟み込む無理が,小さくない軋みをもたらすことを避けられません。話題になっているマスク不足といった不具合が起こります。平常と違う異常な需要が起こることは想定できることであり,その不具合をできるだけ押さえ込むために,たくさんの人々が知恵を絞り協力しあっています。ただ,その供給不足につけ込むさもしい性根は排除しなければなりません。人の不幸の上に幸せを生み出そうとする末路が哀れです。
 見えない不安はとても大きく感じられ,人も社会もパニックになります。そこから抜け出すには,まずは深呼吸をして,自らを取り戻すために落ち着くことです。自分にできることを考えて,粛々と実践することです。向かっている不安の元は小さなウィルスです。要はウィルスを防げばいいのです。体力を消耗せず元気さを維持し,ウィルスの侵入経路である両手の殺菌作戦を遂行していけばいいのです。

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(2020年03月08日:No.1041)