《有難い 問いと答を 適合し》

Welcome to Bear's Home-Page
ホームページに戻ります

家庭の窓にリンクします! 家庭の窓


 流れ星に願いを託すと叶うと言われている,そうどこかで聞いたことがあります。宇宙の塵である流れ星にそのような力が発揮できるのか不思議です。星の力ではなく,願いを託す人が,流れ星という一瞬の時間に自分の願いをぶつけることができるという状況にある,その一途さが叶える力を引き出すということです。咄嗟に願いが言えるというのは,思い続けているからです。流れ星を見て,願いを思い出そうとしていると,間に合いません。その程度の願いは叶うはずもないのです。
 人の生き方として,問いを持つことが大切だと言う方がいるそうです。確かに,問いを持てば,その答えに必ず出会うということです。逆に言えば,問いを持たないと答は見つかりません。分からないというだけでは,何も分かりません。答えに出会っても掴まえられません。学びという行為では,予習をして何が分からないかを自覚することで自分の問いを意識化できます。そうすれば学びの機会に,そうかという答との確かな遭遇を招き寄せることができます。聞き流していては学びになりません。
 経験を積んで賢くなる,それは自らの限界に行き当たり,自分の問いに気付かされ,的確な答えを自然に手にしていく学びが完結していくことです。経験をすることで,問いと答が結節していきます。知恵とは,この問いと答の結節の連なりです。例えば,数字を足し算,引き算,掛け算,割り算が揃って四則演算という知恵になります。材料ごとの煮方や焼き方の問いと答が連なって,料理という願いが叶っていきます。具体的な小さな問いと答を紡いでいく手間を惜しまないことが,生きていく作法となります。
 人は考える能力を持つように進化してきました。本能のままに生きているのではなく,状況に応じて考えて,社会生活という仕組みを生み出しました。考えるというのはどういうことかというと,疑問を持つことです。身の周りのあらゆることを当たり前と受け入れていると,何も考えないことになります。疑って問いかける,いわゆる5W1Hの問いを自分に突きつけます。周りの状況を五感で把握し,向かっていく自分との接点に問いを見つけるようにします。例えば,暑い日ざしに対してどうすれば逃れられるか,考えるのです。
 人には考える能力があり,日日あれこれ考えています。ところが,どう考えても行き詰まることがあります。それは問いと答がきっちりと組み合っていないからです。器と蓋がかみ合わない,ネジ穴とネジが違っているようなものです。問いが自分につながったものであるのに,答を他に見つけてしまうことがあります。いわゆる,世間のあり方を答えにすると,問いと答はかみ合わないので,つながることは叶いません。
 問いが自分のことであれば,答を他者のことに見つけるのではなく,自分にできる答を探さねばなりません。考える目的は,自分が直面することへの対応であり,自分の能力でできる答を見つけることが基本です。もちろん,自分の能力だけに頼って一気に解ける答があるとは限りません。それでも,自分にできる答を探さないと,次の問いを見つけることができません。自分の手に余ることであれば,自分にできることを整理し足りない部分を明らかな答えにして,どうすれば手助けを得られるかという次の問いに向かえばいいのです。

ご意見・ご感想はこちらへ

(2020年05月31日:No.1053)