《有難い 後知恵なれど 学びあり》

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 ウィルスの姿が王冠に似ているということでコロナと呼ばれている突風が吹き荒れて,人の暮らしがかき乱されました。過去に似た経験をしていたかどうかで,身構え方に差が出ていました。国際化した社会と人は意識しているので,対応が国際比較されます。結果として,あの国のこれがいい,この国のあれがいい,いろんな国のいいとこ取りを求めることになって,現実の我が国はあれもだめ,これもダメと思いがちです。部分を集めても全体にはならないことを念頭に置いて,考えなければなりません。
 皆がどうすればいいのか,人はどうしているのか,どうすべきなのか,自分だけがしているのでは,いろんな立場からの行動選択や思いが,渦巻いてしまいます。

令和2年憲法記念日,西日本新聞コラムです
(西日本新聞「春秋」:令和2年5月3日)

 自粛ということを受け入れると,自分の思うような行動選択を抑制することになります。抑制の基準が公共の福祉,皆の迷惑にならないということです。自分の選択がどのように人に影響を及ぼすかを見届けなければなりません。コロナウィルスのキャリアにならないこと,それが自らを守ると同時に他に対する責任のありかたです。見えないコロナがどこにいるか分からない中で,人を見たらコロナと思わなければならない注意が,心苦しくなります。
 人が生きていく上で不可欠な経済活動は,人との接触が基本です。その接触に3密という自粛が課されると,経済活動が動けなくなって困ってしまいました。ソーシャルディスタンス,社会的距離を組み込むテレワークが選択されます。いわゆる遠隔活動です。接触無き活動,その構造化が求められています。もちろん医療の世界,治療の分野の増強化が必須です。平時の時には余計な活動であり無駄な経費の使用になりますが,その社会的な余裕を持たなければ,想定外の事態に対応できないという負の体験を学ぶことができません。

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(2020年05月17日:No.1051)