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 ソーシャルディスタンスという言葉が彷徨いています。いかにも新しそうですが,これまでも人の間の距離については,考えられてきました。そもそも,人間という言葉が人の間です。一つの例が、新聞の論説に載っていました。
  公衆距離:演説や講演会での距離:3.6m以上
  社会距離:商談や見知らぬ人との会話の距離:1.2〜3.6m
  個体距離:私的距離が取れて,立ち話などの距離:45cm〜1.2m
  密接距離:密接な親子,夫婦の関係の距離:45cm以内
 今のソーシャルディスタンスの距離は,2m以上です。密を避けるということは,いわゆる人間関係を粗にすることになります。このスタイルが意識されて定着していくと,親戚や近隣,職場での温かい関係は今以上に薄れていくことでしょう。リモートの関係を経験した後の人間社会がクールであることは想像が付きますが,それは社会と言えるのでしょうか。社会を維持する根本は信頼ですが,その距離はどのようなものなのでしょう。
 他者への信頼は,視覚と聴覚だけではなく,嗅覚とか味覚とか触覚の感覚も使って築くものだそうです。リモートの関係は視覚と聴覚だけです。ネットで炎上が起こるのは,信頼という関係が築かれないからと考えると納得することができます。ネットによる関係は視覚と聴覚ですから,お互いに頭で理解ができるので,分かり合えたと脳が錯覚します。しかし,それだけでは信頼にまでは至らないのです。その他の嗅覚,味覚,触覚が揃ったいわゆる五感によって、信頼するように導かれるのです。食事を共にしたり触れ合いといった直接的な肌の感触が他者の温もりを受け取って、信頼が醸し出されてくるのです。
 頭の理解による関係が社会であるというのなら,ソーシャルディスタンスという関係で事足りることでしょう。しかし,それは信頼を伴っていません。そこで疑い深くなり、監視カメラによる用心が不可欠になります。ネット使っての関係は、個人情報を微に入り細に入り把握しないと不安な社会でしかありません。信頼に足る情報は五感で掴むしかないのです。情報社会を築いてきましたが,そこは信頼を欠いたものであるということを、コロナ禍が教えてくれます。人を見たらコロナと思うという浅ましさが蔓延っています。

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(2020年08月09日:No.1063)