家庭の窓
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少し古い情報になりますが,総務省「情報通信白書」から,いくつかを拾い出してみます。
「SNSで知り合う人はほとんど信頼できる」という項目に「そう思う。ややそう思う」と答えた人の割合は,ドイツ人5割,アメリカ人6割,イギリス人7割に比べて,日本人は1割と,極端に低くなっています。また,「SNS上で知り合う人が信頼できるかどうか見分ける自信がある」と答えた人は,英米独国の人が5〜6割である一方で,日本人は2割と止まっています。
ネット上だけではなく,他人を信頼できるかどうかという問に対しては,「ほとんどの人は信頼できる」と答えた人は独米国の人が6割,英国の人が7割いるのに,日本人は3割でした。相手が信頼できる人かどうかを見分ける自信があるという回答は,米国人7割,独英国人は8割,日本人は4割以下でした。
日本人は,相手が信頼できるかどうかを見分ける自信がないために,相手を信頼できないでいるという結果が見えてきます。欧米と日本が歩んできたこれまでの暮らしの様式が育んだ生活能力の違いであると考えることができます。そうなんだと理解するだけでは,何も考えていないことになります。考えるべき事は,だからどうすればいいのかという今後への課題解決です。
人は共同して生きていかなければなりません。共同するには信頼し合うことが必須です。ところで,その共同社会を支え合うという責務を担うことで,信頼が得られます。社会に対する貢献をしないで寄生するという存在は,非社会的と忌避され信頼できない人になります。信じて頼り合える人であるという証拠は,普段の生活態度に埋め込まれています。
それを見分ける能力は,自らの態度が相手からの信頼に足るものであるという自負にあります。どうしたから信頼を得ることができたという自らの努力を通して,相手の信頼性を見分けることができます。類は友を呼ぶということで,信頼されている人は信頼できる人を呼んでくるのです。
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