《有難い それぞれに 選べる対処》

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 アンさんというアメリカ人女性が新聞に定期的な寄稿をされています。言葉の基盤にある文化を具体的な形で比較して,気付かせてくれます。コロナに関して使用されるようになった流行語の一つに,「stay home」があります。米語では,「家にいなさい」という命令形であるのに,一方で,日本人の受け止めは「家にいましょう」であるというのです。そう指摘されればその通りかなと,思ってしまいます。その意図を表現するなら,「Let's stay home」になるそうですが,普通には使わないそうです。
 普段の暮らしの中で,誰かに「〜しなさい」と命令されて皆が従うことはありません。「〜しましょう」という声をお互いに掛け合っているのが普通です。ある政治家はそれを民度の違いと認識しているようです。コロナ感染防止のために3密を避ける施策が各国で実施されました。そこで,日本との違いが現れたことは,違反に対する罰則が付図しているかどうかということです。外国では罰金などの罰があり,それは「〜するな」という命令だからです。
 日本では,「自粛」という言葉で施策が進められました。自粛とは,自分から進んで行動や態度を慎むことです。つまり,各人が他者に命令されるのではなく,皆で自粛しましょうと対応してきました。お互い様という意識を基盤とすること,それを民度の一つの特質と見做すのか,よく分かりません。ウィキペディアによると,「民度とは特定の地域・国に住む人々の平均的な知的水準,教育水準,文化水準,行動様式などの成熟度の程度を指すとされる。明確な定義はなく,曖昧につかわれている言葉である。」とされています。因みに,英語では,the citizens'cultural standard levelsということです。
 成熟度の程度という指標があるとすれば,命令ではなく自粛での行動の方が成熟の程度が高いという価値観が付随してきます。価値については文化的な特質が関わるので,無理につきあわせると差別や誤解の元になります。英語と日本語のどちらが成熟度が高いかという問いは無理難題になります。多様化が国際社会の特徴であり,それを無理矢理単一の価値評価に晒すことは不都合なことであるという歴史の教訓を再確認すべきです。それぞれがそれぞれのやり方でコロナ対応をする,その多様性を科学的な指標で比較するのならまだしも,文化面での優劣に結びつけることは止めるべきです。

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(2020年06月14日:No.1055)