家庭の窓
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コロナ感染は局地的に第2波にシフトしていますが,大波は過ぎたようです。感染を抑え緊急事態宣言を解除できた日本に,欧米メディアはミステリーと驚いているそうです。過密社会で,検査数は少ないし,罰則もない外出自粛に休業要請,おまけに政府の対応は鈍い,とても耐えられない状況と思われていたようです。不思議さをなんとか解消しようと見つけ出した理由は,マスク着用やこまめは手洗い,握手やハグをしない,靴を脱いで家に上がる,そのような日本らしい生活様式でした。
政府の対応のちぐはぐさが指摘されています。小さ過ぎるマスクを届けようとしても,店頭に出回っているのに届かない。助成金を支給しようとしても手続きが煩雑でなかなか渡らない。PCR検査を1日2万件にしたはずが半数以下で,保健所で目詰まり状態になってしまう。子どもの教育の遅れに対して9月入学を導入しようと思いついても断念。初めてのパンデミックに慌てふためいてしまったと,後になれば簡単に言うことができます。人が考えて理解できることは,基本的に後知恵です。つまり,経験したことは評価できるということで,経験する前は,だれも評価できないことを忘れてはいけません。反省することで次への知恵を学ぶことしか,人にはできません。
私たちがコロナ対応でしてきたこと,それは行政やマスコミの情報で日日これでもかというくらいコロナの不安を煽られる中,だれもがコロナに感染することを恐れ,一方で周りの人にうつすことを恐れて,社会的距離を維持することでした。個々には行き過ぎもありましたしいい加減さもありましたが,大きなうねりとしてコロナに対抗することができたようです。最も大事なことは,今の現状を知ることができるという情報の正確さと迅速さです。ことの良し悪しや幸不幸を包み隠さずありのままが見えていないと,咄嗟の判断を誤ることになります。情報の公開がうまくいっている,それが良い対処に不可欠です。
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