家庭の窓
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男性と女性の視線は違っているそうです。子どもを育てる母の目はなめるように細部を見逃さない目であり,獲物や危険を察知する父の目は空間的な要所をざっと見届ける目です。
あるカップルの話です。彼氏は理不尽なことで彼女から怒られます。髪の毛を切ったのに気づかなかったとか,目の回りの化粧を変えたのに気づかないだとか。それならまだ気づかなかったことが悪いとは思われますが,「体重が500g減ったのに気づかない」と怒るのはあまりにもひどくないだろうか,と嘆いています。
見ている世界が違うと,意識も違ってきます。あるラジオ番組で男女のアナウンサーが「ホッとするところ」というテーマでトークをしていました。男性アナウンサーは「家」と,女性アナウンサーは「布団の中」と答えていました。男性は家をポイントとして意識し,女性は家をさらに細部に分けて布団の中というところまで意識しています。男性は家に帰れば面倒が見てもらえるのでホッとしますが,女性は家では家事育児で気が抜けずにホッとするのは布団の中までお預けということでしょうか。
年配の夫婦が旅をすると喧嘩になるそうです。旅は異世界を見ることが主になります。女性から「さっき見えた赤いものは何なのかしら?」と話しかけられて,男性は「そんなものがあったか?」と応じて,会話がすれ違ってしまうのが原因です。女性が気になっているものがあるということを,男性は認めるように気配りすることが求められます。男性がそのことに思いも及んでいないために,女性同士の旅が増えてくるのです。
見えるものが違うということは,住んでいる世界が違っていることになります。色眼鏡を通して見るという状況がありますが,人はそれぞれの経験や感性というバイアスのかかった視界を認識しています。そのことに気付かされるのが,人と話すときです。マスコミの報道も違った見方を提供してくれます。読書も世界観を変えてくれます。同じ事象を見ていて,理解が全く逆のことさえあります。世界が違って見えると,どのように生きていくかという人生観も違っていくはずです。
男女が違った世界に生きているということを前提として,男女がお互いを尊重していく余裕が大事になります。違っていることを前提にしながら,お互いに同じ部分を重ね合わせることができれば,二人の世界で生きていくことができます。
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