《夫婦とは 時計の針に よく似てる》

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 男はつらいよ。亭主族の胸にはその言葉が深く沈んでいるかもしれません。上司や女房はあれこれ言うばっかり。言われる身にもなってみろ。全部聞いていたら身が持たない。疲れた!
 言われるのがイヤだったら,言われないようにしたらいいでしょ。自分ばっかり苦労していると思っているなんて甘いわよ。イヤなことはみんな押しつけておいて,よく言うわね。交代しましょうか? 愚痴る暇もないんですから。
 自分がどんなに苦労しているか,連れ合いに分かって欲しい。それだから,自分のことばっかり並べ立ててしまいます。苦労のし甲斐がないと思うことも度々でしょう。自分を理解してくれる人と思ったから一緒になったはずです。でも現実は甘くはありません。自分のことで精一杯になります。
 生活の潤いって何でしょう? 暇があること,金に余裕があること,旅行に出かけること,ゆっくりテレビが見れること,美味しいものを食べること,いろいろあるでしょう。そこに連れ合いと一緒に過ごすイメージがあればいいのですが・・・。
 クマさんの潤いはちょっと違っています。お茶を入れてくれたらありがとう,ものを取ってくれたらありがとう,ありがとうの大盤振る舞いです。きちんと受け取る気持ちを伝えることです。自分のためにしてくれていることに,きちんとけりをつけておきたいのです。後でまとめて高価なお礼をするには,懐が寂しいものですから苦肉の策です。
 もう一つは,日に一度一瞬の間ですが,下心なく連れ合いを腕の中に抱きしめることです。暑がりですから夏は嫌われますし,忙しくしているときは邪魔にされますが,それでもいいと思っています。セクハラになるかもしれないと,笑っています。
 中学生の時に切り抜きをしていた小さな囲み記事の記憶が残っていたからです。夫婦は時計の針に似ているという意味の言葉でした。長針と短針はそれぞれのペースで動くから時計なのです。そして,日に二度はピタッと重なり合っています。お互いのことしか考えない一瞬を保つためには,それが最も自然のような気がしています。変ですよね!
 夫婦の関係は,理解してくれる人を求めていたとしたら,それは順序が逆です。うまくいくはずがありません。まず自分が理解する人になることです。理解すれば,理解してもらえます。人間関係のボタンの掛け違いは,この順序が逆になっている場合がほとんどです。なぜなら,関係を絶つのは決まって,理解してもらえないと言う側です。理解しようとしていれば,人を見る目が温かくなるはずです。連れ合いであれば,可愛く見えてきます。素直な気持ちで抱きしめたくなります。心が潤ってきますよ。やっぱり変ですかね?

(2002年04月14日号:No.107)