《有難い すべきことにも ほどがある》

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 「なぜだろう 私がいないと うまくいく」というサラリーマン川柳がありました。
 あるご婦人が実家に帰っていたときのことです。朝起きて家の前の道を掃除をしているとき,ついでだからと隣のおばあちゃんの家の前もきれいに掃き清めました。そのことを聞いた祖母が悲しそうな顔をしました。翌朝,家の前がきれいに掃除をされていました。隣のおばあちゃんが早起きをして掃除をしてくれたのです。親切もいき過ぎると,相手には負担になりお返しをしなければと気持ちを追い込むことになります。祖母にはそのことが分かっていたのです。
 隣の三尺という言葉がありました。隣家の前に三尺まで入り込んで掃除をするという暗黙の了解です。小さな親切が大きなお世話にならないためには,三尺という距離を見計らうことです。相手の領域を侵さないような気遣いができれば,人間関係は円滑に営まれることでしょう。
 「親切の 後ろ姿に お辞儀する」という万能川柳がありました。
 お辞儀をするとき,どうして頭を下げるのでしょう。かつてモノを頂くときには,謝意を表すために手に取って頭上に捧げていました。頂くという言い方そのものでした。ところが,親切のように手に持てないものは,頂くという形をとるためには頭頂をそちらに向けるように下げなければなりません。最敬礼のつもりで直角にまで身体を曲げてしまうと折角頂いたモノが落ちてしまいます。落とさない程度に頭を下げる,それが美しいお辞儀になるようです。
 良いことであっても,やり過ぎてはいけないことがあります。過ぎたるは及ばざるがごとしということわざが思い出されます。人との関係であれば,相手の領域を尊重することが必要になります。また,自然の摂理に逆らうことはできないということもあります。物事には程の良さというものがあるということです。

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(2020年09月06日:No.1067)