《有難い イエス引き出す 優しさが》

Welcome to Bear's Home-Page
ホームページに戻ります

家庭の窓にリンクします! 家庭の窓


 NOと言わなければYESである,という論理があるのでしょうか。性暴力の裁判で,NOと言えず無抵抗であることをイエスではないということが明確にされました。従来は,抵抗しなかったのだからイエスだとという論理が通って,無罪になるケースが続いていました。積極的にイエスと言わない限りノーと解釈すべきという論理が注目されています。
 日常の会話では,NOという言葉は言いにくいものです。何となく曖昧にしがちです。気乗りのしない行事などに出かけようと誘われたとき,NOと言えずに,あいまいな返事をしていると,しつこく誘われたりします。仕方なくはっきりとNOを言うと,どうしてという次の攻め句がやってきます。相手を納得させるほどの理由がないときには,苦し紛れにうその別件を繰り出すこともあります。NOと言う気まずさの上に,小さなうそを言ってしまう気まずさも重なってしまいます。
 かつて,NOと言えない日本人,というタイトルの本が出たことがあります。読んだことはないのですが,なんとなくそうかなと思っていたものです。はっきり言わないから,押し込まれて損をするといったことへの自戒があります。外国の人間関係は,お互いに違っていることを前提に関わり合っているので,NOは当たり前の感覚でしょう。一方,日本ではお互い同じであることを前提にしているので,NOという違いを向けることは関係の決裂にもつながりかねません。空気を読むといった風に,同調圧力が強いのです。
 立場を働きかける方にとると,NOと言われなければ,受諾していると受け取ります。また今度,の返事を次は承諾と思ってしまうのは野暮になるという曖昧さは,特別な社会だけで通用していました。喩えると,交差点で赤信号の進入NOではないからと,黄色信号で突っ込んでいくようなものです。新型コロナ対策としての出かけないようにという要請を受けても,都合を押し出して出歩く人は,罰則があれば止めると言っています。NOでなければ,我意を押し通すという強引さをむき出しにします。
 子どもは簡単に嫌だと言います。すると親に叱られます。NOと言ってはいけないのかと押さえ込まれて育ちます。基本的に,逆らうことはいけないのです。その思い込みが強いからといって,相手に逆らわないことを求めてしまうと間違えます。言うことを聞かないから,聞くように無理強いして,揚げ句は虐待の領域に踏み込んでしまいます。勝手に好きになって押しかけていって,NOと拒否されないからとつきまとうとストーカーです。揚げ句は,NOと言われないからと性暴力に及びます。
 積極的な同意がない限り,抑制をするのが安全安心な関係の基本です。イエスが人と優しい関係を結ぶキーワードです。

ご意見・ご感想はこちらへ

(2020年04月19日:No.1047)