《有難い お互い様で 安心に》

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 小学生のころに読んだ「ああ無情」という小説が,すっきりしないままに心に残っています。貧しい主人公ジャンバルジャンが空腹のためにパン屋の店先からパンを盗み,追われる身になります。生きるためにやむにやまれない行為であり,生きる権利があります。一方で、パン屋にも商売をして生きていく権利があります。権利だけを考えると五分五分ですが,権利侵害されたパン屋を擁護するために法はジャンの権利行使を窃盗行為とし封じます。では,ジャンの生きる権利は擁護できないのでしょうか。パンを盗まなくて済む擁護も大切です。
 カルネアデスの板という話があります。船が難破をし,一人の乗客が板きれにつかまって海上を漂っています。もう一人の乗客が近づいてきて板きれにつかまろうとします。小さな板きれは二人の重さには耐えられずに沈みます。そこで先につかまっていた人が後から来た人を追い払います。生きようとする権利が衝突します。法的には緊急避難と考えられるそうです。追い払われた人には,法は何もできないのでしょうか?
 ある法学者がこの問題を考えているとき,そばにいた小学生の孫娘に「あなただったらどうする」と尋ねました。しばらく考えていた孫娘は「私だったら交代で立ち泳ぎをする」と答えたそうです。自分と相手の権利を生す方法をあっさりと考え出しました。
 普段の暮らしでは,孫娘が気がついているように,お互い様という助け合いが働いています。法は,普段と違ってお互い様が壊れたときに,どちらかの肩を持つように機能します。いわゆるシロクロを付けないと収まりがつかなくなるからです。普段通りに暮らしていると,六法全書は出番がないのです。してはいけない犯罪が法になっており,守らないと罰が待っているのですが,法の条文を読んで理解して覚えていなくても済んでいます。迷惑かけないように,お互い様でいい,それだけを心掛けておけば,安心して暮らすことができているようです。

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(2020年06月28日:No.1057)