《有難い いつも明日が 残っている》

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 江戸の町で左官が3両入りの財布を拾い,書き付けから大工のものと分かり届けました。ところが,大工は落としたものだからと受け取りを拒否,受け取れ,受け取らないの争いになりました。お白州での裁きとなり,南町奉行大岡越前がこの3両を預かり,1両足して4両とし,両名に褒美として2両ずつ下げ渡すという裁定を出しました。理由は左官が拾っておけば3両,大工は受け取れば3両,越前が預かれば3両有ることになるが,越前が1両を出して両者に2両ずつ渡したから,三方1両損というわけでした。
 この話には元になった話があります。京都の町で金三両を拾った者がいて,京都所司代の板倉勝重の元に,落とし主が見つからないのでと届けてきました。張り紙をして捜すと,1人の男が名乗り出てきましたが,天がその拾った人に与えたものだからと受け取りを拒否しました。譲り合う2人をみて,勝重も仲間に入れてくれと,金3両を持ち出し,合わせて6両にして,3人で2両ずつ分ける得を選びました。
 大岡越前は1両出して,板倉勝重は3両を出して2両を受け取っているので,結果としては共に手出しした金子は同じ1両です。ところが,越前は「三方1両損」,勝重は「三方2両得」となっています。お金の動きは結果的には同じなのですが,関わった3名の気持ちは正反対です。それぞれの損得勘定の背景には,3両あったはずが2両に減った,無いはずが2両に増えたと,逆の前提があります。
 失ったものはすっぱりとあきらめる,その潔さがあるから得という結果が出てくるようです。こちらの方がそれぞれに後味がよい始末と思われます。失ったものに未練を持ち続けると,なんとなく落ち着きが悪いことになります。
 人生には一端手にしたものが失せていくといったことが珍しくはありません。そこで諦めきれないでいると,気分は鬱々と沈んでいき,どうして自分はこんなに巡り合わせが悪いのかと思い込んでいきます。未練がましい考え方は止めて,思い切りよく,無いモノは無いとリセットした方が,明日は明るくなるようです。過去に生きるのではなく,明日を迎えるのです。

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(2020年10月11日:No.1072)